Der liebe Augustin Falco Elfriede Jelinek

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~~~ ~~~~   Viktor E. Frankl  ~~~~ ~~~~            

その一、人物紹介 

1997年9月3日、AP伝として以下の訃報が全世界に向けて 流されました。  

ウィーン(オーストリア)発(AP)――                         

その金字塔的な著作「Man's Search for Meaning」の著者、また今世紀最大の精神医学者の一人でもある Viktor E. Frankl ヴィクトール E.フランクルは心臓麻痺のために死亡、享年92歳。

フランクルは火曜日に亡くなり、葬儀はすでに執り行われていた、とオーストリア・プレス社はウィーンヴィクトール・フランクル協会からの情報として、本日報道した。詳細は伝えられていない。

ウイーンのミヒャエル・ホイプル市長は 以下のように述べた。「ヴィクトールE.フランクルの死によって、ウィーン市、そして世界は今世紀、最も重要な科学者の一人を失っただけでなく、人間精神および心へのモニュメントを失った」と。

フランクルは1942年から1945年までの4年間、アウシュヴィッツの強制収容所を含むナチの4つの収容所にいたが、ホロコーストを生き延びた一人であった。両親そして自分の他の家族たちは強制収容所で 皆死亡した。

強制収容所で苦しみを受けていた期間に、またそこでの苦しみの体験を通して、フランクルは   logotherapy ロゴテラピーと知られるようになった、精神療法の革命的なアプロー チを生み出した。

その理論の中心にあるものは、信念――人間の動議付けられる力とは意味を探し求めるという信念がある、そしてロゴセラピストの仕事とは患者が自分の人生に於ける意味を個人的に見出せるように援助の手を差し伸べることを中心とするものである、患者の状況が如何に酷いものであったとしても、である。

フランクルの教えはジグモント・フロイト、アルフレート・アドラーに継ぐ、「第3ウィーン精神療法学派」と呼ばれている。

その著書「Man's Search for Meaning」は世界中でほぼ900万部売れている。また23ヶ国語に翻訳されている。米国議会図書館はこの本について20世紀の世界で最も影響力のあった10冊の本の中の一つであると評している。フランクル自身がこう述べている。

「自分の人生に意味があるということを知っていれば、最悪の状態にあったとしてもその人にとって生き延びて行く上でこれ以上に有効 な助けとなるものはこの世界にはない、とわたしは敢えて言おう」

 「ロゴテラピー」に拠ると、「意味」というものは3つの方法で発見出来る。

   (1)仕事を作り出すこと、または行動をなすことを通して 

   (2)何かを経験すること、または誰かに邂逅することを通して

   (3)避け得ない苦しみに対して取るわたし達の態度を通して。

「希望がない状況に直面したときでさえも人生に意味を見出すことは可能だということ、このことを我々は決して忘れてはならない」フランクルはこう強調する。この理論は強制収容所で生き延びてきたフランクル自身がその間に徐々に形成していったものである。

「そういうことで、想像し得る最悪の状況さえに耐え突き進んで行くことの出来る人間の予想も出来ない尺度をも証するものである」と書き記している。

ヴィクトール・エミール・フランクルは1905年3月26日、ウィーンで誕生。父親は議会での速記者から社会問題省の局長に登りつめた。高校生のときには社会主義青年組織に加わりならがらも、心理学に興味を抱き始めた。

1930年、医学の学位を取り、その後、女性自殺志願者の治療をする病棟の責任者となる。1938年ナチスが政権を取ると、ロートシルト病院の神経部局の責任者に任命される。この病院はナチ時代初期の、唯一のユダヤ人経営の病院であった。

1942年、しかしながら、フランクルと両親はプラハ近くのテレジアンシュタット強制収容所に追放された。

1945年、フランクルはウィーンに戻り、ウィーン・ポリクリニック病院の神経科の主任になり、25年間その任を勤めた。神経学と精神理学の教授であった。

フランクルが著した32冊の書物、実存的分析とロゴセラピーに関するものであるが、26ヶ国語に翻訳されている。世界中の大学から29の名誉医学博士の称号を得ている。

1961年からは、アメリカのハーバード大学、スタフォード大学、またダラス、ピッツバーグ、サンディエゴの大学と、5つの教授職を得ている。

アメリカ精神医学学会の Oskar Pfisterオスカー・プフィスター賞を授与されている。またヨーロッパの数カ国からもいくつかの褒賞を得ている。

85歳になるまでウィーン大学では規則正しく教えていた。また登山に熱心であった。67歳の時には飛行機の操縦免許証も取得している。

遺族には妻のエレオノーレさんと娘のガブリエレ・フランクル・ヴェセリ博士がいる。

あなたはこの方の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。多分、ご存知でしょう!?

わたしの個人的な思い出をちょっと披瀝しますと、一昔前の、大学生の時、大学図書館でこの本を手に取ったことのあるように記憶しています。当時の語学力で は理解出来るわたしでありませんでした。語学上の理解だけでなく、人生経験も浅い者がどうしてその語る内容を身に沁みるように理解できるものでしょうか。

わたしには難しすぎるということで投げ出してしまったことを覚えています。しかし、Frankl さんはわたしのことを忘れていなかった、と言えるかもしれません。

わたし自身が同じ国、つまりこうしてオーストリア国に住むようになり、つい2、3年前でしたが、オーストリアテレビ局ORFで30分ほどのインタビュー番組が放映されることを知り、録画しました。やはり お互いに(?)気になっていた存在だったのでしょうか。オーストリアにやって来たことで、この方がオーストリア人であることを知った次第でもありましたが、ようやくここに 至ってこの方のその衝撃的な実情を知る時が与えられたともわたしは捉えています。

アウシュヴィッツ。ポーランドの、余りにも有名な(または悪名高き)強制労働収容所があった所ですが、そこともう一つビルケナウを訪れた作家の開高 健(かいこう たけし)が印象を語っています。わたし自身 、今までにポーランドに一度だけ行ったことはあっても、そこを訪れたことがまだありませんので、この作家の描写を読みながら想像するだけですが、 実は当地オーストリアにも、わたしの住むところからそんなにも遠くはないというかそんなにも近くはないというか、考え様、感じ方によっては遠くもあり近くでもあるMauthausen という町があります。ここにも強制収容所があったのです。その建物の壁が残っていますし、今年は特別な記念行事が催されています。  

 

なぜ人は苦しみに立ち向かうことが出来るのか? その意味は? なぜ私たちは生きるのか。

~ With love from Austria オーストリアから愛を込めて~

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