大沼公園→倶知安→ 余市→古平  日本一周ひとり旅↑  珊内、“秘境・さいの河原”

「第10日」

       19xx年8月9日(水)晴れ

        〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 古平→ 神恵内→ 珊内

 

 

■烏合の衆

朝っぱらから、カラスどもが大合唱。

 歌っているのか、鳴いているのか。

 いや、それとも泣いているのか、喚いているのか、どうなのか、とにかく、喧しいいい〜!

 ぼくの噂でもしていたのか。

 余りの喧しさに午前5時15分、一度目覚めてしまった。が、そのまま寝袋の 中にじっと留まっていた。まだ起き上がる気持ちにはなれない。充分に睡眠が取れた とは思えない。

 午前6時半だった。またも目が覚めてしまった。カラスの奴、まだ喚いているのか。 朝になったら目覚し時計の代わりをしてくれ、起こしてくれ、などとは誰にも、 どなた様にも頼んだ覚えはないのに、これでは安眠妨害だ。静かにせい。もっと静かな、 快適な素敵な気分の良い朝を迎えさせて欲しかった。

 カラスの奴等、一体全体、こんなに朝早くから何をやっているというのか。これこそ正に、 文字通りの「烏合の衆」だ。

 それにしても―――、この喧しさ!
 
 喧しいいい!! 
 
 喧しいいい〜!!! 
 
 喧しい〜いいいいいいい! のだ。 

 いやはや、ぼくの内なる声もカラスの皆様方に釣られて喧しくなってしまったよ。





■ボートは海上?

寝袋から顔面だけを出したまま身動きもせず、ボートの底から仰向けにじっと空を見上げている。 曇り空。今にも泣き出しそう。よくよく観察して見ると上空、低飛行で飛び交っているのはカラスだけではなく、 スズメもいる。 ぼくの寝ているボートのちょうど上、目の前、群れをなして飛んで行く。 海風が顔面を摩って行く。少し強目。

と、一瞬念頭を過ぎった――― もしかしたら、このボート、海上に浮かんでいるのではなかろうか!?

そうだったら―――、内心非常に慌てた。

頭をもたげてボートの欄干、目線を上へとずらして外側を眺めて見た。

昨晩と同じ砂の上に留まったままであった。一安心。

相変わらずボートの中、仰向けに横たわったまま、静かに息をしているうちに、 うつらうつらと寝入ってしまったのか、暫くして再び目覚めた。と同時にアッと思い出すことがあった。

寝袋の中から両腕を急いで出して、寝袋は大丈夫だろうか、とその外側を緊急に触って見た。 カラスやスズメたちの落し物がたくさん落ちているのではなかろうか?! 

びっしょり。やっぱり! やっぱり? この湿った粘っこい感触。これは何か。 睡眠中に雨が降ったわけではなかろう。これを何現象というのかはつゆと忘れてしまったが、 起床する頃には全て、水滴は消えていた。


■朝食抜きの出発

午前8時10分、ボートの外へと出ることにした。身支度も簡単に終え、 すぐ目の前の国道に移ってからは沿道を歩き始める。

25分程歩いてから、男の人二人が乗る乗用車に拾われる。乗車してから、何気なく、 「昨晩は野宿で、お陰で何も食べられなかった」と話の切っ掛けを作る積もりで言ったら、 「コーラがあるよ」と一本手渡してくれた。ボートの中で一晩寝た、とは言わなかった。

この国道229号線は殆どジャリ道だ。古平(フルビラ)から神恵内(カモエナイ)に向かう場合、 自分で体験したから、はっきりと自信を持って書けるのだが、下り坂となる。グングンと下って行く。 カーブがとても多い。

もういい加減ジャリ道は嫌になったなあ、飽きたなあ、そろそろ、と思っていたら、舗装道路に入った。 ふう、良かった。と思いきや、2分もしないうちにまたもジャリ道のジャリ、ジャリジャリだ。

正面、前方、反対方向から自転車に乗った男の人、多分、YHを朝早く出発して来たのだろう、 重いペダルを右足で、左足で、と交互に漕ぎながらこの坂道を 登って行こうとしている。そんな姿にぼくはただただ感心する。感動ものだ。同時に我々が今、 車で下って来たこのジャリ道を自転車に乗ったままずっと漕いで行くのは難儀なことだろうと思われた。 道の両側は木々、草草、山々。 開発の手は確かに全然及んでいない。


