稚内→香深(礼文島) 日本一周ひとり旅↑ 鴛泊(利尻島)→稚内、宗谷岬)
「第19日」
香深(礼文島)→ 鴛泊(利尻島)
午前6時に起床したが、体全体がだるい。疲れが十分に取れていない。
何故だろうと考えていた。宿舎に泊まった時には必ずそうしていたのに、昨晩は就寝前、風呂に入らなかった。
そうだ、風呂に入って旅の汚れと疲れを落とさなかったからだ、と自分なりに分析した。入らなかった、と言うよりも、入れなかった、と言った方が正確だ。
何しろ宿泊客が150人程とのことで、宿舎内、何処も彼処も人で満員状態、自分がしたいと思うことが容易に出来なかった。風呂も順番待ちだったし、待ち切れず簡単に諦めてしまった。しかし、予約無しで泊れたのだから風呂に入れなかったからと言って不平不満を鳴らす筋合いではないだろう。
起床すれば、朝の一連の動作として次には朝食を取ることになるのだが、この島に渡って来る前の旅費準備不足の為、朝食代を支払うことも出来ず宿泊代だけ、、、朝食は抜かざるを得なかった。 さて、朝食を抜いたことによって、しかも昨晩の、あの情景がこの瞼に重なり合った為に、またその人の気持ちが自分のことのように痛く分かるようで、これこそ初めて、やるせない思いをした朝の一幕を見た。
ここYHの建物は昔の、ニシン番屋を改良したものなのだそうだ。造りはちょうど体育館の内側に見られるように、天井近くの壁に沿って四方手擦りが取り付けられており、手擦りの後方は二段ベッドが所狭しと取り付けられてある。手擦りとベッドとの間は通路となっている。 昨晩、一人の男、やはりYHの泊り客だが、その手擦りにあごをちょこんと乗せて下の方、広間で皆が一緒に夕食を取っているのを何だか恨めしそうに眺めていた。 偶々ひょいと見上げるとそんな姿があった。多分、夕食を抜いたのだろう。何故、食べないのか? 食べられないのか? 食べたくないのか? 知る由もない。勝手に想像するだけであった。
今朝、今度は僕の番だ、立場が入れ替わったみたいだ。昨晩の彼の気持ちも分かるような気がした。その場にあっては暫し耐えるのだ。皆がそうしているのに、自分だけはそこからパチ〜ンと弾け出されたような、仲間外れにされたような、皆と一緒に同じことをしていないということで、してはいけないことでもしているような、そんな心になっている自分を発見した。その時は何ともやるせない。 宿泊客皆が広間で朝食を取っていた時、僕は何をしていたのか、と言えば、寂しい口の中、飴玉をしゃぶりながら二階の小さな窓から外の四角い海の方をぼんやりと眺めていた。
昨晩のことが思い出される。
別にここのYHだけではないが、YHでの、夜のミーティングでは、よくヘルパーの人がこう言う。 「昨日までは見ず知らずであった私達は、こうして集って来て、今では兄弟姉妹と言ってもおかしくない」 そうだ、そうだ。そう信じたい。 「それでは皆さん、お互いに肩を組んで下さい。さあ、全員で歌いましょう」
そんな兄弟姉妹になったということで、ミーティングがお開きになる前、一緒に歌いながら、ゆっくりとお互いに上半身を左右に揺らす。胸から頭、両耳に、そしてまた胸へとジーンと感じ入るものがあった。このまま続いて欲しい、といった気持ちになっている。感動して酔っている。 ♪いつまでも 絶えることなく友達でいよう 明日の日を夢みて 希望の道を
♪空を飛ぶ鳥のように 自由に生きる 今日の日はさようなら また会う日まで
♪信じあう喜びを 大切にしよう 今日の日はさようなら また会う日まで また会う日まで 今日の日はさようなら
■YHでの、白けた朝そして翌朝がやって来た。 YHの朝風景。 どこか白白しい所が見受けられる。僕の気のせいかも知れない。 朝になれば皆一人一人が目的地に向かっての出発だ。あわただしさも見られるし、何処かよそよそしさも感じ取られる。 そんな風に感じてしまうというのも、僕はいつも一人で旅しているからなのかもしれない。一人旅をしながらも心の中、人との本当のつながりを求めようとしている。今朝の僕、そんな感受性に富んだ僕一人だけの単なる思いに過ぎなかったなのかも知れない。 希望の、信じ合う喜びの理想的世界像から乾いた元の現実に引き戻されてしまった、今朝。兄弟姉妹で、友達であった昨夜、再び見ず知らずの他人同士と戻ってしまったかのような今朝。ちょっと極端過ぎるかもしれないが、また逢える日まで、さようなら、また逢える日まで、さようなら。 新しき明日の来(きた)るのを信ず、と歌った石川啄木ではないが、永遠的なつながりを求めても、この世では夢に過ぎないのかもしれない。
