陸奥[青森県]→津軽海峡→大沼公園[北海道]     日本一周ひとり旅↑  古平→神恵内→珊内

「第9日」

   19xx年8月9日(水)晴れ

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 大沼公園→倶知安→ 余市→古平

   

起きてみると、雨が降っていた。


 ああ、嫌だなあ、と何故か思っている。今日はこの雨の中を歩いて行かねばならないのか。しかも本格的な雨。これではびしょ濡れも必至だ。

 こうした雨の日には傘を差しながらでもヒッチハイクの旅をせよ、ということなのか?  何となく様にならない。傘を差していると、ヒッチハイクをやっている旅人の姿だと見えないのではなかろうか。

 傘は寧ろヒッチの邪魔になる。そう思って、そもそも傘は最初から持って来なかった。その代わりレインコートの代用として、フード付きの、登山用長袖ヤッケを持って来ている 。これを着込んで歩く。防水処理が一応施してあると言うが、いつまでも濡れたままだと内側まで湿ってくる。経験済みだ。だから雨は出来ることならば降って欲しくない。これがこのヒッチハイカーの本音だ。

 一日中、雨の中、濡れたままの移動、そんな旅は敬遠させて頂きたい。自然現象に対してぼくがどうのこうのと言っても仕方ないことだが、スッキリと晴れ渡った空の下で旅をしたい。

 洗顔して鏡の中の顔を覗いて見ているうちに遊び心が生まれて来た。口を“ヘ”の字に曲げたり、 “あ”の字に極限まで大きく広げたり、更には顔面全体を総動員して色々な百面相を作ったりと、 日に焼けた顔の筋肉を緩める運動を繰り返している。 雨がどうした!雨よ、降るなら、降れ、降れ!  じゃんじゃん降れ!

 雨に影響されてたまるものか。今日もやるぞ!ファイトが湧いて来た。天候に影響される自分ではないのだ。

 本日の予定、目的地は積丹(シャコタン)まで、と決めていた。野宿するとしても やはりテントがあればいいのだが、、、などと、そんなことを同室の人と話していたことは確か。傘だけではなく、実はテントも持って来てはいない。テントは嵩張るし、重たい。確かに必要になる時もあるようだ。でも、必要と しない時の方が多いだろうと持って来てはいない。長旅には負担となるだけだ。

 そうこうするうちに、雨は殆ど止み、晴れ上がってくるような気配だ。実はそんなタイミングを密かに待っていた。早々出発しようかと思って、自分の荷物を片肩で担いで玄関前に現れた所、昨晩少し親しくなった、例の女性ヘルパーとバッタリ遭遇、ぼくは襟首を捕まえられてしまった。

 「ねえ、掃除して行って下さいよ!」

 いやだ! ぼくはすぐ出発だ! とも言えず、箒を取って床を掃いた。彼女、神奈川県は横須賀の出身で、 25日頃までヘルパーとしてこのYHで働いているのだそうだ。

 この朝の時間、YHの中は人声も物音もなく、ひっそりとしていた。 ホステラーたちは早々と出掛けてしまった。

 午前9時15分、掃除も終え、YHの景雲荘を一人ひっそりと出発した。 遅くまで居残っていたのは確かにぼく一人だけのようだった。




 ■大沼公園内の、素晴らしき体験

 庭園の方へと歩いて行き、小沼(コヌマ)と大沼(オオヌマ)との間の道路、 散歩気分で国道5号線にぶつかるまで歩いて行く。途中、木々の緑がアスファルト道路を被いかぶすように陰を作り、 まるでトンネルの中を潜って行くような、そんな下を歩いて行く。汗を掻き始めたが、じめじめするような感じはなく、 汗を掻くことが寧ろすがすがしい。

 自転車に乗って、大沼公園内を見て回っている人たち、軽快なサイクリングを楽しんでいる人たちに出会った。心も軽快なのだろう。お互いに通り過ぎようとする。

「こんにちは!」

 「こんにちは!」

 お互いに挨拶を交わしたくなるし、交わした、何の拘りも無く。

 「どちらから?」

 「どちらへ行かれるのですか?」

 「お元気で!」

 「ええ、どうも!」

 挨拶を受ける。挨拶を返す。

 ここ、大沼公園では出会う度ごとに当然の如く挨拶が交わされた。こんな経験初めてだ、と言わざるを得ない。自然に挨拶が出来ている。気持ちが良い朝の出来事。会ったこともない初対面の人たち。だから挨拶する、と言えるのかも知れない。全く自然だ。これが ぼくには少々、心の中の驚きであった。これが北海道の空気のなす業なのだろうか。

