オーバーオーストリア州の州都であるリンツ市の郊外と言っても間違いで
はない所に住む、我が家では当地発行の、所謂地元の新聞を購読している。
毎朝、アパートの5階、エレベーターに乗って来た新聞配達人、持って来
た新聞をドアの足元に無造作に投げて、そそくさに去って行く。階段を駆け下りて行く足音がドアのこちら側、家の中、ベッドの中にまだ横たわっているわたしの耳元に響いてくる。
わたしは目覚めてしまっていたことになる。
日本では所謂“賃貸マンション“というアパートに住んでいた。鋼鉄製のドアには新聞受け口があって、毎朝、配達人は新聞をその受け口に難儀そうにとにかく押し込んでいた。
オーストリアでも鉄筋アパートに住むようになったが、我が家のドアはベニヤ板を二枚重ねたような厚さの木製(少々、物騒ではなかろうかと思われないこともないが)新聞受け口はない。鉄筋アパートの玄関を入った直ぐ脇
にはアパートの住人、一軒一軒用に郵便ポストが備え付けられている。が、
郵便屋さんではないから、新聞をポストの中に入れることはしないらしい。
というかそのポストには鍵が当然掛かっていて勝手に開けられないようになっている。
どこのアパートも同じだと思うが、防犯も兼ねたインターフォンが付いていて中にいる人と会話が出来るようになっているし、アパートの下、ドア入
口前に来た人はその入口の鍵を持っていない限り、自分でドアを開けて中に入ることは出来ない。
早朝には新聞配達人が新聞を配達するためにアパートの正面玄関のドアを開けて中に入ってくるが、この国に住み出したばかりの頃、不思議で仕方なかった。
アパートの管理人及び住民のみがアパート正面玄関の鍵を持っているものと思っていたのが、その他にも玄関の鍵を持っている人が別にいるのだろうか? それとも早朝、新聞屋さんは住民の誰かの家の呼び鈴を押して、正面ドアを開けて貰っているのだろうか? それとも正面玄関用の鍵を持っている?
用もないのに入ろうとする人もいる。そういうことでアパート関係者以外には共通の鍵は持たせないシステムになっているというのに、どうも例外があるようだ。そんな風に薄々思い至るのであった。
とにかく、起床後、ドアーを開けて新聞を回収する。これはわたしの朝一番の日課となっていた。
ところが、日曜日や祝日になると新聞は来ない。拍子抜け。最初、不思議
で仕方なかった。新聞配達人が新聞を配達するのを忘れてしまったのではなかろうか、と電話を入れたことがあった。が、何度掛け直しても繋がらなかった、文字通り電話には誰も“出んわ”であった。諦めた。当時のわたし、
ドイツ語の電話会話が自信を持って出来るという訳でもなかったので、「電話に出んわ」で良かったのかも知れない。
何十年と日本での習慣に慣れてしまった結果なのだろうが、当地に来てもそんな感覚が身に付いたまま暫くは抜けず、朝が定期的にやって来るが如く、曜日、休日に関係なく新聞を期待していた。
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■ 休日は休日????
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オーストリアはキリスト教国。詳しくは知らないが、人口の85%以上程か、カトリック教徒とか。カトリックの教えに基づいて、日曜日は安息日、安息・休息しなければならない。そういう伝統が広く今日まで続いているらしい。
だから新聞社も新聞を印刷してはいけない、印刷されない新聞は配達もされない。読むことも出来ない、ということになるか。
一度、日曜でもない祝日でもないのに、新聞が配達されて来なかった。早々、我奥さん、電話を入れた。
「いつ配達してもえるのですか?」
「午後には配達出来るかと思います」
夜になってもその日の新聞はとうとう来なかった。
翌日、配達された来た新聞の第一面、片隅に小さくお詫びが印刷されてあった。新聞社の印刷機が故障――休日でもないのに休んでしまって(というの
はわたしの追加コメントですが、、、)一部地域では新聞配達が出来なかった、と。ゴメンナサイ、とは何処を探しても書いてない。オレの所為ではない、と言いたい、というか何もお詫びは言わない、書かない。
昨日の新聞が読めなかった奥さん、腹の虫が治まらないと言うのか、新聞取次店に文句を言ってやろうと早々電話を入れる。暫くは出んわの状態が続く。電話まで休んでしまっているかのようだった。
やっと出てきた。
「昨日、午後には配達するとおっしゃったではないですか?!」
「・・・・・」
相手がどんな返事をしたかは知らない。でも容易に想像は出来る。
「そんなことおっしゃられてもわたしの責任ではありませんよ」
西洋人は「自分の責任ではない」と言える立場にあると考えるとそう言うのが好きのようだ。
「わたしの担当ではない」
まあ、担当がそれぞれ分かれていることは分かる。担当していないことについては関係ない、ということらしい、そんな思考が徹底している。
「昨日の新聞代は返してもらいますよ」と我奥さん。
当然読めると思ってた新聞が来なかった。約束を守らないので少々“頭にきている”のであった。
毎月の新聞代は銀行自動引き落としになっている。権利・義務の考えもはっきりしているというのか、権利は権利として主張しないと自動的に無視されてしまう。何も言わずに黙っていると納得した、現状を受け入れたと勝手に(?)解釈されてしまって、そのまま自動的に契約購読月額が引き落とされてしまうのだ。
電話の相手側は同意したらしい。渋々か、それとも喜んでか、それとも無愛想に事実としてか、その顔を見ることは出来ないので分からないが、何となく分かりそうな気がする。とにかく、我奥さんの顔の方を見ると、満足そうであった。当然だ、と。
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■ 休日のバンド演奏
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それはそうと、チロリアンハットを被ったオーストリアの緑色の制服のおっさん達だけの楽隊がまだ演奏中だ。
祝日、読めない新聞を読もうとするような気持ちになるよりも、生の演奏を聞いて見たらどうですか、ということかもしれない。
家族全員ベランダに出て来て、手すりにおおいかぶさる様に身を乗り出して、下の中庭の音楽に目を耳を動員していた。
<追記>
く良く調べたら5月29日が今年はその日に該当していた。毎年、日日が変わるらしい。キリストが天に昇る、昇天する日が毎年違っているらしい。
今年も休日の静けさをぶち破る、あのブラスバンド演奏が鳴り響き渡るだろうか。一度あったことは二度あるか。あのバンド演奏はキリストを天へと送る意味があったのだろうか。
どちらさまもどいつごもどうぞ
Linz,16. Mai
2003