ほぼ4百人万のドイツ人はドイツ語が読めない、書けない、と。 ドイツ人なのにドイツ語が出来ない?!
そんなこと、あり得るのか!?
ドイツ人だったら誰でもドイツ語が出来るものとわたしは当然の如く思っていたのですが、これはどういうことなのでしょうか!?
400万人という数字を見て、つい思い出してしまいました。じつは、昨今のドイツの失業者数も同じような大台を突破しているのですよね。
これもドイツでは大きな社会問題となっています。
この世界、問題がない国などどこを探してもないとは思いますが、、。
オーストリアの隣国であるドイツ国からの話題を提供致します。
ドイツでは格調の高い Die Welt 紙からです。
http://welt.de/data/2004/09/08/329794.html
「世界文盲撲滅の日」に向けてドイツの教育関係者は今までタブー視されてきた問題を白日に晒す。文盲の人たちが仕事を見出せないことはしばしばで、また日々の生活で克服しなければならない問題を色々と抱えている。
ベルリン発: −−文盲の人たちはテレビ番組を読み出すことも、また列車等の時刻表も理解出来ない。電気製品等の取扱い説明書に至ってはちんぷんかんぷん。ドイツに住む約400万人は文字(この場合はドイツ語のことでしょう)を読んだり書いたり出来ない状態だ。文盲者たちはしばしば仕事を得ることが出来ず、社会的に孤立、日常生活ではたちの悪い課題を抱えている。こうした堂々巡りの状態から脱却出来るのはごく一部の人たちだけ。年間、約2万人の文盲者たちは成人学校やそうした団体へ通って読み書きを最初から学ぼうとしている。
ドイツでは「完全なる文盲者」といわれる人の数は僅少である。が所謂「機能的な文盲者」といわれる人たちはちょっとした要求事項に対しても自分で対応出来ない。書類の各項目について必要事項を記入することも、自動販売機を利用することも出来ないし、書かれた文章を理解することも出来ない。こういう人たちは既に学校に通ったことがあるのだが、読み書きが殆ど満足に出来ないので日々、解決しなければならない問題を抱え込んでしまっている。だから大抵の人たちは社会・職業生活に参加することが出来ない。
文盲者たちの生活状況について調査した研究によると、61パーセントの人たちは学校(初級学校のことと思われます−−筆者)を卒業していない。71パーセントの人は職業訓練を受けていない。41パーセントの人は失業中である。こうした欠陥は明らかに個人生活に重大な影響を及ぼしている。つまりインタビューを受けた人のほぼ半分の人たちは一人住まいだ。
文盲者のいる家庭ではしばしば、信じがたい堂々巡りが展開する。なぜかというと親が文盲者であると、子供たちの学校での学習を手助け
してあげることが出来ない。
年間、8万人以上の子供たちは小学校を卒業せずに中途退学してしまう。そうした子供たちの多くは親たちと同様に読み書きが殆ど出来ない。
たとえ卒業したとしても、専門家の言によると、それで読み書き能力が充分にあるという保証は得られない。と言うのも水泳とかランニングといった筋肉を使う能力とは違って、読み書きという能力は覚えたとしても何もしないでいると忘れてしまうものなのだ。文字を殆ど読まない人は結果的にことばに対する理解も悪い。
ドイツにおける文盲状況については色々と原因がある。ひとつは家庭内での人間関係に問題があるということ、また両親と一緒に住む家では教育や読むということが何の役割・価値が見出されないものとされているということ。テレビやビデオを見る時間が多いことや電話、ハンディの使用で文字を読む煩わしさもなく情報を簡単に得られるということ。ドイツの子供たちは平均、週
17時間半、テレビの前に座っている。
ドイツの子供たちはテレビの前に一日、17.5/7=2.5、 毎日、平均して2時間以上テレビを見ている。多分、子供たちに人気のある、日本のアニメ等を見ているのでしょうね。
わたしもテレビ画面の前に偶に一日一回ほど、座ることがありますが、それは世界ニュースを見ることか、音楽と自然の風景と人とがミックスされた音楽番組しか見ませんね。それよりもコンピュータ画面を見ている時間の方が長い。こうして、今も書き綴っている最中です。
DIE Welt紙の報道記事を読みながら、三重苦(目は見えない、耳は聞こえない、口は話せない)の ヘレン・ケラーさんを思い出しました。
意思疎通のために大変な苦労をされたようです。彼女自身だけの決意・努力・熱意・向上心だけでなく彼女をサポートしたサリヴァン先生の教育者としての才能がすぐれていたからでしょうね。個人的に全身全霊を投入、ヘレンさんを助けるために自分自身を完全に投入されたのですよね。
障害を克服したヘレンケラー。
比較がちょっと極端で唐突過ぎるかもしれませんが、ヘレンケラーさんの極端な状態から見れば、
ドイツ語国の文盲者たちのそれは、それでも”軽症”と言えるでしょうが、勿論、当人たちにとっては”軽症”ですよ、などと慰めて貰いたくもないのが本音でしょう。
当事者とって、当該者にとっては、厄介な重大問題です。
人間は自分は表現するために生まれた来たと言える。表現方法はいろいろとありますが、この世に生れ落ちて見れば、見えない、聞こえない、話せない、勿論だから書けない、表現できない、ないない尽くしの状態になっている自分であるとは思いもよらなかったことでしょう。
人間は社会的存在でもあります、それなのに社会的に孤立してしまい、人間関係が正常に機能しない状態は異常、悲劇だと思います。
わたしみたいに外国語(英語やドイツ語等)を学んでいる人にとっては、考え様によっては、やはり”ドイツ語文盲”に 属するのかも。わたしも文盲状態から解放されようと日夜足掻いております(笑い)。 Augen
zu und durch!(Marchtrenk 26.August 2004)
オーストリアでも問題!?
Analphabetismus, ein Tabu?
Jeder vierte Erdbewohner kann kein Formular ausfuellen oder auch nur den
Beipackzettel zu Medikamenten verstehen. Selbst in Oesterreich koennen - laut
UNESCO-Schaetzungen - trotz Schulpflicht 300.000 erwachsene Oesterreicher nicht
ausreichend lesen und schreiben.
Hier zu Lande stellt vor allen die Gruppe der funktionellen Analphabeten
ein Problem dar. Trotz Pflichtschule sind fuer die Menschen Zeitungs-
oder Buchtexte so wenig verstaendlich wie chinesische Schriftzeichen.
Sie trauen sich allerdings nur selten, Hilfe in Anspruch zu nehmen. Eine
Ausstellung in Graz mit dem Titel "Die Welten der Woerter" widmet
sich derzeit dem Thema Analphabetismus. Die Volkshochschule in Linz bietet
Kurse an. Infos unter
www.alphabetisierung.at.
vom 05.08.2005
http://www.nachrichten.at/leben/377234
(Marchtrenk 28.August 2005)