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毎回、ドイツ語新聞記事を読む、楽しむ


オーストリア人百人一周


 どちらさまもどいつごもどうぞ


 「オーストリア語」の個人体験

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オーストリア人が好む「オーストリア人百人」 オーストリアからのメール オーストリアの「色々」について

 

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オーストリア人の挨拶ことば

 気持ち良かった挨拶の思い出 

(空)気の違い  




オーストリア人 (及びドイツ人)の挨拶ことば 



日本でドイツ語を学んでいました。人に会ったとき、朝は、そう、あなたもご存知ですよね。Guten そう教わりました。

午後に会った時には、そう、
Guten Tag!

で、夜、寝るときは?

言わずとも(いや、敢えて書かなくとも)多分知れた、でも書いてしまう。

   
Gute Nacht! 

因みに、オーストリアでは寝る前にモーツァルトの「Eine kleine “Gute Nacht”musik」を聞きます。(本気にしないように、これは未確認情報、笑)




同じドイツ語を話すというオーストリア国にやって来て、はじめてわたしは分かったのですが、 こちらの方は始めて会った人、見知らぬ人への挨拶として


Guten Morgen!  とは余り言わないらしい。

 何と言うのかというと 
Grüß Gott! グリュース ゴット!


そこで、独断と偏見かもしれませんが、突然の結論です。

オーストリアに来たら、
Guten Morgen! も Guten Tag! も GutenAbend! も忘れても結構、覚えなくても良い、とわたすは思います。ただ一つだけ知っていれば良い。

  
   はい、これです!

   
Grüß Gott!
   グリュース ゴット!

これ、一つだけ。これはいつでも使えて便利だと思ったのはわたしだけでしょうか。


朝であろうと昼であろうと夜であろうと馬鹿の一つ覚えの如く、

Grüß Gott! 

Grüß Gott! 

Grüß Gott! 

Grüß Gott!

Grüß Gott!!

 
直訳すれば、「神様にわたしはご挨拶申し上げます!」でしょうかね。文字に拘るとあなたに向かって挨拶しているようには聞こえませんが。いや、あなたは神様のごとき存在ということであなたを大切にする、尊敬する、そんなオーストリア人の敬虔な心使いの表れかもしれません。





ほかにも良く耳にする挨拶ことば。

Hallo! 

ハロ

ハーロ

ハッロ

ハロウ

ハロオ 
 
ハーロー:これは挨拶というよりも、「おいおい、何を言っているのか?お前さん!」とたしなめいるようで独特だ、カタカタ文字では表現しきれないように聞こえます) その人の気分に拠るのでしょうか、色々に味付けされたように聞こえてきます。


 
 次の挨拶ことば。

Servus! 

ゼアブス (濁ったように聞こえる)

セアブス (少々濁らないようだ)、土地に拠ります

ひとつでは物足りない、両方、一緒に続けて言う人もいるようです。

Hallo, Servus!

さあ、ご一緒にどうぞ、言って見て下さい。大きな声をだして。

Hallo, Servus!

言いました? 

こう言うとあなたはもう本場のオーストリア人(?)らしく、聞こえるから 不思議です。今日からあなたもオーストリア人。顔は日本人。
 


Bannzai! 

バンザイ!(ザに強勢を!)

わたしをみると、そんな風に挨拶をする年配のオーストリア人も当地にはいます。

日本には商売で良く行っていたということですが、日本ではそういう風に教えて貰ってきたのでしょうか。そう挨拶されるとこちらとしてはつい諸手を上げたくなってしまいます。
 
 



オーストリアでの、別れる時の挨拶ことば
日本でのドイツ語教室ではこう教えてもらいました。


1.
Auf Wiedersehen! アウフ ヴィーダゼーン  

でもオーストリアに来たら、違う風にも言うらしい。違いが分かる男、それは三船敏郎
さんだけでなく、わたしのことでもあるかも。

2.
Auf Wiederschaun  アウフ ヴィーダシャウ

3.
Auf Wiederschön! アウフ ヴィーダシェーン

Auf を抜かして言う人もいる。それともわたしの耳が悪くて聞こえなかったのかも。

ヴィーダゼーン

ヴィーダシャウン
 
ヴィーダシェーン

更に、親しい間柄の人と人との間では、

4.
Tsuess

チュース

チュス

チュウウス

ドイツでも使っていますよね。

「チューウ!」、「チューウ!」と別れのキスをことばで表現しているのかと思ってしまったこともある。


5.
Ciao!  

チャオ

チアオ(違い、分かりますか?)

