はじめのうち、暗い夜道を歩きながらの、夜間のヒッチハイク、どこまでやれるものか、ちょっと実験してみようと、そんな景気の良いことも考えていた。
ひょいと目を脇に逸らせば真っ暗。そんな夜の空の下、寂しそうな沿道の街燈の光 だけがやたらと痛く目に飛び込んでくる。
まるで暗闇の中を不安そうに一人で突き進んでゆくかのCounter nowような自分。
子供の頃の思い出が、しかも辛い思いが重なり合ってしまっていたのだろうか。子 供ながら怖い夜道を一人で歩いていた自分であった。
何をしていたのか、親のお手伝 いだったのか、親に叱られた幼いぼくは行き場を失い、仕方なく夜道を彷徨っていたのか、良くは覚えていない。
今、こうして夜道を歩きながら、何故か、辛い。辛いと感じている、思っている。どうして、
こんな辛い思いをしなければならないのか。どうしてこうも辛い思いが出てくるのか。
北海道を回ってきて、また本州に戻って来た。ここ下北半島に辿り着いて、どうして突然、こんな辛い思いを持つのか。
自分でも良く分からない。夜に突入して、いまだ寝場所が定まっていない、そんな焦燥感に駆られていたからか、、、、、、。
どうしてか? どうしてなのだろう? 何度も何度もこの質問を、誰かにぶつけるということでもなかったが、
この質問を呪文のように繰り返していた。心の中にふつ ふつと、どうして? どうして? と涌いて来る。
歩き続けていても到達する所が見出せないでいる。だから焦燥感が募る。どこに辿り着くのか、
どこに辿り着く積もりでいるのか、どこに辿り着きたいと思っているのか。早く何処かに、何処でも良い、早く体を横にしたい。疲れた。
この焦燥感、それが昂じて辛い、辛いと思い込まされているのか、どうなのか。暗いから良く見えない。
どこに寝場所が見出せるのか。目があっても目には見えないに等しい。
辛いことは北海道で終わったのではなかったか。それともまだ終わってはいないのか? それがまだ続くと言うのか。
そんなに辛い思いをしてまでも、歩いて行く。何処へ、か。決まっていない。まだ、決まらない。探しているのだ。
でもどこにあるのかは知らない。だから探すしかない。今晩の宿を求めている。どこにあるのか。辛い、と感じている。
何故に、何故に、夜も既にやって来てしまって、それでもまだ外で、とぼとぼと歩いている。どこかに留まりたい。休みたい。
■小学校の関係者に訊く
小学校があった。校舎の戸はどこも閉まっているようだ。当然だろう。石炭貯蔵小屋、
石炭の山の上にでも寝ることにしようかとほぼ心に決めていた。と、ちょうど通り掛った男の子に学校の中に誰かいるのかと尋ねてみた。
「ねえ、ちょっと坊や、小使いさんがいるかもしれない?」
「うん」
教えられた通りに小使いさんがいる所へ行ってみて頼んだ。
「校舎の廊下の所でも良いですから・・・、」
「自分には許可する権限はない、それよりも学校の前にある教頭先生の家に行って訊いてみたらどうですか」
そこで直ぐ近くにあるという、その教頭先生の家へ直接歩いて行った。
「教頭である自分だけでなく、校長でさえも、そういう権限はなく、町の教育委員会だけだ」
ぼくとしては学校の教育関係者に難題をぶつけてしまった、ということがその時には理解出来ていなかった。相手の立場もあるのに、自分の立場のことしか念頭になかった。
「ただ寝るだけです。それだけです。」
少しだけ粘った。
「どうしようもない、すまない。」
「そうですか、分かりました。」
やはり難しいものだと自分の心に言い聞かせながら、でも何故か、諦めきれないといった余韻を相手に感じさせてしまったかの如く、
何となく寂しくも、でもそういうことなのだから仕方がないではないか、と思いながら玄関の戸を勢い余ってぴしゃりと突然閉まったりして、
宛て付けの、しまった! といったことが起こらないようにと、両手でそうならないようにと丁寧に名残惜しそうに閉めて、ぼくは教頭先生の家から離れて行った。
■校庭に戻る、と、、、
元の校庭の方へと戻って行く。どこか校舎の回り、軒下でも、雨が防げる所、人目の付かない所でも探してみよう、と思っていた。
と、先程の小使いさん、その後には幼児を抱いた奥さん、そして暫くしてからは教頭先生の奥さんと出向いて来て、
「良かったら家に泊めてやってもいいが・・・・・・・・・」
今度は一度にお二人から申し込まれてしまった。
泊めさせてもらえる? 知らない人の家に? それも一般の家庭の中で?
そんなこと未だ嘗て考えたこともなかった。
「あの〜、いやあ、ただ寝れる所、つまり体を横たえるだけの場所、勿論、
布団などはいらない、寝袋がありますので、そんな寝られる場所だけで充分です」とぼく。
泊めさせてくれると言うので、教頭先生の所に泊ることに決めた。
■教頭先生のお宅へ
さっき閉めて行った玄関の戸が開けられ、ぼくは後から付いて入って行った。
「夕食はまだでしょう?」
「・・・・・・・・」
答えなくても答えは出ている顔をしていたことだろう。教頭先生の奥さんはさっそくちゃぶ台の上に準備してくれる。
畳の上に胡座を掻きながら、夕食を御馳走になる。
献立が忘れられない。忘れられないから、ここに記しておこう。
御飯3杯、
豆腐の味噌汁2杯、
トマト一個を六等分したもの、
キャベツの千切り、
一本のハムを若干幅太く千切りにしたもの、14,5切れ、
海胆(うに)の佃煮、
リンゴの甘煮。
「御飯足りないでしょう?」
「・・・・・・・・」
ぼくの食べっ振りを目の当たりに見て、多分、少々驚きながらも、ぼくの様子を見てぼくからの回答は既に耳に達していたに相違ない。
別に催促はしなかった。催促する立場にある自分とは思えなかった。が、即席ラーメン一杯、
中茶碗一杯分のえんどう豆と、更に追加メニューがちゃぶ台の上に加わった。
お茶の美味しいこと!
