デジカメは珍しかった  オーストリアからのメール  オーストリア大統領選挙、迫る

 

No.24(3/3)◆オーストリアからのメール◆   デジカメの故障、修理、その他を巡って      




 ■事故
故障!修理?

ある日のことでした。

デジカメは撮影中にうなぎの如くスルリとわたしの掌から滑り、床に落下! あっ、と声を上げた時は時既に遅し、我が子を拾い上げるかのように気遣いながら、身を屈め、無事を祈りながら確認したところ、我が子は重態、あの「はい、それま〜でよッ」という歌が聞こえてくるかのようでした。悔しいの何のと、貴重なものを失くしてしまったような思いに暫し呆然。シャッターを押しても画像が保存されなくなってしまった。

 我がデジカメは従来のカメラと比べてみると、画像の方はまだ心から満足出来るものとは言えません。従来カメラで撮影した画像の方が一段ときれいです。デジカメはまだ改良、進歩の余地有りということでしたが、それでもデジカメが手元にあったお陰で撮影済み画像を全てノートパソコンに保存、いつでも好きなときに取り出して見ることが出来る、それが何とも魅力的でした。


 
先日、販売店のH社のお店に『日本製デジカメの修理は出来るか?」と尋ねに行った。日本製カメラを販売している主だったお店はどこも、『残念ながらうちはやっていない。○○メーカーのものだった らやっているのだが』と断られてばかりいたところ、予想に反して『ここでは出来る』と言うのでした。

日本語の取扱説明書を読むと、外国での修理は出来ません(それがどういう意味なのかはよく分かりませんが、出来ないと書いてありましたから、出来ないのだろうとわたしは素直に納得していたのですが)と断り書きがしてあったので、『出来る』というお店の回答はちょっと意外でした。本当に出来るのか? ビジネスチャンスとあれば何でも受け入れてしまう、そんな外国の商売人の積極性の表れか。


長い話の結論を先に言いますと、結局、わたしは修理の依頼を断念した。何故か。話はこうです。(ちょっと長くなるかもしれませんが)


出来ますよ。でもうち(リンツ市内にあるH社の支店)では出来ません。ウィーンへと送らなければなりません


 わたしの内心:「と言うことは、別の会社に修理を依頼するのだな、多分。出来る、と最初は言っておきながら、実は自分の 会社で出来るのではなく、別会社に修理に出すということなのだ」

 

 『で、修理代はどのくらいになるのでしょうか?』とわたし。


  『それは分からない』と店員。

 
 わたしの内心:「分からない? 本当か。正直に答えているのだろうか。どうも日本人は金持ちだから吹っかけてやれ、といっ たところが無きにしもあらずかも」ついそんな風に思ってしまうわたし。

 

 『あなたは旅行者か?』と店員は継ぐ。


 一時的にこの国に留まっている旅行者なら、二度とこの同じ店に戻ってくることは殆どないだろう。修理代金回収のことを考えての質問か。

 日本語での会話や、他の特定の言語による会話、やり取りに限ったことではないでしょうが、相手の真意を捉えるということ、その意味では当地でドイツ語が出来るということも必要で、現地の言葉が出来ることに越したことはないのですが、直感というのか、霊的にその真偽をキャッチする能力も必要ではなかろうかと感じ入った次第でした。

 外国に来ている日本人は特に金持ち。金持ちでない日本人は外国へと来れない筈だ、という日本人についての外国での評判はわたしに当てはまらないのだが、外面的には日本人と見て取れるから、そんな風に接してくることも多々あった。

 例えば、イタリア滞在中は正にそうであった。いや、もしかしたら日本人(つまり外国人)だから、という理由は当たらないのかも知れません。アメリカ人(イタリア人から見れば外国人)だって良く引っ掛かっているのをわたしは目撃しました。外国人を見て値段を決める。イタリアの商売人の頭の中には国籍・人種別に、別々の価格表が備わっているらしい。

 まあ、この手の話も書き始めるとまた長くなりそうだし、わたしの癖で話があらぬ方へと飛んで行ってしまうことも必至なので、今回はそういうことがあるという事実の指摘だけに留めて置きましょう。

 

どうしてですか?』とわたし。


 『修理先の技術者から修理代金請求がまずうちの店に来て、その請求代金についてお客様にお知らせ致します。 お客様は勿論、その請求に対して“Ja”とも“Nein”とも言えます』と店員。


  わたしの内なる自問自答、質疑応答:

1.「修理代金が幾らになるか、事前に分からないというのはどういうことか。これは詐欺まがいの商売の仕方だ。お店の人自身が実際に知らないのかもしれないが、または知っているとしても知らせたくはないのか。秘密事項か。


 「いくら掛かるか先に伝えてお客様を逃してしまうよりも、売り上げを伸ばすためにもまずは修理注文を受け付けることの方が先決だということか」
 

2.『修理できます』と店員は言った。
   そこでわたしとしては『お願いしませう』と言えば、そこで一応ビジネス関係が成立したのでしょうが、わたしとしては立会い前のお相撲さん宜しく「ちょっと待った!」を掛けた。
 