あれれ、オーストリア人はイタリア語でも別れの挨拶言葉を使うのか! と感心した次第でした。もっともオーストリアからはイタリアは直ぐ近く。国 境を接している。噂によるとオーストリア人の好きな、関心の高い国の一つがイタリアとか。


6.
Pfierti! プフィティ

ドイツ語の綴りは実ははっきりとは知りません。聞こえてきたので、多分こう書くの
だろうということで書いた次第です。知り合い同士で言うらしい。
(2004年8月29日、新聞記事を読んでいたらこの単語の綴りらしいものを発見! Pfüat)



7.
PaPA! 

パパー

パッパー  

パパ(お父さん)を呼んでいるのか、と思ったらとんだ大間違いだった。
パパに宜しく、と言っていた訳でもなかった。


8.
Sayonara 

サヨナラ

サヨナアーラ

オーストリア語になった日本語? あなたが日本人だと分かると得意げにこう言ってくる人もいます。 そのオーストリア人の自慢が多少加味されているのかもしれません。
 


 

気持ち良かった挨拶の思い出 



日本は北海道でのこと

庭園の方へと歩いて行き、小沼(コヌマ)と大沼(オオヌマ)との間の道路、 散歩気分で国道5号線にぶつかるまで歩いて行きました。途中、木々の緑がアスファルト道路を被いかぶすように陰を作り、そんな下をまるでトンネルの中を潜って歩いて行くかのようでした。汗を掻き始めたが、じめじめするような感じはなく、汗を掻くことが寧ろすがすがしい。

自転車に乗って、大沼公園内を見て回っている人たち、軽快なサイクリングを楽しんでいる人たちに出会ったのでした。心も軽快だったのでしょう。お互いに通り過ぎようとする。わたしは重いリュックサックを背負っていました。

 「こんにちは!」

 「こんにちは!」

お互いに挨拶を交わしたくなるし、交わしたのでした。何の拘りも無く挨拶が出来てしまったのがなんとも不思議でした。

 「どちらから?」

 「云々、云々」

 「そう?」

 「そう」


「どちらへ行かれるのですか?」(今までだったら「どこへ行こうと俺様の勝手だ」、と返答したくなるわたしでしたが、なぜか、そのときは素直に応えることが出来てしまうのでした。)


 「どこそこ云々、云々」

  「そうですか」

 「はい、そうです」

 「お元気で!」

 「ええ、どうも!」

挨拶を受ける。挨拶を返す。そこ大沼公園では人に出会う度ごとに当然の如く挨拶が交わされるのでした。何度続けて挨拶をしたことでしょう。

自分が挨拶しているのではないみたい、当然だからとそうしているといった風にも感じるのでした。

あんな経験は初めてだった、とここに書いても間違いではないでしょう。そう言う、いや書くこの本人が書いているのですから、その通りです。誠に自然体の挨拶が出来ているのでした。

気持ちが良い朝の出来事。スタインベックの掌編の中、朝の出会いを彷彿させるものがありました。

会ったこともない初対面の人たち。

会った、だから挨拶する、と言えるのかも知れない。それが全く自然に出来ているのです。今までの古いわたしには少々、心の中の驚きであったのです。

これは北海道の空気がそうさせたのでしょうか。いい空気だ。そう感じ入った次第でした。今でも忘れられない、実体験、生体験。それともこれを神体験というのでしょうか?





空気が変わると心も変わるのでしょうか。

英語で Change of air という表現がありますが、「空気の入れ替え」などと訳されてしまってはわたしの本意も伝わらなくなってしまいますが、それぞれの土地にその土地特有の空気があるということが分かります。その人の健康を増進する気でしょうが、それとも損なうような気なのでしょうか、実際にそこに行って気をつけて見るしかないですね。

そこへ行くと重たくなる、そんな土地もあるようですね。「いえいえ、そうではありませぬ」、「人間気の持ち様ですよ、」とは良く言われることですがね。



 
英国の紳士は紳士的?

 
ところで、英国にこんな話があったと人伝に聞いたことがあります。 (もしかして作り話かも)ある紳士が歩いているところを捉えて、誰かが紳士に向かって挨拶をしたそうです。

  Good morning, sir!

件(くだん)の紳士、声がした方に振り返って、その人の顔を怪訝そうに覗き込んで、尋ねたそうだ。

  Excuse me, but do I know YOU?

  「失礼だが、私しゃ、あんたの 知り合いかね?」

「心外だ、あんたなんか私しゃ、知らんよ。わたしゃあんたから挨拶を受ける筋合いではないよ!」

そう言外で言いたかったのでしょうか。英国紳士の国民性の一端を表現しているとか。英国人は未だに階級意識が強いと聞いたことがあります。



人間同士が人間として上手くやって行くためには、人間は自分という人間のことについて、もっと研究しなければならないのかも知れない。と、偉そうなことを書いている、このわたし。

オーストリア国、オーストリア人を研究するだけでなく、自分も研究してみる必要がありまよ。で、 あんた、自分のこと、分かっているの? 

  はいはい、分かりました。

  分かった?

  はい、いいえ、

  何が?

