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オーストリアの、お隣さんも、、、だから
お隣さんの芝生はもっと青くきれいに見えま〜す」
よく引き合いに出され、言われ聞かれました。今でもそうでしょうか。
学校で英語を学んでいたときに、お隣さんの真似をする、という意味だよ、と教えて貰った時の印象が今もって強烈に残っています。あなたもご存知ですよね。
こう言います。
Keep up with the Joneses
ジョーンズさんの人たち(ジョーンズ一家)と歩調を合わす、とでも直訳できましょうか。
「お隣さんと見えを張り合う」と手元の英和辞典には載っています。
「ねえねえ、お隣さんがピアノを買ったわよ!」
「家も買いましょうよ、ねえ」
これは日本でよく聞かれた話でした。
お隣さんが買ったとなったら*家*だって買わなければならない、と親たちは密かに語り合っていた、とか。
*「家」*とはイエのことではなく、我が家ワガヤ、内、ウチのこと。お隣さんが”ピアノ”を買った
からと言っても次には”家(建物のそれ)”も買わなければならない、という意味ではありません(笑)。
* *
さて、オーストリアに戻りましょう。
土曜日、午前中、お隣さんは芝刈りをしている。電動芝刈り機の騒音が遠退いたり近付いたり。閉め切った二重窓だが、それでも聞こえて来る。そうか、家(我が家)でも芝を刈らなければならないようだ。
オーストリアの、我がお隣さんはピアノを買ったのではなく、芝を刈ったのでした(笑)。
これは大人の、意識(または無意識?)の世界での話し。
朝、太陽が東から昇って来ます。照っていれば、の話でもありますが、外から中が丸見えにならないようにと、また室内のインテリアとしてカーテンで窓を飾ったりするのは当たり前となっていますが、ガラス窓を通して朝日が射してきます。いいものですね。朝ですよ!!! と目覚めさせてくれます。恵み多き太陽。
今の季節、まだ夏です(と思います)が、雨戸、というか、シャッターは夜になっても降ろさないことが多いです。寧ろ、窓は開けたままで寝たい。何故か、閉め切った寝室は自分が吐く息で蒸し暑く
なり、重たくなり寝覚めが悪くなるようなのです。新鮮な空気を吸いながら寝たい。私にとってはもう一昔前の日本一周ではありましたが、その時の癖でなるべく自然児であり
続けたいと今以て願っています。
ところが、窓を開けて置けば、別の心配もあります。網戸が張ってあるので蚊の侵入は防げますが、近くのハイウェーを重たく走る長距離トラックの騒音が開けた窓から静かな夜の空気を伝って耳元まで押し
寄せてくるのです。快適に寝入れない。
* *
その夜、その綺麗に刈られた芝生の上、家の前の、芝生の庭ということになるのですが、一人息子、オーストリアの小学一年生のF君がプロのスポーツ選手のお父さんに手伝っ
て貰って、テントを設置していました。こちら(我が家)の二階の窓から、ちょっとした高所からお隣さんの芝生の一部が眺められるのです。
我々お隣さん同士であることには違いないのですが、住家と住家の間には見えない境界線があり、見える形での境界線ということで金網が張り巡らされていたり、高く大きく葉っぱがたくさん生えるようにと、色々な樹木が植えられています。そうです、生垣の境界線。高所からは見えますが、地上にあっては将来、お隣さんの庭の様子が見えないようにと意図しているかのようです。我が家の城といった塩梅でしょうか。
近所付き合いはそれなりにしてます。が、家は家、お宅はお宅という線も敷かれている。敷かれていながら、お隣さんが為すことに時には無関心ではいられない。意識する。外で大声がすれば、だれかお客さんでも来たのかな、と思う。
そうそう、お隣さんは芝を刈った。それならば家も刈ろう、という意識が働く。というか、季節が季節なのか、芝が伸び、伸び過ぎてしまう前に刈り取る。
お隣さんは、個人的な、私的な動静等を人様に見せないように、見られないようにとプライバシーを守ろうとしています。お隣さんのプライバシー的なことに鼻を突っ込むようなことをする私ではありませんね。
突然大声でも聞こえてくると、隣の人は何する人ぞ、と思ったりすることもありますが、別に根堀り葉掘り首(実は鼻かもしれませんが)を突っ込んだりするような性質ではありません。お隣さんだってそうでしょう。お隣さん同士ではありますが、そこには自ずとやはり別の見えないお隣さん同士の境界線が引かれていると言えましょう。
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* *
お父さんにテントを張ってもらった。ああ、芝を刈っていたのもそのためだったのか、と思い遣った次第でした。
テントを張って、どうしたのか。
勿論、その中で遊ぶことも出来たでしょうが、その一人息子のF君はそのテントの中で一晩を明かした、寝たということでした。
一人きりで?
