「第15日」
■日本一周ひとり旅 ■
19xx年8月20日(日)晴れ
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一夜明けた大通公園内、
いる、いるいる、いるではないか、やっぱり。噂の通りだ。
朝が明けたばかりで、人の往来が顕著になるまでにはまだ時間的に比較的早かったが、寝袋から上半身だけ剥き出し、ステージの上から下の方を見渡してみると、いる、いるいる、そこら中にい
た。
実は自分もその一人に含まれる。だから、人のことを棚に上げて言うことは出来ないが、そこら辺にゴロゴロと野宿している連中が多いのには驚いた。いや、それなりに壮観だ。やはり有名な大通公園だけはある。有名な、とは夏、野宿する人で結構一杯になる、という意味だ。
午前6時40分、起床。
ステージの上、ぼくの脇、隣に寝転がっていた人は東京デザイン学校の学生であった。同じような旅をしているということで、また同じ場所で同じように野宿をしたということで、その場で直ぐ仲良くなり、札幌駅まで一緒に歩いて行
った。駅の、同じ洗面所では洗顔等、朝の儀式を行う。
札幌駅の構内で身支度を整えた後、美味しそうな話を小耳に挟んで覚えていたので、「どうですか、二人だけの団体ということで工場へ一緒に見学に行って見ませんか?
」「行きましょう!」ということになった。
その方角へと歩いて行く。実はそこへ行こうとする直接の目的は見学ではなく、見学中に見学者には無料で提供されるという美味しいアイスクリームがお目当てであった。
約一時間程、長い距離を歩いた。
「本日は祝日ですので見学はやっておりません。」
開口一番、こうであった。
押しの一手
、ではなく、楽しみにしながらの、押しの一足二足と歩数を重ねて来て見れば、肩透かしを、うっちゃりを食ってしまった。本日は工場がお休みだなんて
聞いていなかった。知らなかった。ただ美味しい話と食欲を頼りにここまで、もう来てしまった!
工場はお休み、見学はやっていない、アイスクリームはない ――こうした一連の事実を知るためにわざわざ長い距離を歩いてきたというわけか。
骨折り損のくたびれ儲け。
「ねえ、アイスクリームはどうも食べられないらしい。どうしようか?」
一時間も掛けて歩いて来た。楽しみにやって来たのに、例の、あの、口の中で冷たく甘くとろける、例のものが欲しくて、わざわざやって来たというのに、そんな殺生な! とつい愚痴りたくもなる。でも黙して我慢していた。
二人で顔を見合わせて、 お互いに目と目でもって会話を続けていた。
「どうしようか? すごすごと引き下がるしかないのかなあ
」とぼく。
「ここまでやってきたのにねえ
」と彼。
「潔く諦めて戻って行くとするか
」とぼく。
「そうするしかないみたいだね
」と彼。
「じゃ、そうすることにしようか
」とぼくは結論を急ぐ。
我々二人はまだちょっと態度を決め兼ねていた。そう安々とは諦めたくはない。
我々二人がその場から立ち去ろうとしないのを見ていた、応対に出て来られた人はどう思っているのだろう。
こんな風であったのだろうか。
「―-― 将来も末永くご愛顧を頂くことが願われる若い消費者がこうして二人してやって来てくれた。大切に扱わなければならない。お客様は神様だし、しかも本州は遠い東京の方から当工場を訪れるためにはるばると北海道に渡って来られたのに、そのままお帰えししてしまって良いものだろうか。見学を担当する自分ではないが、私が個人的に見学を受け付けてあげよう。」 ―――以下、省略。
本日は見学日ではないと告げられたのにも拘わらず、我々二人が言わば団体でやって来たということで、結局、見学は出来た。その日の宿直に当たっていた職員さんだったのだろう、応対に出て来られたその方に引率されて、工場内、我々二人は説明を(少なくとも
ぼくは)少々上の空で適当に聞き流しながら見学した。
そう、祝日でも見学は出来た。でも、大いに期待していた例の、喉から手が出るほどに欲しかった、あのアイスクリームは 出て来なかった!