  分かっていないのが分かったのね。


ギリシャの、古い、古い、哲人も同じようなことを言っていましたね、そういえば。

 


  人に会ったら挨拶 とは言うものの、、、 

「人に会ったら挨拶をするのよ、ねえ、分かったの? 」

子供の頃から親に教え込まれて来たのに、年を取るに従って、芳しくない知恵が付いてしまったのでしょうか、 どうなってしまったのでしょうか。この時代の趨勢なのでしょうか。

見知らぬ人には声を掛けない。況や、挨拶もしなくなってしまった。それがそこ大沼公園ではちゃんと出来ていたのです。 人間の本来あるべき信頼関係がここにはある―― そう思った次第でした。そう感じ入ってしまいました。ある人は関西から、 またある人は九州から、と出身地も様様だった。

今時では小さいころから別の知恵が授けられているようです。哀しいかな、残念ながら変な大人もいる、ということが分かってきて、自己防衛の意味でも見知らぬ人に対しては簡単に口を利いてはいけません、と。

小学校では子供への虐待、子供に対する暴力についてのPTA説明会があったそうです。子供の人権が蔑ろにされている現象が顕著に見られるそうです。たしかに新聞、ラジオで時にはそんなことばかりが報道されていると思わされてしまうこともあります。







 
 

空)気の違い


十数年前、当時住んでいた英国から米国へ飛んだことがありましたが、米国はニューヨーク、ケネディ空港に降り立って、全身で以って感じたこと、ここの空気は違う! 

   うわ〜、明るい! 
        軽いい! 
         広いなあ〜!
              自由そう!


それは何だったのでしょうか。空気というのでしょうか、雰囲気というのでしょうか。 別の気が漲っている。でも違った気だ。気違いだ、と洒落て言うことはさて置くとしても、大西洋一つ隔てた大陸の空気が違っていると感得できたのでした。

  この違い、どうしてだろう?

     良い空気、
     悪い空気
 
    きれいな空気
 
    汚れちまった空気
 
      軽い空気
          重い空気


   いろんな所に漂っている。
 


さて、ここヨーロッパ大陸、いやオーストリアの空気はどうでしょうか?

       緑いっぱいの空気

         でも、ちょっと重くないでしょう か ねえ?




リンツの空気? リンツにはドナウ川に沿ってこぢんまりと一大産業地域がありますが、緑の丘陵を背景に一つだけ大きく目立つ煙突からは日曜日でも白煙が空高く舞い上がっています。

冬のリンツ、郊外から市内へと行く途中、ある地区ではそこだけが雪が降り積もっています。その地区を抜けると雪はなくなっている。面白い現象だ、と最初は面白がっていたわたしでもありましたが、 聞いてみるとあの煙突から吐き出されているモノが原因でそうなるそうです。



みなさん、ご自分でそこへとやってきてご自分で体験してみるしかないでしょうが、わたしの体験では少々、 重いかなあ、という感じですね。いや、ちょっと“ひやり”とするかな、というかんじでしょうか。
 
どうしてでしょう?

東洋と西洋との根本的なちがいがそこに横たわっているから?  超えがたいような溝が目に見えなくも感じ取られるから?






ああ、そうそう、来週は日本での知り合いであった人が初めてオーストリアにやってくることになっています。

すでに15、6年も前のことでしたが、わが奥さんと邂逅したのがきっかけで今日まで続く切れない糸で結ばれたつながり。
 
多摩川の川辺に詩的に立ち尽くしていたわが奥さんに、なぜか話し掛けてきたそうです。面白い。

  「こんにちは!」

話しかけてみたくなってしまう人だったらしい。

そんな話し掛けの一言で今も続いている文通、通信。そして、御本人が初めてヨーロッパはオーストリアにもわざわざやって来て下さる。


 オーストリアはウィーン(月並みな言い方ですが、音楽の都、ウィーン!)にやって来て、列車に乗ってリンツ(甘過ぎる、リンツのトルテ!)まで、2日間滞在、そしてザルツブルク (日本人なら例外なく? モーツアルトの生家に行くのかな? モーツアルトも喜んでいる、)へと行って、ドイツはミュンヘン(ビールの飲み放題、もちろん有料でしょうが、Oktoberfest  はもう終わってしまっている、確か。わたしに言わせれば、ちょっと変なバカげたお祭り)、更にはロンドンへとド〜ンと飛んでまたウィーンに戻って来る。

「Servus! Österreich!  オーストリアは良かったわ」

そんな思いを残して、日本へと戻って行く。

でも、機上ではため息を吐(つ)いていることになるのでしょうか。

「ああ、またあの狭苦しい(?)日本での暮らしが待っているんだわ」
 
そういったシナリオでしょうか、わたしがそうであったように。


オーストリアの(空)気、ウィーンの(空)気、リンツの(空)気、ミュンヘンの(空)気、英国はロンドンの(空)気と色んな土地の(空)気を呼吸しながら、空気には国境がないということが分かるでしょうかね。

でも、それぞれの土地の味付けがなされているということも分かるでしょうかね。分かるでしょうね。でも誰によってか? 何によってか? 

 

オーストリア ドイツ語  ここ以外のどこかへ!;旅の指さし会話帳 48

(Marchtrenk 26.August 2004)

 

              あ、子供たち、お父さんはもういないのよ    オーストリアからのメール    ドイツ国の文盲人口 、ほぼ4百万人

オーストリア人が好む「オーストリア人百人」 オーストリアの「色々」について