 

■「ファイト!」

午前9時15分、神恵内(カモエナイ)漁港を通過。港ではちょうど舟が海上へと出ようとしている所で、 リュックを担いだ男女たち、乗り切れず次の舟を待っているのだろう、たむろしている。 豪華にも舟に乗って海上から、ぼくもちょうど車で向かっている最中の、多分、 同じYHに行こうということなのだろう。

何時までも下ってばかりはいられない。飽きてくる。とは言うものの、 同じジャリ道が相変わらず続くのだが、今度は海岸線に沿ってぐんぐんと登って行く。 海抜はどのくらいになるのだろう。眼下に見える海は寒寒としている。曇っているので 海の風景もそんな風に感じ取れる。10分ぐらい登って行った所に、道端に真新しく、 作ったばかりと分かる道標が立て掛けてあった。

「ファイト! さんないまで、あと80分!」

車中の我々3人は思わず苦笑いしてしまった。

80分か?まだ道は長い。小奇麗にも“あと80分!”と書くところに、何となく可笑しみが見て取れた。 この神恵内から、YHまでを徒歩で行こうとするホステラー達に対する思いやり、 励まし、景気付けなのだろう。言うまでもなく、下るよりも上る方が数倍しんどい。 「それっ、頑張れ!頑張って!」とエールを送ってくれている。

YHに到着後、この標識について問い質してみたところ、案の定、 このYHで立て掛けたのだそうだ。

今度は自転車で下ってくる男の人一人に出会う。更に暫くすると、男女7、8名のグループに出会う。 皆んなで一緒に歩いて下ろうということなのだろう。皆んなで歩けば危なくないし、気が楽だ。 気も紛れる。長距離を歩いていながらもそれを忘れることが出来る。 上りは徒歩2時間掛かるのだそうだ。下りの場合はおまけの勢いが知らぬ間に付いて、 そんなには掛からないだろう。                       



■「YHカムイ」

午前9時35分、珊内(サンナイ)に到着。家々が海岸線に沿いながらも、 更には後方の山肌へとへばり付くように、寄り添うように固まって建っている。 このまま相変わらず海岸線に沿って暫くは走って行くと思っていたら、途中、 車は右手に逸れる道に入って行った。あっ、あれだなあ、と見て取れた。

午前9時40分、YHに到着。

下車する前、ここまで親切にもぼくのお供をしてくれた男の人二人に聞いてみた。

「これから何処へ行くのですか?」

「いや〜、ただブラブラしているだけだ」


 「―――― いや〜、助かりました。どうも有難うございました」

意想外の答えが返ってきたので少し戸惑い、二の句が継げなかった。内心、 そんなものなのかと、まあ、人それぞれだと自分を納得させた。それにしても 本日は幸運にも、 車一台で、目的地である「YHカムイ」の目と鼻の先まで 苦労せずに来ることが出来た。感謝だ。 約1時間程のドライブであった。

早速、YHの受付窓口に顔を出す。

「飛び込みですか? 早いなあ」

昼前に来てしまったのだから、確かに早いのだろう。現実的に考えた場合、 早くとも午後にやって来るのが普通であろう。ぼくみたいにYHに早々と 午前中に到着するホステラーなど例外中の例外なのだろう。

そういえばそろそろ昼食時間だなあ、と昼食をどうしようかと気に掛け始めたところ、 近くに食べ物屋もないようだし、一食抜くことになるのか、仕方がないな、と思っていると、皆、 何処かへ出掛けて行くのだろうか、不思議がっていたら、目の前の海岸へと出て行き、ジンギスカン鍋だ 、そうだ。ぼくも誘われ、仲間に入れて貰った。到着早々、 YHの人達と一緒に食事が出来るとは思ってもいなかった。




■連泊者たちと一緒に昼食、海岸で

実はここのYHには連泊客が何人もいるそうだ。で、そういう人たちやヘルパーの 皆さん達が久し振りに今日は海岸へ出て行って、そこで昼食を取 るという。ぼくから見れば、歓迎の昼食の場にたまたまタイミング良く、 家族並に同席させて頂いたということになる。

さて、ここで一つ質問。

北海道を訪れたら、一度は是非、何を食べなければならないか? 