お父さんと一緒に?
それは知りません。わたしは鼻を極度に突っ込んでいません。
このニュースが近所の子供たちの間に伝わった。どのように伝わったのか、ハッキリしたことは分からないが、F君本人が知り合いの友達等に教えたことが考えられます。
さて、次の日のことです。
何が起こったか。
ぼくもやってみたい。と、我が家の左隣の、やはり一人息子、小学5年生とで言えましょうか、自分の家の芝生の上、つまりその庭にテントを張った。大層立派なテント、本格的なテントだ。
ぼくもやってみたい。と、我が家の一番下、幼稚園を卒園して、来月9月からは晴れて小学一年生になるのだが、我が家の末息子は何を思ったのか、我が家にもテントが確かあったということを思い出して、持ち出してきた。
こちらはゲーム用のテントといったようなもので、テントの入口に向ってトンネルが出来るような作りになっている。トンネルの中を潜って行くとテントの入口に着き、そのままテントの中へとハイハイしながら進んで行けるといったもの。この子供用のゲームテント、雨が降り注ぐと多分役に立たないものだろう。
さて、その左隣の、別のM君は家の、下から二番目と一番下を招待してくれたらしい。一番下はこのアイディア、テントの中で一夜を過ごすということに興奮気味。その夜が早くやってくるのを今か今かと待っている。夕食もそそくさにとって、テントの中で寝る準備に余念がないようだ。そんな息子に母親の親としての役目をする。テントの中で寝るためにはマットが必要、寝袋が必要、毛布が必要と我が家は二人分を用意するので
した。
夕方、まだ薄暗いうちから、心はテントへと向かっていたことが手に取るように分かります。
夜、親たちは寝る前の数時間、テレビの前で寛いでいる。二人の子供は左お隣さんの庭に既にお邪魔している。テントの中に既に入っているようだ。子供たちの話し声が
外からかすかに聞こえて来る。
午後11時過ぎ、外は既に真っ暗。
親たちも自分たちの寝室へ。
我が家の子供たち二人の噂をしている。
大丈夫だろうか?」
大丈夫でしょう」
初めてのことだろう?」
初めてのことでしょうね」
ちゃんと寝れるのだろうか?」
ちゃんと寝れるでしょう」
ここでも何だが直ぐ近くのお隣さんの真似をしている。
一人きりでは広すぎる本格的なテントに招待された我が家の二人、息子は本当に大丈夫だろうか。
家の中、自分のベッドの中に寝ることには慣れていても、外、直ぐ、目の前の庭でのことだが、それでも、親元を離れて――ちょっと大袈裟だが―ー戸外で寝ることはまだこれから長いであろう、しかし今日までの短い人生に於いてはじめてのこと。外
で寝ることにエキサイト。母親の胎内に10ヶ月ほど生活をしていたことになるのだが、体内から体外へ、そして対外へと、如何なるものか。
グワアア、グワアア!
グワアア、グワアア!
