「第12日」
19xx年8月17日(木)曇り
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 珊内
■舟は出ない?
今日、YHを出る積もりだった。出掛ける支度も完了していた。リュックサックの荷物をひょいと肩に担いでそのまま玄関先から出発するだけであった。あとはただ舟さえ出てくれれば、であった。
舟は神威(カムイ)岬がある余別(ヨベツ)の方へと海上を北進、陸地側の海岸線を見ながら、ぐるりと走って行く筈であった。そうすれば積丹半島一周を海上から出来てしまう。そう考えていた。
玄関前、YHの受付で確認を取って見ると、舟は出ないらしい。本当かどうか、自分で現場に行って確認したわけではない。しかし玄関前に屯(たむろ)している人たちの話を総合すると、どうやら本当らしい。
でも、あっさりと「はあ、そうですか、分かりました」とそう簡単に
は信じられない。半信半疑であった。話が伝わって来たというのはどうも事実らしい。でも、欠航ということが本当に真実なのか。信じ切れない。信じたくない。
どうして出ないのか?
天候の所為か、乗客が少な過ぎるのか。この世にはぼくの思い通りにコトが首尾よく決まるという訳でもないのだ。諦めるしかない。
分かっていることだが、実は心の中は諦め切れていない。
そうだ、明日がある
ではないか。明日だったらきっと出来るかもしれない。もう一日ここに留まって様子を見よう。今日でなくても良い、明日だ、明日改めて出発しよう。もう一日待てばきっと舟は出るだろう。
舟が本当に出ないとなると、歩いて行くしかない。そもそも神恵内(カモエナイ)まで先ずは戻って行かなければならない。2時間程掛かるという。明日出発することに心が傾き
掛けていながらも、一方、これからでも出発しようか、とも考えていた。
ぐずぐずと迷い続けているうちに舟の出航時刻(出ないというのに、出るとしたら、ということになるのだが)、時計の針は午前9時40分を指し、そのまま何にも起こらなかったかのごとく静かに針は進んで行
った。その辺をぶらぶらとしているうちに気が付いて時計の針をもう一度見たら、たちまち正午になっていた。
時はお構いな
く黙って進んで行く。止まれ! と思いを強烈に注ぎ込んでも、止まらない。時は川のように流れて行くとも言う。
もう午後になるというのか? この流れは早い。本日はもう当然ながら、いや、寧ろそれを望んでいたかの如く、出発の機を見失ってしまった。もう一泊しよう。
そうしよう。明日まで待ってみよう。明日に賭ける男だ、オレは。もう一日待
って、明日になれば、きっと、きっと舟は出るだろう―― そう期待した ――いや、出るに決まってる! きっと。
もう一泊しよう。つまりここ珊内には3泊目となるのだが、そう決めてしまった。もう一泊して待つのだから、舟は明日出る。出る。出る筈。出なければならない――そう固く信じた。
出なかったらどうする? 出ないことなど考えられない。考えなかった。きっと出るのだ!
明日になれば海上、明日は明日の風が吹くかも知れないが、明日の風
は収まり、静かに安全に航行出来るようになるだろう。明日に望みを託そう。明日こそ、明日こそ、明日こそは、舟は出るのだ。そう、出るのだ! もう一泊するのだから舟は出るのだ! しつこいほどの、この思い込み!
舟が出れば積丹半島を一周することが出来る。一周出来れば、嬉しい。一周するということは象徴的にもその地域全体を訪れたということを意味する。
明日の朝まで待とう。朗報が届くのをぼくは待つのだ。良い知らせがやってくる。
さて、それでは今日の午後からの時間をどうやって過ごそうか。息を抜くこともなく旅を続けてきたので、ここでリラックスしよう。昨日までの、旅先での出来事を思い出しながらノートにメモしておこう。書き疲れてしまった。
■ヒゲ男、舞い戻る
夕方。おやっ、あの人、何時の間に戻って来たのだろう?