美味いものの筆頭、それはジンギスカン料理。そう言われている。 北海道のジンギスカン鍋は実に美味い、一度試して見ろ、と。

でも結局は食べる時の環境、雰囲気が大きく作用するのではないのか。 ぼくはそう思った。都会で、ある料理屋の一室でテーブルを囲んで、 仲間と一緒に食べるのも美味いことは美味いだろう。が、例えば、 自然の中で、こうして海からの風に髪を靡かせながら、打ち寄せては返る波の音を耳にしながら、 また北海道の海の荒々しさを目にしながら、海岸で食べるとなると味も違う。格別だ。

食欲旺盛な男達がこうした美味しい環境で食するものだから、 御飯が途中で切れてしまった。追加分が運ばれてくるまで、 鉄板の上に残っている肉と野菜だけで暫くは間を持たせていた。

温かい御飯と肉と野菜の組み合わせの昼食は誠に美味かった。 かくして北海道にはじめて来て、一度訪れたら是非食べなければならないと言われる、 そのジンギスカン料理を賞味出来た。            

北海道 の美味いジンギスカン取り寄せ

 

上で書いたように、ここのYHには連泊者が多い。で、 どのくらい長く連泊するのか。今までの記録によると、一ヶ月間連泊した人がいるとのこと。 一週間や10日間は普通のことで、2泊したからと言ってもここでは通用しない。 つまり、大きな顔はできない。尤も、元々大きな顔の人は2泊だけだったとしても 取り立てて大きな顔をする必要もない。最初から大きな顔でいられる。

積丹カモイYH。別名“キチガイYH”とも言われる。どうしてそう呼ばれるのか、 どのような意味でそう言われているのか。

日本全国にはたくさんのYHがあるが、「そこは“キチガイYH”だ」と ホステラー仲間達の間で言われているのを聞くと、一度そこへ行って、 どんなものかと様子を見聞したい、序に泊まってキチガイ振りを実際に体験してみたくなる。

何となく関心が惹かれるし、そんなに妖しい魅力を漂わせたYHであるならば一度は行く 価値があろうと思われてくる。そこは“キチガイ連中”がいるところなんだよ、よせ、よせ、 行くな!と少々侮蔑的な言葉を口では吐いてはいるものの、目は笑っている。 そこへ行ったことがないのか、と突っ込んで聞いてみると、実は泊ったことがあるという人が結構多い 。

要するに、概して居心地が良いのだろう。それとも何もすることが無いから ついブラブラして滞在期間を延ばしてしまっているのか? ここYHの“主達” または“住民達”は滞在中、お互いの自由を尊重しながらも自分なりの人生を、 青春を謳歌しているようだ。連泊者が多いというのもそこら辺に理由があるのではないか。 気楽な、自由な、邪魔されない居心地さとでも言えようか。

別の理由もあるようだ。つまり、積丹カモイYHにやっとの思いでやって来て、 宿泊した場合、そして翌朝にはもう出て行かなければならないとなると、 何の為にわざわざここまでやって来たのか理解に苦しむ。もう一日ぐらい留まって 何かをやってから出て行った方が宜しいのでは? ということになる。 長居が事前に予定されているような場所柄でもあるようだ。

 

積丹半島の良さとは? 特に西海岸の方はまだ手が加えられていない、 観光化されていない、俗化されていない、自然が自然のままで残っている。 そこへ行くには歩かなければならない。また歩いて行くだけの価値もあるというもの。 でも一旦踏み込んでしまったら出にくいのだ。戻って行くにも大抵歩くしかないし、 運良く車をヒッチ出来ればいいが、毎度毎度そういう運が誰にでも巡ってくる ということでもあるまい。その億劫さ、難儀さが暫く滞在していようということ にもなる。勿論、居心地も確かに良いから、知らぬ間に長居の連泊となってしまう。

そういうことで、何泊かした後、今日こそはこのYHを後にしなければならないと いった状況になった時、一大決心が求められる。心の整理も必要となろう。 後ろ髪を引かれる思いもあるかもしてない、もっと長く留まっていたい、 もっと、もっと、もっとっと。

北海道に来る機会があるならば、まだ自然がそのまま残った、この積丹半島の、 この地へと来てみよう。

そう思った。

 

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