開放された寝室の窓、外から奇妙な音が飛び込んできた。
何だ!? あれは」
知らないの?」
知らないから聞いているのだよ」
「カエルよ」
「カエル? どうしてわかるのか」
「あれはカエルに決まっているでしょう。他に何がかんかえるの?」
我が家と右のお隣さん、左のお隣さん、更にそのお隣さん、更にそのそのお隣さんと更なるお隣さん、何処まで行ってもみなさんまとめてお隣さんとなりますが、その後方には小川が流れている。その小川に何か夜、動き回っているらしい。
「それが本当にカエルのなんだろうか」
カエルに違いないったら」
まあ、カエルでも何でもいい。しかし大きな、変な声で鳴くもんだなあ」
「カエルの鳴き声って聞いたのことないの?」
「今、聞いたよ」
ご近所のみなさん、この時間、皆んな寝入ろうとしている。私も何時しか寝入るのをじっと待っている。会話はそれ以上続かなかった。
しばらくすると、玄関のチャイムが鳴った。カエルが鳴いたのではない。あれは確かにチャイムだ。誰だ、こんな夜、遅く。こんな夜に訪れる人などあり得ない筈だ。夜訪れると分かっているのは、それなりに昼間のうちに連絡が入っているときである。何の連絡も入れずに夜誰かが、こんな遅くにやって来るということは考えられないし、非常識というものである。
一階に下りて行った。玄関の戸を開けた。
そこに何を見たか。
我が家の一番下が毛布を肩に担いで突っ立っている。
「どうした?」
「変な音で寝れない」
「変な音ってなんのこと?」
「グアアア、グアアアッ」
そうか、外だったらもっとハッキリと聞き取れてしまったのだろう。変な物音が気になって寝れないというわけだ。しかもその変なもの正体が分からないから、気になって気味が悪くなるのだ。
そういえば、わたし自身も体験したことだった。自分の、今の子供たちよりもずっと年を取っていた当時のわたしではあったが、初めての日本一周の旅に出かけた。初日の晩、ある小学校の裏庭、裏口近く、手洗い場の近く、地面の上に直に寝転がった寝ようと試みたことがあった。
詳細はここでは記しませんが、繰り返しませんが、(関心のある方はこちらをクリック → http://best.client.jp/japan/JTDay01_2_Ayase_Koriyama.htm )同じような体験をもうその当時のわたしよりも20才ほど若くして体験したのだ。鳴き声の正体が分からず、気味悪くて、とうとう親元に戻って来てしまった。
わたしの場合は家元に帰ることも出来ず地べたに張り付いていた。
もう遅いから、自分のベッドに入って寝なさい」ということになった。テントで寝ることはできなかったという次第だ。家の中、ベッドの中では聞くことのない音が外では聞かれる。聞いたこともない音、しかもそれが何なのかも分からないとなると不安であろう。
頼りになる人もすぐ近くにいないようだし。
翌々日、再チャレンジです。あのグアアア、グアアアッの正体が分かったということで安心したのか、自分に対して危害が及ぶものではないということが分かったということなのか、またも三人してテントで一夜を過ごすことをした。
翌朝、朝食の席に外からやって来た。
「どうだった?」
「コンコンと咳ばっかりしていたね?」
「ぼくじゃないよ」
「じゃあ、誰だったの?」
「何かの動物?」
「M君だよ」
「良く寝れたの?」
「そう思うよ」
「怖くなかった?」
「怖くなかったよ」
子供たちは毎日、何か新しいことを体験しながら成長して行くのですね。
お隣のF君がテントを持ち出してきたら、我が家の末息子もテントを持ち出してきた。そして左となりのM君もテントを持ち出してきた。
子供たちの世界でも、お隣さんも、、、といった意識があることが分かりました。
**
F君のお母さんのお腹には二人目が宿っていたのですが、予定よりも二週間も早く、この世に生まれ落ちたとのこと。今回は、女の子。
ところで、このF君の家の右隣の奥さんはある日、夢を見たそうです。今、子供は四人いますが、5人目の妊娠の夢を見たとわが奥さんに話していました。
右隣の奥さんにもう直ぐ二人目の子供が生まれてくるということで、内も、わたしも、隣人として、同じ女として、と彼女が思ったのかどうなのか、それはご本人に直接聞いてはいませんので分かりません。
わたしだって、、そんな思いが夜、寝ている最中に夢となって具体化していたのか、お隣さんに刺激されてかどうかは定かではありませんが、内でももう一人欲しい、ということを
彼女は意識したようです。
夢でのお告げを受けたということでしょうか。熱心なカトリック信者のご家庭です。ご主人にもその夢のことを知らせ、是非とも実現させたいと伝えたとのことです。
実はこの夫婦、4人で終わりということだったらしいのです。だからご主人は終身的な避妊手術をしたのですが、ここに来て急遽(?)、ちょうどお隣さんの奥さんがもう一人産むということだからでしょうか、奥さんはご主人に避妊を解除する手術を勧め、ご主人もそれを否認せず、避妊解除に同意したとのことでした。
お隣さんが一人産むよ、産んだよ。じゃあ、内ももう一人産もう、といった構図が私には見えたのでした。夢を実現させようという奥さんの決意。固いそうです。
まさに英語の表現通りのことが、日本ではなく、ここオーストリアでも起こっていることを見聞して、わたしはちょっと驚いているのでした。そんなこともあるものなのか!? と。
このお隣さんの名前は勿論 ジョーンズさんではありませんが、
まさに Keep up with the Joneses を字のまま、地のまま行こうとしているのです。
そういえば、子供たちもお互いにお隣さんの意識を無意識にも(?)発揮してテントでの一夜を送ったのでした。
(Marchtrenk, 23.August 2005)