 英国にこんな話があったと人伝に聞いたことがある。

 ある紳士が歩いているところを捉えて、誰かが紳士に向かって挨拶をしたそうな。

  Good morning, sir! 「こんにちは!」

 件の紳士、声がした方に振り返って、その人の顔を怪訝そうに覗き込んで尋ねたそうだ。

 Excuse me, but do I know YOU? 「失礼だが、私しゃ、あんたの 知り合いかね?」と。

 心外だ、あんたなんか私しゃ、知らんよ。わたしゃあんたから挨拶を受ける筋合いではないよ! とか言いたかったのだろう。英国紳士の国民性の一端を表現しているとか。英国人は未だに階級意識が強いと聞いたことがある。

 人間同士が人間として上手くやって行くためには、人間は自分という人間のことについて、もっと研究しなければならないのかも知れない。

 人に会ったら挨拶をするのよ、ねえ、分かったの? と子供の頃から親に教え込まれて来たのに、年を取るに従って、芳しくない知恵が付いてしまったのか、どうなってしまったのか。この時代の趨勢なのか。見知らぬ人には声を掛けない。況や、挨拶もしなくなってしまった。それがここ、大沼公園ではちゃんと出来ている。人間の本来あるべき信頼関係がここにはある―― そう思った。そう感じてしまった。ある人は関西から、またある人は九州から、と出身地も様様だ。



 ■北海道でのヒッチ開始

 大沼公園を後にし、国道5号線に出て来てからは、地元の人の車に乗ることが出来た。森町駅前までだった。道中ではスイカを御馳走になった。一 個100円のもの、半分齧り付いた。甘くて美味い。

 森町を少し出てからは、トラックに乗れた。このトラック、驚くなかれ、倶知安(クッチャン)まで行ってくれた。「岩内(イワナイ)の方へと行く予定です」と言ったら「倶知安から行った方が近いよ」と教えられ、言われるままにそう決めた。

 盆の帰りなのだそうだ。森町を過ぎ、国道5号線をひた走りに走る。運転台から眺められる、前方の光景は全く原色そのもの、まるでカラー映像画面を見ているようだ。天気も申し分ない。そう、日本晴れ、いい天気だ。運転手さんさえもこう連発する。

 「いい天気だなあ」

 余りにもいい天気なのと道路がずっと地平線の彼方まで単調に続くので、つい眠くもなってくる。運転手さんさえもこう漏らす。

 「う〜ん、眠いなあ」

 暫く行った先のある十字路で、乗用車と出会い頭、危うく衝突する寸前だった。我が運転手さん、ちょっと目を閉じてしまったのだろう。 ぼくは心の中で思った。

 「危なかったなあ」

 この単調さを思い切り打ち破るために、また気分を思い切り転換するために、少し行った先の、蘭越(ランコシ)で、運転手さん、コカコーラを求め、改めて乗車。序に車のラジオのスウッチを入れ、ボリュームを少々大きくしての、運転再開だ。

 ニセコ町に入る道路沿い、キリギリスが鳴いているのがはっきりと耳に届く。キリギリスってのは、秋の虫ではなかったか。まだ8月なのに、北海道ではもう秋が始まろうとしているのかな?

 午後2時23分、倶知安町に入り、7分後、町内で下車する。

 

 ■バス待ちの若い女の子と交流

 歩き始める。坂の上で車を拾うとしたが、止まってくれない。車がやって来ると分かると歩くのを止め、振り向いてヒッチの合図を送り、車が通過して行ってしまうと、また歩き出す。歩いたり、止まったり、また歩き始めたりまた止まったりと車が来る度に繰り返すが、車の方は止まらず、だ。そんな単調な確認作業ばかりを続けている。気が付いてみれば、歩くことを止め、その場に突っ立ったまま、言わば意地になって、やって来る車と対決するかのようにヒッチを試み続けている自分だった。