何杯飲んだことか、数え切れないほど自分でお代わりした。
満腹。夜は、いや、世は、いやいや、余は満足であった。
「お風呂に入りなさい」
お風呂から上がって浴衣に着替え、食事をした元の部屋に戻ってくると全てが片付いていた。
接待用のテーブルが出されていた。そのテーブルの上に今度はデザートとしてだろうか、実の大きいブドウが一塊、
乗せられている。「次はこれを食べなさい!」 そう思ってしまった。
美味しいお茶をまたまた飲み続けていた。どうしてこうも美味しいのだろう。元気が盛り盛りと出てくるように感じられる。至れり尽くせりだ。
久し振りに落着いた。ついさっきまでは、真っ暗な夜空の下、道路沿いの電柱、
傘を被った裸電球だけがその存在を雨降りの中でぼんやりと主張しているかのようであったが、
ぼく自身は傘も被らず、小雨に降られながらも、濡れていることも気にせずに必死に歩いていた。
それなのに今、こうして屋根の下、天井の下、家の中にいる。この違い、余りにも違いすぎる。
歩いている時分には想像も出来なかった出来事が自分に起こっている。なんと不思議なことだろう!
ソファーに腰掛けながら、持参の、旅のガイドブックを見たり読んだり、――これから東北地方を回って行くことで大体のコースを決めたいと思っていたので、
――テーブルの上に何気なく置いてある、目の前の新聞を手に取って読むというわけでもなし、何か変ったことが日本で、
世界で起こっているのかと何の気なしに紙面を眺めたり、ここ一ヶ月強、旅に出てからというものは新聞もラジオもテレビも個人的には何ら関係なく、
更にテレビの方に目をやって久しぶりに四角い画面に見入ったりしながら、就寝までの時間が来るまで
―――でも何時になったら寝ることになるのだろう? と少し気になり始めてもいたが、―― ゆったりと満ち足りた気分に浸っていた。
■寝床の中での自問自答
「そろそろ寝たら・・・・・」
お呼びが掛かった。
敷布団3枚! 丹前、掛け布団、毛布と豪華な床だ。
床に入ったのは午後10時10分頃だったが、就寝前に全く久しぶりに風呂に入ったことで全身の血液の循環が活発になり、
しかも床の中、何故か蒸し暑かったことも手伝ってか、暫くの間、寝付かれない。
こうして今、この寝床に入っている自分とは一体何者なのだろうか。ふっと考え始め、
この点を巡って思いがぐるぐると回転しているのがこめかみ当たりが活発なことで分かる。この一つの考えに取付かれてしまって寝入れない。
有り得ないことが起こってしまっている、と興奮していた。
この部屋には自分一人が寝かせてもらって、家の中、別の場所ではもう静かに寝息を立てているかも知れない親切な人たちのことが思いやられるのでもあった。
玄関から家の中に一緒に入って来た時に教頭先生が言われたことが思い出された。
「この家に入ったからには私の言うなりにして下さい。」
一般の民家、家庭に泊るなんてこと、しかも見ず知らずの人を泊めるなどということ、そんなことは有り得ない。
そんな自分なりの都会的な(?)考えを持っていたものだから、それとは逆のことが自分の身に起こってしまったので、
いや、いま正に起こりつつあるということで初めは驚き、そんなことがこんな自分に起こっても良いのであろうか、
と暫く本当に悩む。教頭先生の御家族にとっては有り難迷惑ではなかったのだろうか。
でも悩んでいても仕方ない。既にもうこの家の中に居り、色々とお世話を受けている最中なのだから。
こうなったら成るがままに身を任せるしかない。「言うなりにしてください」と仰って下さっていたことだし・・・・。
誰であるのかも知らない、分からない、どこの馬の骨とも分からない、以前何処かで一度も会ったこともないし、
そんな見ず知らずの人を、一体全体どんな人なのかも知らないのに、それなのに、それなのに結果的には何の躊躇もなく一泊させて上げる。
一泊させて頂いたぼくにとってはそれがちょっと意外に感じられた。この世に、この日本にそんなことって有り得るのだろうか。有り得る、らしい。
一泊を提供する方にしてみれば、そんなこと、別に取り立てて問題にすることでも何でもない、
当然なことだ、困っている時にはお互い様と考えているのかも知れない。そういうことにびっくりしている君!
それを特に問題視している君の方が、おかしいのよ、などと言われてしまうかもしれない。
こういう旅をしていて、旅先でこんなにも親切を受けると、本当に親切の有り難味を感じる。
受けた親切を何らかの形でお返ししたいものだと思う。
この長い旅にはじめて出て、北海道へと向けて東北を北上していたあの頃の、同じ東北――、
お寺に、神社に頼みに行った、その頃の自分のことを思い出してもいた。北海道一周の旅を終えて、
ひと味違う自分になっていたということなのだろうか。人を信頼し、人に信頼される素直な自分になっていたのだろうか。
そうだ、言うなりに従っていれば良いのだ、とまたも相変わらず戸惑いながらも、勝手に納得して、心を安心させて、知らぬ間に寝入ってしまったようだ。