「第52日」 19xx年9月26日(日)曇りのち雨
陸奥→ 青森
午前6時、起床。 朝食が済むと殆どのホステラー達は、YHからそそくさと発ってしまった。 一方、ぼくはと言えば、呑気なもの。しかし、この下北のYHには通算で2泊目であったが、金輪際、
二度と、いや、間違えた、三度と泊りたくはない、と思った。公営だということで、建物や中の設備等は整っているのだが、
電話予約を受けに出てきた男性の声、だから男声、そして実際に会ってみるとその通りだったのだが、声だけではない、
人間としてもいや〜な感じ。感じ悪い、全く。ムカッとなってしまう。ムカッとなってしまったのはぼくの為せる業であったが、
ムカッとさせられるような応対振りが気にくわない。 その朝、ぼくと一緒にYHに最後まで残っていたホステラー、ここでは2泊したそうだが、後で彼に聞いてみると、
「追い出すようで良い気持ちがしなかった」とのこと、全く同感、同感。
午前8時45分、YH出発。 日本初の、原子力船「陸奥」が近くにあるということで、序に見に行ってみようとその方角へと歩いて行く。 それらしき船が見えて来た。 「なあ〜んだ、あんなものか、それだったらわざわざ近くまで行く必要もないだろう、中に入って
見学でもさせてくれるわけでもないだろうし・・・」と思って、踵を返し、野辺地(ノヘジ)の方へと向かって歩いて行く。 国道279号線に沿って歩いていた。もうヒッチを試みてもおかしくはないだろうという所を過ぎてからは、
来る車ごとに手を挙げて意思表示をするが、全部素通り。もう一時間以上も歩いているというのに、、、
これでは歩いて行くしかない。そう決め込んで歩き続ける。 どうしたことなのだろうか。運転手さん達はヒッチハイクといった旅の仕方を知らないのだろうか。不思議だ。 何が不思議かって、本州に戻って来て感じたこと、それは北海道でのヒッチハイクと比べて勝手が違うということであった。
手を挙げれば、それも普通2、3回のうちに車が止まるという北海道での体験がまだ体全体に染みこんでいたので、
そんな風にうまく行かないということで戸惑っているのだった。 俺のヒッチハイクの仕方が間違っているのか? 下手糞なのか?
色々と自己分析をしながらもヒッチハイクに自信を失いがちになってしまう。
背後から、木材を積んだドラックが猛スピードですっ飛んでくる。その勢いに身の危険を感じて
道路の端に身を寄せて通過するのをじっと待っていると、運転台の運転手さん、手招きをして前方で止まる。
「乗って行け」ということらしい。 急いで駆け寄る。乗せて貰う。眠いので話し相手が欲しかったとのこと。大畑と八戸との間を往復しているとのこと。
午前10時17分から約1時間。 青森まであと41kmの所で下車。午前11時20分。道路が特に狭く感じられる。 野辺地の海岸線沿いの道路を歩きながら、そろそろ昼だなあ、それに少し疲れてきたなあ、
休憩を取るのに適当な所はないかなあ、と思いながらやって来た。 そこは神社だった。その境内に一人、腰を下ろす。ビスケットを食べながら、地図、ガイドブックとにらめっこだ。
目の前、前方、下の方は黄色く実った稲畑、遥か向うの方には八甲田の山々なのだろうか、それに鉄道鉄橋に
電車または汽車が時々思い出したが如く走り去って行く。風も冷たく、半袖だから尚更寒気を感じた。 午後1時半に重たい腰を上げ、再び歩き出す。 気がついた時には国道4号線に沿って既に一時間半も歩き続けていた。途中、休憩を20分間取った。 午後3時半に本日、2台目の車を捕まえる。青森市内にちょっとだけ入った所までだった。雨が降り出し、
青森の中心へと急いで歩く。が、余り早く着いても所在無いのが常、気が変った。ゆっくり歩いて行くことにした。
途中でお店に寄ったり、また夕食の積りでデパートの食堂で久し振りに100円のラーメンを食べたりした。 午後6時23分、雨がネオンに照らし出される中を通ったりしながら、青森駅にやっと着く。 すぐ待合室へ行き、腰を下ろし荷も背中から外して自分の側に下ろす。ここの待合室は結構広く、
両隅にはテレビがそれぞれ互いに競争しているかのごとく、そんなにボリュームを上げなくとも聞えると思われるのに必要以上の
音声で束の間の視聴者の奪い合いをやっているみたいだ。寝入れる時間が来るまで、そんな待合室で辛抱強く待っていた。 今、真夜中の零時。全然寝入ることが出来なかった。しかも追い出されてしまった。長いこと待っていたのに、
そんなことだったら最初からそうするつもりだったのだが、外で寝るしかなかった。 |