 どのくらい経ったか、前方、道路の反対側、何処からともなくひょっこりと女の子が一人現れ、道路を横切って、こちら側にあるバス停留所にやってきた。その停留所から10数メートルと離れたところでヒッチハイクを試みている、そんな ぼくの姿が珍しいのか、それとも何をやっているのかしら、と不思議がっていたのか。バスが来るまでの気晴らしか、とにかく余り見慣れない人がいるので興味・関心を惹かれたといったところか。何かが起こるのかしらと期待に小さな胸を膨らましていたのかも知れない。そこには ぼくと女の子の二人しか人類はいなかった。

 女の子はちらっちらっとぼくの方に秋波を送っていたというのは嘘だが、ぼくの方に視線を向けていたというのは本当だ。 ぼくに気があるのかな?−まさか! ヒッチが思うように出来ないでいるし、一層のこと、ぼくの気晴らしと気分転換だ、ぼくは積極的にその女の子に近付いて行った。話し掛けた。我ながらいい度胸だ。男は、そう、ドキョウなのだ。それでは女は? 女はアイキョウ。誰がこんなことを最初に言い出しのだろうか、今となっては言い尽くされた、古臭そうな言い回しだ。でもイタリアの男たちだけでなく日本の男達にとっても永遠の真理だろう。

 そうそう、その女の子、彼女のことを忘れてはいけない。彼女とは名古屋の出身。何年か前、家族全員が北海道に移住して来たのだそうだ。色白、綺麗な外出着だ。細身、白い絹のストッキングが印象的だ。内気そうな所がまたかわいい。生きたお人形さんのようでもあった。山を背景に、当地たまたまの訪問途中、思い出の記念写真を一枚撮らして貰った。

 彼女が待っていたバスがようやくやって来てしまったようだ。彼女一人の乗車と同時にバスはすぐに発車、女の子は ぼくの目の前から姿を消した。バ スに乗った後も、中からぼくの方を眺めていたようだ。

 あっ、しまった! 

 肝心なことを忘れてしまった!

 夢想状態から我に返ったぼくはついつい、肝心なことを忘れてしまった!! 

 ねえ、あの〜、ちょっと待ってよ、ちょっと! 

 ちょっと! 待ってよ! 

 気が付いた時には、もう時遅し!であった。バスを追っ掛けて行くことも出来ない。いや、追い掛けようと思えば追い掛けることも出来ただろうが、到底追い付けそうもない。

 彼女の名前と住所を尋ねておくことをうっかり忘れてしまった! 写真が出来上がったら、一枚送ってあげようと思っていたのに、、、。仕方ない。彼女には申し訳ないけど、写真は ぼくが預かっておくということにしておこう。何時しか、また会う日が来るかもしれない。

 「その日まで、、、暫しの、さようなら〜、お元気で! 」

 行ってしまった後で、そんなことを言ってしまっても通じないが、言ってしまった、いや、書いてしまった。
 

 彼女はバスを待っていたのだった。実は、ぼくも待っていたのだった。勿論、バスではない。ヒッチ出来そうな車が現れるのを待っていた。でも女の子と暫く時を過ごしている間、本来の自分 の立場を忘れてしまっていた。

 久保農場の御主人だろうか、伊達(ダテ)からの帰り道だそうで、その御主人の車に便乗、 余市(ヨイチ)までやって来ることが出来た。御主人の農場には日本各地から実習で学生たちが来ているのだそうだ。

 余市に着いた時はもう、午後4時近く、この辺で今晩は休もうかと適当な所をちょっと探すが見当たらず、 そのまま、心がハッキリと決まらず、とにかく前へと歩き続ける。

 一層のこと、古平(フルビラ)まで行ってしまうことにしようか。そうだそうだ、行ってしまおう。 そう心に決めて、本腰を入れてのヒッチ開始。

 トラックだった。積丹半島西海岸沿いの道路、いくつものトンネルを潜りながら、 古平まで乗せてきて貰うことが出来た。午後4時50分。





 ■古平海岸、ボートの中で

 古平の海岸にはテントが幾つか張ってあり、夕方が迫りつつある薄暗い空の下、十何人かの人が海の中、泳いでいる。寒くないのだろか、と余計な心配をしてしまう。

 ぼくは海岸沿いの砂上を歩く。

 今夜の宿はそこにあるボートの中だ、と決めた。

 海岸の砂場に乗り上げられたボートが1艘、夏の漁労の季節は終わったからなのか、その存在目的を果たし尽くしてしまったかの如く、だから打ち捨てられてしまったかのように放置されてあった。
 

 

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