昨日「さいの河原」で出会った、例の髭面男がこのYHにひょこひょこと舞い戻って来ていた。昨日
知り合ったよしみで風呂の時間が来るまで、この人とベランダに一緒に出て色々と話し込む。
この人の特技なのか、縦笛が上手だ。本当に何でも弾けるのかと、ぼく自身が知っている筈だと思っていた幾つかの曲目を一生懸命思い出しながらリクエストした。
一曲目を弾いている最中に耳を傾けて聞いているというよりも、この曲が終わった後の次の曲名を思い出そうと集中していた。演奏が終われば、次はこの曲、どうですか? そしてその次はこれ、とぼくは勝手気儘にリクエストしていた。
この演奏家は楽譜を見ることもなく空でどんな曲も弾いてしまう。どうしてそんなことが可能なのか。ぼくも小学生の時だったか、音楽教室で、そして下校中にも、周りの世界を忘れて縦笛を弾いていた
。そんな覚えがある。が、この人のように曲らしくは弾けなかった。 才能がなかったのかもしれない。意図も簡単に、いや簡単そうに次ぎから次へと曲目をこなして行く、プロだからこそ出来る技なのか、竹の筒の中に息を上手い具合に吹き込んでいるだけにしかぼくには見えない、この髭男の、演奏振りにぼくは内心ただただ驚嘆していた。と同時に昔の自分に対しては慨嘆していた。
■誕生会、白いハンカチ、寄せ書き、
夕食後のミーティングでのこと。
離れの広い木造小屋とでも言うのか、その中に入って行くと、テーブルの上に置かれたランプ、その柔らかな光が照らし醸し出す親密の世界、今晩の宿泊者たちは全員集まり始め、その顔顔が皆出揃った。
皆、何となく妖しく輝いている。YHでのミーティングに参加する度に、毎度、何か別の面白いことでも起こるだろうという期待がぼくの心にはあった。今回の、当YHでのミーティングで誕生会が開催されるとは予想していなかった。そんなことも起こりうるのかと喜び、認識を新たにした。
本日が偶々(たまたま)ある女性ホステラーの誕生日に当たっていたということで、原則的にホステラー全員が出揃う夜のミーティングでは遅ればせながらも、夜の誕生会となった。確か23歳になったとか。
彼女の為に、先ずはこの髭面男、御自慢の笛の演奏を提供する。特別出演と言ったところだ。このためにさいの河原」から舞い戻って来たのだろうか。息を凝らした部屋一杯に独特な音色がゆっくり流れる。何故だろうか、何となく哀愁を帯びた溜め息が漏れているかのように感じ取れるというのも、それは演奏者の心の反映であろうか。それとも旅の途上、音楽に触れることもなく過ごして来た
ぼく自身の心がそんな状態だったのだろうか。
演奏が済んだ。
次にささやかなプレゼントが彼女へ贈られることとなった。
「皆さん、それでは寄せ書きを!」
真っ白いハンカチが準備されていた。
「皆さん、お祝いの言葉は一人一人、短い一行だけにして下さい
」 集ったホステラー達は結構多勢であった。
寄せ書き、と聞いてぼくは一瞬逡巡した。 ぼくも何か書かなければならないのか!?
弱ったなあ。 困ったなあ。そんな思いが一瞬湧いてきた。
自分としては何と書こうか。迷った。自分には書けない、
いや、書くべきことがない。焦った。
自分を表現する言葉などあるのだろうか? 自分に対して戸惑った。
一層のこと、ぼくはパス! としようか。いや、何か書かなければならないだろう。何と書けば良いのだろうか?
何と書こう?
別に深刻なことを書く必要はないだろう。月並みな「お誕生日おめでとう!
」 とでも書き添えて置こうか? 頭の中ではやおら結論を急ごうとしていた。
ぼくの所にハンカチが回って来た時、既に多くの、お祝いの言葉が記入されてあり、そんなハンカチを両手で取って大雑把に目の焦点も定まることなく眺めていたら、ハンカチ一枚勿体無いなあ、などという場違い的な、唯物的な思いが湧いてきたが、それよりも
ぼくも一行文を早く綴らなければならない、と我に返った。
ところで、他の人達はどんなことを書いているのだろうか。気にならないと言ったら嘘になる。参考になるかもしれない。
何と書こう?