3.「JaかNeinか、と二者択一の選択権を有する。これは“お客様は神様”の立場に立った、お店の姿勢を表しているのか。日本語の説明書には上述したように、外国での修理は出来ません、と記してあった。

 ウィーンの技術者の手に渡った我が日本製デジカメを検めてみた所、やっぱり修理は出来ない、という結論が確認され、その報告がリンツのお店に戻ってくるということも充分考えられる。
 

4.修理出来る、と分かったとしても、技術者が修理完了させた後、修理代金の請求をお店に、そしてわたし宛にと送ってくるということか。

  細かいことまでたどたどしいドイツ語で店員に問い質すとなると、「この日本人は何を考えているのか、修理して欲しいのか、欲しくないのか、こちとらは忙しいのだ、ハッキリしろ」とイライラするようなことにもなり、日本人全体のイメージを悪くしてはいかんと考えて、わたしは質問をしなかったが、実は面倒臭がり屋のわたしでもあるのだが、でも想像することはわたしの得意とするところだ。
 

5.修理完了後に、請求が来て、わたしが「Nein」と言う返事をしたらどういうことになるのか。

   修理完了済みのカメラを修理前の壊れた状態に技術者は戻して、それを元の持ち主(わたしのことです、勿論)に戻すということになるのか。そんなことは有り得ないだろう。それともあり得るのか。
 

6.わたしが「Nein」と言うこともあり得る。それは計算済みだろう。修理お願いしますとわたしの方から「Ja」を出しても、技術者の方からは、修理できないという結論に至って、わたしからの修理依頼「Ja」に対して「Nein」と言ってくることもあり得るだろう。

  だから、技術者は修理の“見積もり”をお店に、そしてわたしに言ってくるのだ。“見積もり”を出して来るということは、一応「修理出来る(かも知れない)」と伝えてきたことになる。そう考えないと辻褄が合わない。“見積もり”が修 理は出来兼ねます、という報告の形になって出てくることもあり得るだろう。

  わたしから修理に対して「Ja」という確認の返事が来ない限り、技術者は修理に取り掛からないであろう。修理完了後の修理代請求を伝えてくることはない筈だ。


 7.わたしからの「Ja」か「Nein」を伝え聞いた後、技術者は初めて修理作業に取り掛かるか、それとも何もしないかを決める。技術者側の都合もあるだろう。

8.修理を始める前の手続きには日数が掛かる。修理すると決まったら修理完了までの日数も掛かる。完了した後も、修理されたデジカメが手元に戻ってくるまでの日数も掛かるだろう。


 9.店員はそんな風に言わなかったが、そこが商売での言葉の繰り様とでも言うのか、取り様によってはそう解釈してもおかしくない、そんな言い方をした。


 10.修理代金について知りたかった。大よそでも良いからとその点について質問したのだが、修理前にはハッキリと言わず(言えないのか、言いたくないのか?)、わたしが修理依頼の有無に関して「Ja」か「Nein」と言った後で、――もっと正確に記せば、「Ja」と言った場合だけであろう――請求代金(見積もり代金、それとも最終確定請求代金のことか)はこれこれしかじかと言ってくる。

  そう言ってくる時点ではまだ修理に取り掛かっていない筈。請求代金が法外のものと見るか、それとも妥当とみるか、それはお客様がどう思われようともご自由です、お客様に決定権があるのです、と。何となく腑に落ちないと言うか、いやらしいとでも言おうか、そんな風に思えてくるのはわたしの感受性の為せる業か。


 『で、(請求代金に対して)わたしが「Nein」と言った場合には、どうなるのですか? 取引関係はなかったということになるのですか?


 『いや、お客様は(日本円に大雑把に換算して)3000円お支払い頂くことになります。つまり、半分ずつで、お客様は3000円、うちも
      3000円負担するということです



  また、わたしの内なる思い:

 一度関係したからには只では帰さないということだ。見積もりを出しただけとしても、手数料(またはデジカメ輸送料?)としてお支払い頂きますということか。

 まあ、少なくとも“見積もり”を出して貰うために、当のデジカメをウィーンの技術者まで送らなければならない。デジカメがウィーンまで出掛けて行って戻ってくるのに、全て込みで6000円ということか。この6000円という数字はどう算盤を弾いたのだろう?

