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「第51日」 

                  19××年9月25日(月)晴れ  大畑→ 陸奥

 

 ■起床のタイミング

 目が醒めた。午前5時頃だったろうか。寝転がったまま天井を見上げていた。

 何時に起き上がったら良いものやらとタイミングを考えていた。


  「出掛けますから。食事の用意が出来ましたから」

 午前7時前、教頭先生の声が掛かった。直ぐ起き上がった。 と同時に寝床も直ぐに片付けられてしまった。教頭先生と小学二年生の娘さんは家の前の学校へ と一緒に出掛けて行った。





 ■朝食も御馳走になる


   ・ワカメの味噌汁2杯、
   ・昆布の酢醤油漬け、
   ・魚二切、
   ・かぼちゃ、
   ・えんどう豆、
   ・海胆の佃煮、
   ・生卵一個、
   ・御飯は4杯。


  ちょうど日本の首相が中国は北京へと飛行機に乗って向かう所だ。そんな朝のテレビ中継を見ながら、家に一人残った奥さんと出来るだけ話すようにした。


  「これからはどちらへ行かれるの?」

  「ところで、お昼はどうするの? おにぎりを持って行きなさい」

  3個作ってくれる。昼食までも御馳走になるとは! 

 素泊まりの積もりであったのが、泊るだけでなく三食も御馳走になってしまった。 しかも落着いた気分になるように気を使ってくれる。至れり尽くせりだった。


 我々人間一人一人生きて行くのに何が大切だろうかと思った。それは人と人との信頼ではないだろうか。

 どうしたら信頼関係が成立するのだろうか? 自分を信頼し、相手を信頼する。 そこで初めて嘘のない人間関係の成立が有り得るかもしれない。そんな期待、 希望が持ち得るのではないか。そんな風に思われた。そんな兆候みたいなもの、 その一端を垣間見たような気がした。






 

  ■ 今日の予定

 一、下北半島中央部に位置する恐山(オソレザン)
 二、宇曽利山(ウスリヤマ)湖

 午前10時、恐山までの距離が14kmの地点、田名部(タナブ)市街から歩き出す。歩きながらもヒッチすることを忘れてはいない。

 一台目、営林署のトラックに乗った。二台目、来月には厚木に行く予定だという青森の人が運転する乗用車に乗ることが出来た。


 午前10時半、恐山入口に着く。宇曽利山湖畔の道路を通過すると異様な、そう、硫黄の臭いが鼻を突く。湖畔は黄色く煤けた砂とも土とも見分けがつかない。足を乗せると沼の如くズブズブと沈むようだ。

 入山料を払って囲いがしてある中へ入ろうかどうしようかと自分と相談し始めた。結論が出るまで暫くは入口で、 カメラを構え、どの構図で撮ったならば恐山の恐山らしさを外から写し得るものかと色々と場所を移動、右往左往していた。結局、正面から撮ったのであるが、そんな行動に何かを見て取ったのだろうか、 ―― そんな風に見えたとしても、プロのカメラマンでも何でもない――それとも単なる暇つぶしだったかも知れない。

 中腰の姿勢でカメラを構えていた様子をずっと眺めていた弘南バスの運転手さんが近寄って来た。

 「どこから来たの?」

 「神奈川県」

 「これからどこへ行くの?」

 「岩手の方へ」

 「それなら、岩木山へ行く積りか?」

 「ええ、出来たら行って見たいですね」

 何のお膳立ても整っていなかった、ちょっとした会話とでも言えようか、それがなぜか後々まで印象深いものとして心の内に残った。

 北海道の層雲峡を歩いていた時、自転車を押しながら登って来た女の子にちょっと声を掛けたことがあった。

 「あの〜、この近くにあるYHはどういった所ですか?」

 彼女は色々と快く答えてくれた。そんなことがいつまでも忘れられない。そういう名も知らず、 住家も知らない人、場所もそれだけを抽出してしまえば別に何の意味もないのだが、人と場所がちょっとした切っ掛けがお膳立てとなって、その現場に居合わせていたということである種の感銘を後々までの残してくれる。


 宇曽利山湖を写真に撮ろうと場所を色々と変えてみるが、カメラ側の構図枠が小さ過ぎるのか、現物の風景が余りにも大き過ぎるのか、良い場所が得られず、まあ、ここで撮ろうと一枚決める。結局、何処でも良かった。ズーム付のカメラではなかった。





 腕時計にちらっと目をやった。

 もうお昼時か! 

 午後1時になんなんとしていた。伊藤教頭先生の奥さんから頂いた、おにぎり3個のうち2個を食べる。

 回りには誰もいない。太陽も頭上に輝いている。湖はキラキラ、逆光線気味だったが、湖を背景に自動シャッターを使って自分一人を撮る。現像して見ないと顔が写っているのかは分からない。

 ススキが風で大きく波打つ湖畔。腰を下ろして、回りに誰もいないことを確かめては、また確かめながら、一人で歌を歌い出した。

 周囲の雰囲気がガラリと変わった。旅での雰囲気作り、我ながらの直感的な旅の演出に内心得意であった。

 人に聞かせるためではない。歌ってみたかっただけ。何となく心がき浮き、その心の発露。でも誰かがこっそりと聞いていたら仰天していたことだろう。誰かがいる、聞いていると知ったならば、途端に歌うのを止めてしまっていただろう。幸いなるかな、誰もいなかった。確認するかのように周囲を見回しながら、耳を傍立てながらも最後まで歌っていた。そして次第に自分の歌に酔って、誰かが聞いていたとしてももう気にならなくなった。

 風は少し強かったが、抜けるような青空に白い雲があしらわれた向うの方には影になった所だけを見せるほぼ正三角形の山と宇曽利山湖。

 天気が余りにも良いので、この機会を無駄にすることもない。上半身裸になって、30分間、 昼寝を兼ねた日光浴。自然の懐に抱かれているかのような自分に満足であった。





  ■親切な東北の人たち

 帰りの道、ヒッチした車は一台だけ。女性ドライバーだった。ヒッチハイクをしていて女性ドライバーに拾われたのはこれが初めて。

 結構な美人だった。助手席には名古屋から下北に訪ねて来て、多分明日にでも帰るであろう妹さんらしい女の子。女性運転手さんは一年前、仕事の関係でこちらに移って来たのだそうだ。こちらの方が住み心地は断然良いと仰る。

 「人も親切でしょう?」同意を求める。

 「ええ、本当にそうですね」

  教頭先生の家族のことを思い出していた。

 下北半島なら知らない所はない、親戚が来る度に下北を案内するので、恐山には既に五度も行った。そう教えてくれる。

 「中には入らなかった」

 「あらっ、そうなの。中はもっと広いのよ」

 そうだったのか、ちょっと後悔に似た念に襲われた。もっとも恐山という名前に恐れをなしてしまい、中へ入って行くことを躊躇い、また入って行ったとしても何をする積りだったのかも良く分からず、結局、入山は割愛したのだった。

 下北YHへと向う道路で別れた後、道路脇を歩いていると再び女性ドライバーが止まってくれた。彼女だった。乗せてくれた。美人であることをもう一度確認した。運転中の彼女は前向きのままで話していたので、顔は見えなかった。ミラーにちらちらと写るのを後席から眺めさせてもらっていたが、こうして後ろから見ても確かに美人だ。美人だった。美人はいる。 美人さんに乗せてもらったことで何故か一人で嬉しがっていた。  
 

 

 

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