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  「第16日」 
         19xx年8月21日(月)雨後晴れ


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物凄い音! 


激しく叩きつけている。聞いたこともない。

 

半分目覚めてしまった。

 あれは何だったのだろう?

 息を凝らし、耳を澄ましていた。

 

頭上、トタン屋根に滝の如く降り注いでい た。その雨の激しさ、喧しさ、ある意味では恐ろしい。

その音を聞いていると屋根を突き破って降り落ちて来るではないか、といった錯覚に陥りそうだ。

野宿している時にはちょっとした小雨でも例外なく過敏に反応していたが、今はいくら降って来ても何の心配もない。そういった安心感、余裕感があった。

と、突然、思い出した。ガバッと跳ね起き、ロケットの如く小屋から降雨の中へと一目散に飛び出して行った。ぼく自身も一時的には濡れてしまうのであったが、そんなこと、考えている暇もない、外に干しておいた洗濯物、その洗濯物がビショビショに濡れてしまう! 救い出さなければならない 。

 

元の寝床に戻った。慌てて小屋から飛び出て行った。直ぐにまた戻って来た 。本当にこの自分だったのだろうか。午前5時頃の、一瞬の出来事。まるで夢の中、その中を、雨の中を行ったり来たりしていた。

激しい雨音が この寝耳に届いてくる。だがその雨脚も知らぬ間に消えてしまった。また寝入ってしまった。

朝が既に明けていたのか、改めて目覚める。聴覚も目覚めた。確かに外は未だ激しく降り続く。今は雷雨だ。
 

 

 

 午前9時、起床。出発を見合わせる。 小屋の中、雨脚が弱まるのをで待っていた。

 午前10時を過ぎる頃、漸く止む。

 午前11時半、直ぐ目の前の、雨上がりの道路に進み出て来て、ヒッチ開始。

雨ですっかりと洗われ濡れたままの道路に太陽光線が反射して眩しい。飛沫を舞い上げながら引っ切り無しに車が通過して行くが、止まってくれる車がない。車からの風圧を受け、飛沫も受けてしまう。雨上がりの後のヒッチハイク、30分間、根気良く試みたが結果はゼロと報告せざるを得ない。

正午を過ぎ、バンが止まった。7分後、旭川駅前に着く。歩いて来ていたら同じ時刻頃に着い ていたことだろうと分かったが、まあ、「北海道における道路状況とヒッチハイク状況との比較、その状況分析」について研究論文を書くために、歩いても行ける距離をヒッチを試みていた。ここではそう記しておこう。

 

駅前にやって来て見ると、 無料宿泊小屋の中で知り合った自転車一人旅の髭男にすぐ再会した。

 「昼飯を食べに行きませんか?」 

 二人で一緒に、安いという食物屋に行く。

食後、常盤公園まで一緒に歩く。公園に着くと、お互いに別れた。君には君の道、ぼくにはぼくの道がある のだ。

 

ぼくはそのまま一人で近文アイヌ部落までの道を歩いて行く。一時間ぐらいで着く。着いた時、酋長さんはお客さん達(つまり観光客のこと)と並んでちょうど記念写真を撮っていた。ぼくも一緒に撮って貰おうっ、と急ぎ足で酋長さんに近付こうと思った時にはその場から去って行ってしまった。

酋長さんが定期的に登場する時間が決まっているらしい。酋長さんがまた外に出て来るまでベンチに腰掛けて待つ。今か今かと意識を集中して待っていたので、ちょうど良い具合に出て来たところ、アイヌ語は喋れなかったので日本語で頼んで一緒に並んで写真を撮って貰った。このアイヌ古潭(コタン)に来た目的は達せられた。

帰り道、同じ道を歩いている人が前方に見える。その人に追いつき、色々と語り合いながら一緒に駅まで歩いて行く。やはりヒッチハイクで北海道を回っているとのこと。

午後5時半頃、駅に着く。預けてあった荷物をロッカーから取り出し、待合室へと移動。その一隅、人々の往来が最小限と思われる場所、今晩はここで寝ることにしようと早々と決めた、そのベンチに腰掛け、こうして寝場所を早くから確保出来た自分に向かって内心拍手を送った。 寝場所が確保出来た安心感もあって、色々と地図やら観光案内本のページを繰ったりしながら時の流れに身を委ねていた。

時間は騒々しくもゆっくりと流れ去って行った。そろそろもう寝ても良い時間だろうと自分なりに判断、ぼく一人だけのベンチの上、先ずは旅の普段着のままで、勿論、リュックサックも用心のために頭と肩の下、枕代わりにして使用、両足を伸ばして水平に横たわる。う〜ん、何だか、このベンチ 、背中の感触がとても悪い。横木が何本か渡してあるが、その鋭角的な圧迫感、背中を無理矢理に攻めて来る 。

それはそうと、夕方になっても一向に鳴り止まない、構内でのスピーカーからの張りのあるアナウンス音 。列車発着のお知らせやら、迷子の親御さんを探すお知らせ等々、尤も親御さんが迷子になったという訳ではないだろう、それともそういうことなのか? 

とにかく、色々なアナウンスは夕食の入っていない、この腹にビリビリと痛く響くし、アナウンスの音量に恰も負け じと回りの人々の話し声も大きく絶え間なく、それらがまとまってこの耳に無理やりに侵入してくるし、テレビもつけっ放しなのか、時々人声が途切れた合間にその機械的なる音声が 「ここにはテレビもあるのだ、分かっているのか !?」と言った風にその存在事実を思い出させてくれるが、その音声さえ人々の話し声で揉み消されてしまっている。テレビを見ている人などいるのだろうか。電気のムダ使いだ。音声のむだ使いでもある。

喧騒の中での就寝の試みと相成ってしまった。何時になったら寝入れるの か。そんな質問をする方が野暮だ。

寝転がったまま目を閉じ、眠気が襲って来て、そのまま自然に寝入ってしまい、後はどうなろうと構わんといった夢の世界に入るのを待っていたのだが、肉体的にクタクタに疲れていたわけでもないし、寧ろ頭の方は最高に冴え渡っていた。寝袋を紐解いて、その中に頭まで入れて潜り込んだ。少しでも騒音から身を守ろうとした。

真夜中の午前2時頃、もう汽車の発着もなくなった、ようだ。 今までの禁が解かれたかの如く、待合室の中へと、男達、女達が怒涛の如く先を争うかのように、良い寝場所を確保しようとぼくの側にも押し寄せてきた。ぼくはまだ眠っていなかった。いや、うるさくて、うるさくて寝入れなかった。苦しんでいた。

寝る場所の選択を誤ってしまった 。そう分かっても今更新たな場所探しも億劫だし難儀でもあったので、そのまま寝転がっていた。これも旅での経験のひとつだ。ここではそう記しておこう。

朝も明けようとする時間帯になって、漸く静かになったようで、正味二時間程、睡眠が出来たと言えようか。

 

 初めての“ステーションホテル”だった。

宿泊の感想? 居心地も寝心地も 最悪。

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