昨年の2004年、当該の裁判所(家庭裁判所)によると19,590組の夫婦が法的に離婚している。これは2003年と比較してみると、524組つまり2.7パーセント増である。この2004年の確率がそのまま不変とした場合、現在成立した結婚100組のうち46組は遅かれ早かれ裁判官の面前で終了することになる。今までの最高離婚率は2001年の46パーセントであった。
ほぼ10に9の離婚には両当事者に対する審問が続いた。ウイーン同様、ニーダーオーストリア州でも離婚率は46.6パーセントということでオーストリア全国の平均を上まった。詳細は以下の通り。
Vorarlberg
フォアアルベルク州、43パーセント
Steiermark シュタイアマルク州、42.2パーセント
Salzburgザルツブルク州、41.7パーセント
Oberösterreich オーバーオーストリア州、40.2パーセント
Burgenland ブルゲンラント州、39.4パーセント
Tirol チロル州、36.7パーセント
Kärnten
ケルンテン州、36.5パーセント
結婚1年以内に離婚に至る率は2.1パーセント。8.3パーセントは2年に満ちないで離婚。1994年にあっては離婚13組に一組の割合で、25年間結婚が続いた。2004年にあっては10組に一組は銀婚式が終わった後、離婚担当裁判官の面前にやってきた。しかも金婚式が終わった後、離婚になったのが13組もあった。
オーストリアでの離婚者の平均年齢は男性の場合、41.4才、女性の場合、38.7才。男女とも(10年前の)1994年度よりもほぼ3才上回った。
壊れてしまった全結婚の39.3パーセントは子供がいなかった。そうでありながら2004年の離婚事例にあっては15,607人の未成年者が拘わっていた。
APA (Montag, 4. Juli 2005 12:42)
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結婚生活が長く続く(または続いた)ことを祝してか、願ってか、祈ってか、慰労の念を込めてか、感嘆、敬意を表するためにか、これか、それか、それとも、あれか、と理由ははっきりとは分かりませんが、その継続達成年数(結婚生活年数)に応じて、結婚記念式(Anniversary
アニヴァーサリー)に名前が付けられています。参考のために、また確認の意味を込めて以下に掲げておきましょう。
ドイツ語では? |
日本語では? |
結婚何年目? |
die Diamantene Hochzeit
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ダイヤモンド婚式 |
75年目(米国) |
die Diamantene Hochzeit |
ダイヤモンド婚式 |
60年目(英国) |
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エメラルド婚式 |
55年目 |
die Goldene Hochzeit |
金婚式 |
50年目 |
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サファイア婚式 |
45年目 |
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ルビー婚式 |
40年目 |
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珊瑚婚式 |
35年目 |
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真珠婚式 |
30年目 |
die Silberne Hochzeit |
銀婚式 |
25年目 |
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磁器婚式 |
20年目 |
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水晶婚式 |
15年目 |
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錫婚式 |
10年目 |
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木婚式 |
5年目 |
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紙婚式 |
1年目 |
「ダイヤモンド」、「金」、「銀」以外は意外にも余り人々の話題に乗りませんよね。オリンピックのメダルには金、銀、そして銅とありますが、結婚記念日には「金」、「銀」はあっても「銅」はないですね。競争しているわけではないので、「銅」はどうでもよいこと
なのでしょうが、ない意味が何か、あるのでしょうか。ない、でしょうね。
そもそもこうした鉱物世界にある鉱物等を選んできて、それでもって結婚記念日を表現するというのは、西洋の発想でしょうかね。ダイヤモンドがトップに選ばれているのも固くて長持ち、永久に(長期間)その性質が変わらないということに象徴させているのでしょうか。
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人は何故に結婚するのでしょうか? 最近は結婚したがらない男女もいます。シングルであることを褒め上げ、本人も煽てられてか、誇っているかのようでもあります。つかぬまのシングルライフ享受といったところでしょう。心のそこではTraumfrau,
理想の妻、Traumman 理想の夫を求めているのですよね。理想の、って? 自分によくしてくれる人のこと?