次の人が、つまりぼくの直ぐ隣に腰掛けている人だが、今か今かとうずうずしているように感じ取れないこともない。もう何を
書こうかと決めてしまっているのだろう。
ぼくはまだ決めていない。やっぱりパスして次の人へと回してしまおうか。最後の人が書き終えて、まだ書くスペースがあったら、最後に書かせて貰おうか。放棄の思いも一瞬湧いてきた。が、そんな思いも頭から否定するかのようにぐっと口の中へと飲み込んだ。
ぼくは少しでも時間稼ぎが出来るようにと、両手にした正方形のハンカチ、縦も横もないのだが、それでもハンカチを縦にしたり、横にしたり、また裏返したりと、このハンカチには何かがあるのではないかと、恰も何か重要な点検・確認作業をしているといった仕草を一つ一つ取っていた。その間、実は、頭の中、必死に駆けずり回って適当な文句を捜しあぐねて
いた。
他の人が書いたものを読んで見ようともしたが、自分が書き加えるべき言葉を頭の中で探し回っている最中だったので、気を取られて読めなかった。人の書いたものを読んでいるよりも、早く自分で書いて、次へと回そう。次の人が待っている。
そうだ、これにしよう。突如、啓示の如く、言葉が与えられた。これで良い。ぼくからその女性に対する贈る言葉だ。個人的に彼女のことを知っている訳ではないし、たまたま同じYHに泊まっただけに過ぎない。彼女はこの日が誕生日だった。
全てがぼくの目にとっては偶然事のようで
もあったのだが、白いハンカチを介して、それが実は偶然事ではなくなり、自分自身と向かい合う
契機にもなった。こんなにも早く自分と向き合うことになるとは思っていたなかった。
これからも思う存分生きて行って下さい!
彼女への、お祝いの言葉というだけでなく、
自分の心の内からの自分への呼び掛けとしても書いた。書いてしまった。書いたものは残るだろう。その言葉が彼女の心に届き、響くものかは分からない。その言葉はぼく自身に向かっても発せられたものであった。
思い切り生きたい。
旅に出る前のぼくは、まだ若いくせして人生を何となく諦めてしまっていたかのような掴み所のないフワフワした気分の中を惰性的にその日その日を
刹那的に生きていた、いや、息していた。そう、ただ朝から晩まで、毎日、そう言えよう。
頭の先から始まって全身がジンジンと腐り掛けていた、そんな自分に発破を掛けたかった。無理やりにも後ろから押し出そうと、ああだこうだともがき続けていた。時間稼ぎの如く、書き続けていた。自分を説得させ、納得させ、行動へと駆り立てようとしていたのだ。ある日、やっとのことで踏切がつき、終には一大決心が付いた。ロケットの如く、勢いを付けて一気に飛び出た。
(多分)一生一度の、日本一周の旅へとぼくは飛び出した。一生は短いと言 えば短いのだから、濃く生きよう。
思う存分に生きたい。
手応えを感じながら生きる。
本当の意味で、生きたい。
これはぼく自身の願望であった。また僭越ながらそのまま、知らない彼女への
、ぼくからの希望でもあった。今までぼく自身が思う存分に生きていなかったという自己認識から、そんな生き方をしないでね、というぼくなりの自己反省からの言葉となって表れた。
皆一人一人、ぼくをも含め、ハンカチは手から手へと渡り、真っ白だったものが見る見るうちに手垢で汚れてしまったかもしれないが、そんなことをも忘れさせる寄せ書きで一杯になり、それを彼女の誕生日への良きプレゼントとしたのだった。
個人的には誰一人として知らないであろう皆さん(でも、皆旅を愛する日本人だ!)全員の両手の間から生まれ出たカラー・ハンカチが本日、新たに生まれた彼女に手渡された。
色々な個性的な書体、文字で埋まった、正に芸術品に生まれ変わったようなハンカチ、そこには一人一人の思いが、希望が、決意が、親切が、愛が背後に息づいている。人生という旅での一日、良い思い出となったことだろう。新たな旅発ち。
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