 「うちも3000円負担する」と言うがそれは本当か。そういう風に言うことで、お客さんのことを思っているお店であると言いたいのか。わたしから受け取る3000円でお店の3000円を充当するのではないのか。お店の真意は一応分からない。

 同じものを普通の国内郵便で送り返したらその半分以下の額の筈。お店を通して、技術者の手に触れたということで、そんな金額が出てくるのか。ちょっと不当ではなかろうか、とわたしは個人的な感情が動いた。

 



 外国にいる自分と日本にいる自分とはどこも違いがないはずだが、外国では何となく事情がまだはっきりしていないので、行動一つ起こすにも慎重になってしまう。

 外国での取引慣習に慣れていないわたし。



 とにかく、修理に出すか、出さないか、それを決めるのはわたしの自由であって、実際、結果的には修理請求(見積もり)代金に対して「Nein」という前に、修理に出すことに対して「 Nein」と言って、わたしは修理に出さなかった。


 要するに、お店との取引は成立しなかった。


 お店は商売をやっているから、それなりの利潤追求となるのでしょうが、修理ビジネスというものはそういうものなのか、と少しくそのビジネスの仕方にわたし自身は疑問の「 Nein」を言いたくなってしまうのでした。

 販売の商品には販売価格が購入者(消費者)の参考用にと価格票が付いている。ところが、修理については修理価格が修理依頼者の参考用にと公表できない、そんなものなのか、と。あるのでしょうが、修理依頼者にとってはあるようなないような、それでいて、ないような、修理価格のあり方。

 先に知らせてもらえないことに対してわたしは「Nein」とやんわりと拒否反応、そのお店を後にしました。お店にとっては痛くも痒くもないでしょう。われわれは縁がなかったのですよ、とわたしは日本的に表現して置きましょう



 




 ■わたしが「Ja 」と言った場合について

 商売のこと、損をしてまで商売はしないでしょう。儲けるための商売であるはずです。請求されてきた金額、つもり見積もり金額を見て、わたしが 「 Ja」と言った場合について考えてみました。

 わたしの最終目的は、修理して貰った結果、カメラが元通りに撮影できる状態に復帰すること。

 この目的達成のためには、請求額がいくらであろうが、法外な請求額だ! と思われても結果的には支払う。修理の金額が問題ではない、といった風にはわたしは考えていなかったのです。

 で、わたしの懐具合と相談して、妥当な金額だと感じ、思って、納得して支払う。勿論、わたしは3000円以上支払うことは予想される。6000円以上の請求がくることも予想される。つまり、修理代として6000円は見積もっておかなければならない。

 例えば、15000円の請求が来たとしよう。それを妥当と感じれば、わたしは「Ja」と言って遅かれ早かれ、つまり修理済みのデジカメと引き換えに支払うことになる。 それとも内金払いか、前払いか? そして、15000円はお店と技術者を雇っている会社との2社間で分配するということか。まあ、支払い後のことは分からないですが。

 とにもかくにも、わたしが修理に出すと決めた。ところが、請求代金を見て、断ったとしても、そのお店と関係したから関係代金を支払わざるを得ないことになっているようだ。わたしの全額負担かもしれない。実情は分からない。お店は儲けることはあっても少なくとも損をするようには動かない筈だ。

 これは通例の、修理ビジネスの仕方というものでしょうか。ビジネスですからビジネスの道に反しなければ、どう儲けようともそれは当事者の自由、その仕方に同意するもしないもその人の自由なのですが、法外な請求が来るかどうかを見定めるのもちょっと見物かも知れないと思ったのですが、そんなちょっとした実験代に3000円も支払うことはちょっと惜しいと自制しました。

 その国の商習慣とでいうのでしょうか、それを知らないと思わぬ落とし穴に落ちます。ラジオを聞いていたら、そんなオーストリアの消費者からの色々な苦情に専門家が答えている番組放送が耳に入ってきた。「消費者は神様」でも元々は人間様、賢くはないと誰かは考えているらしい。


 


 

 ■消耗品

 乾電池だけでなく、オーストリアの電球もよくフィラメントが切れます。わたしの経験です。だから新たに買わざるを得ません。当地オーストリアで買います。日本では幾らするだろうか、という発想はもう出てきませんね。比較的小額のものですから、わざわざ日本から仕入れることもないでしょう。今ではオーストリア経済発展に少し く貢献しているわたしです。

 乾電池やら電球等は直ぐにも壊れた方が企業にとっては好都合、企業が潤うからか、それが国のためになるのか。デジカメ用の乾電池の寿命が短いのも、企業が潤うようにと“細工”がなされているのではと思ってしまいます 。

 消耗品はもうしょうがない、といったところでしょうか。消耗品はいつかは、買えかえなければなりませんね。ただ頻度が、、、、。


 

 

 

 



  
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 その一、

 
MwSt.とは何か? と思われ方もいらっしゃるかもしれませんので、ちょっとだけ解説しますと、ドイツ語の Mehrwertsteuer の省略形ですね。「付加価値税」のこと。詳しいことは分かりませんが、税金の一種。オーストリアでは普通、20%と考えて妥当かと思われます。日本で言う「消費税」と同じものでしょうか。

 その二、

  故障してしまったデジカメは、家族全員、夏休みで日本に一時帰国するという、知り合いに託して、日本で修理してもらうことにしました。修理経費、10000円也。

  その三、

 修理の件、別の場合について、最近の経験をお知らせしましょう。こちらの場合は、どうも腑に落ちない、スッキリしない、後味の悪い気分になります。次回に続 きます。  


                             
                                                                        Marchtrenk, 10.März 2004                

 







 

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