人は何故に結婚するのでしょうか? 離婚するために結婚する、と定義付けられるかのようなオーストリアでの現状報告のごとくわたしには読めました。
もう一度、人は何故に結婚するのでしょうか? 幸せになりたいから、という答えが返ってくることでしょう。一緒に暮らしたいから。幸福になりたいから。一緒にバラ色の人生を築いて行きたいから。色々と理由を言うことが出来るでしょう。
結婚については古今東西の有名人、特に文学者やら哲学者らが色々と蘊蓄を垂れていますね。
「急いで結婚する必要はない。結婚は果物と違って、いくら遅くとも季節はずれになることはない」とロシアの文豪はおっしゃっております。
「結婚は人生の墓場である」とか。誰がおっしゃったのでしょうか。ちょっと暗過ぎますね。もっと希望的に発言して貰いたいものです。
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結婚とは元々お互いに知らなかった男女が一緒になる、一緒に暮らそうよ、と約束しあうことでありますね。約束しあっていながらも、その約束に有効期限を意識的に設けている訳ではないのでしょうが、年(歳?)を重ねてゆく内に結婚成立時の条件が内外共に変化し始めてか、条件の見直しということで、離婚に手が届くようになるのでしょうか。
人は何故に離婚するのか? 離婚という事実を目の前にすると、結婚する(した)ことが喜劇のように捉えられないこともない。それとも悲劇でしょうか。
離婚することの方が元々悲劇と捉えられているようです。誰にとって悲劇なのでしょうか? 両者の間に子供がいれば、子供たちが一番の”悲劇”の犠牲者かも知れませんね。それとも”旦那”にとってでしょうか。それとも”奥さん”にとってでしょうか。
悲しいことですね。
離婚は今まで密(蜜?)だった人間関係に劇的な変化をもたらすものですよね。離婚に至る理由、原因もいろいろと個々の事例で異なっていることでしょうが、どの事例にも共通した理由・原因もあることでしょう。
離婚を前提に結婚している人はいないと思いますが、絶対に離婚しなければならない理由があったからこそ離婚に至ったのでしょうね。
C' est la vie!
それが人生というものよ、と言われるでしょうか。フランス人たちだけが特許的にそう言うのでしょうか。人生経験を積む、とも言う。西洋の結婚式では死が二人を分けるまで一緒に暮らすと誓っているようですが、あたらないようですね。
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最近は、同性同士(主に、男と男)の結婚がヨーロッパでは流行っている、というのか、該当者たちは公的に認めろ! と声を高らかにしていました。ある国では同性同士の結婚を法律的に本当に認めるようになりましたね。
異性同士での結婚では美味くないから、上手く行かないから、でしょうか。色々な人間関係があっても良い、ということでしょうか。
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”愛”、ドイツ語で Liebe が究極的には、常に問題になっているのですよね。愛せる自分になっていない、愛されることを真っ先に求めようとする。
真に愛されてこなかった。そして大人になってしまった。大人になってツケが回ってきたと言えるのではないでしょうか。誠に愛されて来なかったから、大人になっても愛されたい、愛されたい、愛されたいよ、とその願望が満たされることを無意識にせよ意識的にせよ期待している。
結婚する。一緒に暮らす。愛されたいから、です。愛したいから、ではないのではないんでしょうか。アラビアの諺にあるそうです。「女にとっては、自分の愛する男を夫にするよりも自分を愛してくれる男と結婚する方がよい」と。でも、愛してくれる男も愛して貰いたいと思っているに違いないのです。
ギリシャの、あの有名な哲学者が述懐しております。
「結婚した方がいいのか、それともしない方がいいのかと問われるならば、わたしは、どちらにしても後悔するだろう、と答える」と。この哲学者は”悪妻”に苦労されたようでした。
「とにもかくにも結婚せよ、もし君がよい妻を得るならば、君は非常に幸福になるだろう。もし君が悪い妻をもつならば君は哲学者になるだろう――それは誰にとってもいい事なのだ」と。
英国の作家はOscar
Wilde: The Ideal Husband『理想の良人』の中で、こんなことを言っています。
自分を愛するというのが一生続くロマンスの始まり。
"To love oneself is the beginning of a life-long romance."
愛する、愛される、愛して愛される、愛されて愛する。相思相愛。
誰を愛するのか。自分を愛することが始まりだと言っている。
自分を愛せずして、どうして隣人(良人? 妻?)を愛することが出来ようか、世界的に有名な人もずっと昔から(2000年前?)おっしゃっています。隣人を愛するように自分自身を愛せよ、と。
愛するということ, エーリッヒ・フロム(著)
生きるということ、エーリッヒ・フロム (著)
よりよく生きるということ、エーリッヒ・フロム
(著)