「第53日」
青森→ 奥入瀬
「おっ、カニさん、頑張っているな」 そんな声に促されて起き上がってしまった。 朝。午前5時50分だった。駅の外、軒下で寝ていたのはぼく一人だけであったらしい。他には見当たらなかった。
もしかしたら僕よりも早めに起き上がって何処かへと行ってしまったのかも知れない。 十和田湖へと通じる道路を歩いて行く。
バイパスと交差する所に出て、さてと、右か左か、どちらの道へ行けば良いのかと思案にくれていると、道路標識、
よくよく見て考えてみると設置されているのが右側だ、本来、左側になければおかしい。
標識によれば再び青森に戻って行かなければならない。
どこから出てきたかと言えば青森、そして青森へと戻って行きたいというわけではない。
通りすがりの人に訊いたら、やはり
「そう、間違っている!」、
「置き場所が間違っている!」だった。
ぼくの推理は正解だった。後で分かったのだが、酸ケ湯(スカユ)まで22kmとなっていたが26km
となっていなければならなかったのでは、
と道路標識の変な間(場)違いに勇気付けられ別の間違い探しをやってしまった。
バイパスに出るまでの道、両側は民家が最後までぎっしりとひしめき合っていて、
ヒッチしようにも車は家の前に止まって交通の妨げになることを危惧してか、止まろうとしない。
だから民家が見えなくなるまでどんどんと先へと進む。
さて、ここからだったら出来るかなと、来る車ごとに手を挙げてみるが、車も団体で来たりして容易には止まらない。
こうなったら歩いて行くしか前に進む方法はない。だから更にどんどんと歩き続けた。 天気も良く、また山に近づくに従って、両側は木々の緑で目に染みるくらい、その鮮やかさを放っている。 とうとう雲谷峠(モヤトウゲ)に差し掛かるであろうという登り坂の手前まで来てしまった。
坂を歩いて登っては行きたくないという心が働いてヒッチを試みるが相変わらず駄目だ。 それよりも天気が良い。余りにも良過ぎる。こうなったら昼寝だ。 道端で30分間。 峠までずっと登り坂であることは言うまでもない。 歩いた。歩き続けた。 汗を掻き掻き歩き続けた。もうこれで十分! と思われる程歩いた。が、それでもまだ峠には到達できない。
雲谷スカイランドの上にある建物がそこまでと見えてきた。が、そこへ辿り着くのに更にぐるりと弧を描くようにして登って行くという遠回りだ。 午後零時30分、漸く入口に着く。青森駅を出て通算3時間50分歩いたことになる。 しかし、歩くことはこれで終ったわけではなかった。まだまだ歩かされた。それとも歩いたのか。 頂上で冷たい風の吹く中、テーブルに腰掛け、バターロール5個を次から次と食べた後、直ぐに高原まで8kmの道程を、
下り坂と思っていたら、それも束の間、直ぐまた登り坂である。 もうヒッチすることなど念頭になかった。とにかく高原まで歩いて行こう。歩き続けるのは辛くはないと言えば嘘になるが、
そんなに深刻な気持ちで辛いと思うほどでもなかった。寧ろ歩くことに期待というのか、元気というのか、そんなものが残っていた。
上ったり下ったり。下りも全般的な行程から見れば、上りの過程での下りというだけで、ひたすら上る道路。 上って上って上ってそのまま天へと上って行けるのか。紅葉も綺麗だが、
それをゆっくりと落着いて鑑賞していられないぐらいに心のエンジンはフル回転、先を急ぐ。どうして急ぐのか。心に決めた暫定的な目的地まで、
ヒッチも殆ど出来にくい道路で、果たして無事、歩きだけで目的地までに到着することが出来るかどうか、
危惧する心に脅かされて(大袈裟か?)心に余裕など持つことを許さないのだ。 歩きながらもリュックサックは背負ったままである。背中全体にぐっしょりと汗を掻き、それに体全体も疲れがひしひしと感じられ、
もう休憩を取らなければ進めないと思って、それでも休むのに適当な場所が見出せるまでは歩き続け、漸く見つけた所、
芝生も今の時期では枯れ果ててしまっていたが、それがかなりの範囲に渡って広がっている。そして前方には
八甲田山(ハッコウダサン)が間近に望まれる、 背中が痛む。足も痛む。さて、そんな痛みを確認するだけのような休憩を取っていると
目的地に着けなくなるという強迫観念が迫ってくる。15分後には立ち上がって発つ。 暫く行く。と、標識だ。「萱野(カヤノ)茶屋」と出ている。 あれれっ、と思う。 そうすると今、休憩を取っていた所は「萱野高原」ということになるのか。まだ1時間しか歩いていなかったので、
あと1時間は歩かなければ着けないと思っていた、その高原に既に知らぬ間に到着していたとは!
あの枯れた芝生がそうだったのか! 休憩所でYHに電話予約を入れる。 「焼山(ヤケヤマ)まで歩いて行くのです」と店の人に伝えると、 「まだ44kmはあるよ、日が暮れても着けないだろう、バスに乗って行け」 勿論、バスに乗って行く積もりなどはないし、謂わんや、全行程を歩いて行く積もりなどもさらさらない。
途中でヒッチしなければどうして今日中に焼山に着けるだろうか。酸ケ湯(サンガユ)までは10kmだ。 トラックが来た。「酸ケ湯までしか行かんよ」ということだった。が、とにかく乗せてくれた。午後3時過ぎ、
10分間ほど。漸くにして、今日はじめてヒッチ出来た車という感じだが、止まってくれた時、呆気なく止まってくれたと思わざるを得ない。
止めるまでが結構大変なのだが、止まって乗せて貰えれば、今までの止めよう止めようとしていた
自分の止め処も無いような苦労なども直ぐに忘れてしまう。
報われた、と感じた。 次ぎの2台目の乗用車だってそうである。午後3時41分〜午後4時10分まで。この運転手さんは浮かない顔をしていた。 「俺はなあ、東京から青森に転勤させられた男だよ」と言う。 「これが転勤された後の顔だ」と続けて言わなかったが、顔にはそう書いてあった。 使用前と使用後、ではなく、転勤前と転勤後。転勤後の顔は見て分かったが、転勤前の顔は想像するしかなかった。 しかし、乗せてもらう時、「旅は道連れですからねえ」と味なことを言うのだった。
良く聞けば学生時代、YHには何百泊も(!)して旅をしたとのこと。凄い! 我が旅の先輩だ。 午後4時半、奥入瀬(オイラセ)YHに着いた。おいらも奥入瀬にとうとうやって来た。 |