「あの〜、例の、アイスクリームを下さい」
そんな風に浅ましくも催促は出来なかった。
見学をさせて頂いた御礼に、とでも言えば良いのか、牛乳一本を自分で買って飲ませて頂いた。相手に見事一本取られてしまったような形だ。
「これから何処へ行くの?」
「旅の計画はどうなっているの?」等々。
見学を終えてから、今度は逆に色々と聞いて来る。
午前10時、御礼を述べ
、工場を出る。
15分後、苗穂(ナエボ)駅に来る。ここまで一緒に行動を共にしたデザイン学校の学生は札幌市内へと戻るというので駅前でお互いに別れた。
一人になった
ぼくはベンチに腰掛けて休憩。その間、色々と地図と相談したり、身支度を整えたりした。
午前11時、心も決まった。さあ、本格的に道内ヒッチハイクの開始としよう。
国道12号線に沿って歩き続け た。30分経っても車は止まらない。
ようやく止まったバン。運転手さんは途中、野幌(ノッポロ)の森林公園の中まで車を入れて、
「30分間程、見物してきなさい」と親切にも自由時間をくれた。
直ぐに目に付いた北海道百年記念塔に登って行き、下界を見渡す。今日は休日(そう、カレンダーの上では今日は休日!こうした旅を続けていると今日が日曜日に当たるということなど忘れてしまう)で行楽客があちらこちらに散らばってお弁当を広げているのが望見される。ちょうど昼食時間帯なのだ。周りは緑も豊富、こんなに広い公園を持っている北海道の人が羨ましい。
一人だけでの何となく掴み所のない見物を終え、車の所に戻ってくる。改めて乗車。少し走ったかと思ったら、呆気なく下車。その場で次ぎの車を待つ。
北海道と九州との間を行き来している大型保冷車に運良く拾われる。今日のうちに稚内(ワッカナイ)へと行くそうだ。その気になって稚内まで一気に行ってしまおうかと心が動いたが、本日の予定は旭川(アサヒカワ)まで、と
既に決めていたので自制した。
関東は茨城出身のお兄さん風の人達で、方言丸出しだ。聞き慣れていないから新鮮に響くし面白い。
ぼくは他にすることもなく、運転台に腰掛けたまま全身耳であった。
保冷輸送車の中、ラジオ放送を聞いていたら、大通公園で落語家の歌丸とかえるがコンビを組んである人、多分街行く人の代表を呼んできたのだろう、その人をインタヴューしていた。
今日もう一日ぐらい
は札幌に留まっていようかとも思っていながら、実際は今車の中、旭川に向かっている途上であったのだが、運転手さんも言うように、「残念だなあ」を連発したいぐらいだった。何故か。今朝、札幌を発ったばっかりだったということ、そして大通公園でやっていることと車の中の自分とが電波を通じて非常に身近に感じ
られた。多分、昨晩一夜を明かした、あのステージの上に立って、放送が流されていたのだろう。
午後4時を過ぎて、途中、旭川アイヌ部落で一時停車、一時休止。アイヌ衣装を借りて記念撮影をした。売店の女の子と話しているうちに、無料で泊れるということを教えて貰い、今晩の宿はこの部落内にある小屋にしようと
躊躇わずに決めてしまった。宿泊者はぼく一人だけだろうと思っていたら、夜遅くなるにつれて宿泊者の人数も増え、数えてみたら合計8人になっていた。久し振りに畳の上で寝れた。
ところで、この売店の女の子、人懐っこい高校生の恵子ちゃんという。後日、この長い日本一周の旅を終えて、いや、中断して一旦家に
ぼくは戻ることになったが、実際に帰って来て見ると、この恵子ちゃんからの年賀ハガキが長いこと届いたままであった。
「あけましておめでとう
もう故郷に着いたかナ?
何か収穫ありました?
それはそうと12月中に写真送ると書いてあったので
毎日毎日待っていたのに
どうして送ってくれなかったの! 至急送るベシ!」
まだ送ってくれないの? 至急送るベシ! と角を立てた鼻息荒い牛の似顔絵が添えてあった。待ちくたびれた自分のことを描いたのかな?
何と申しましょうか、この年上のお兄さんに向かっての、この口の利き方と言ったら。いやはや、ちょっと将来が思い遣られますな。
持参のカメラで恵子ちゃんと茨城からの運転手さんのツーショットを撮ったのだった。写真が出来上がったら一枚送るから、と約束はした
ものの、12月中に送ると書いたかは覚えていない。北海道一周のひとり旅を相変わらず続けていたし、それが終わった後は東北地方をマイペースであっちへこっちへと南下していたし、ところが恵子ちゃんにとってはあの人(
ぼくのこと、念の為)はもうとっくに家に戻っている筈ということであった。
今晩はここの小屋の中で一泊しますからと、茨城からの運転手さん達とはそこで別れた。大型保冷車は、稚内へと走り去って行った。車が見えなくなるまで見送った。
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