■所謂キチガチYHというが、、、、、ヘルパーとホステラーとの関係も大部分のホステラー達にとっては、一夜の即席兄弟姉妹関係でしかない。 ホステラー仲間達の間でキチガイYHだと評されるYHがある。何故そうなのかと考えてみた。そういうYHではヘルパーが泊まりに来る人達との間にどのような関係を結びたいと考えているのか、自分をどのように表現しようとしているのか、その人の個性の違いによって、そのようなレッテルが貼られたりするのではないのか。そんなことが分かってきた。 キチガイの集まりだと言われるYHとしては、積丹のカモイYHもそうであったが、ヘルパーはやたらと“個性的”であろうと努めていたようだった。ヘルバーに感化されてか、長期の連泊者の中には確かに個性的とでも言える人たちが見られた。 勿論、キチガイと称されることを良しとする、その背後にはそのYHの経営面での思い入れも加味されていることなのだろう、穿った見方をすれば、、、だ。
■とにかく、希望の朝としよう、礼文島を一周したい気持ちは全然なかった、と書いたら嘘になる。でも金銭的に連泊は出来ない。野宿するとしても、どうも適当な場所がこの島では見当たらないかも知れない。そう感じた。島の状況に関して十分な情報が手元になかった。 とにかく、朝の出発だ。希望の道、自由の道、信じ合える喜びの道を更に求めての、旅の出発なのだ。
利尻島行きの船のこと、もう少しで忘れるところであった! 午後1時50分には出る。出航までにはまだ時間的に余裕がたっぷりとある。だから、それまでに何かやれそうだ。 やはり島の一周でも出来るだろうか? 4時間強の時間で出来るのか? でも船に乗り遅れたら大変だという思いも一方にはあった。
玄関前の、横の壁を背にしたベンチに一人腰掛けながら、考えるともなしに考えていた。いやいや、頭の中は空っぽであった。腹の中も、であった。 大抵のホステラー達は朝早くから稚内へと戻るということでそそくさに発って行った。今、居残っているのはごく少数だ。連泊組だろう。不安定な静寂があたり一面に立ち込めていた。 こんな所に何時までも自分一人だけで腰掛けていても埒が開かない。そう思えてきた。 午前9時20分頃、腰を上げた。ひっそりとそして恰もこっそりと一人、誰からの見送りも受けることもなく、その場を離れ、近道があると聞いていたので、その近道を通って行くことにした。リュックサックを背中に乗せて香深港まで自分一人で運んで行った。 島に渡ってきたときには大いなる歓迎があったが、今はこそこそと逃げるかのように沈黙したままで一人で出発だ。
■出港前の、不思議な出来事?午前10時過ぎ、港に着いてしまった。 港にやって来たからと言っても船の出航時間が来たというわけではない。 沿岸に沿って歩き、海へと突き出た幅の狭いコンクリートで固められた岸壁の上、適当な場所を見つけ寝転がった。そのまま背伸びをした。両腕を頭の後ろに組んで枕にした。眼を閉じた。
周囲からは色々な音楽が聞えてくる。
耳の下の方では波がバシャ〜、バシャ〜と岸壁に打ち寄せて来ている。寝転がっているこの高さの、耳元まで海水が飛び上がって来るような響き、そんな勢いを感じる。打ち寄せる波は飽くことなく頑張っているではないか。
ゆめゆめそんなことはあるまい、と思いながらも、何時しか海水にこの身が横たわっている。そんな自分を感じる。ゆうらゆうら揺れ動いている。
顔だけを出して仰向けに辛うじて浮んでいる。全身がゆっくりと左右に、しかし次第に激しく揺れ始めたようだ。何処かへと流されて行こうとでもするのか。
耳の中には海水がもう入ってしまっている。次第に顔面も海水で覆われそうだ。全身が海面下にゆっくりと沈んで行くようでもある。 このまま溺れ死んでしまいたくはないな、そう思う。まだ早過ぎるよ、時期尚早だ、と。
何もしないでそのままじっとしているとずるずると海面下に引き込まれて行きそうな感覚が一瞬全身を過ぎり、戦慄を覚えた。
慌てて上半身を起こそうとする。と、ああ、バランスを崩しそうになって、ますます沈んで行く自分を感じる。
俺はうまく泳げないんだよ、と特に誰にと言うわけでもなかったが、そんな風に自分の窮状を誰かに伝えたい、訴えたいと心は足掻く。
見回しても誰もいない。一人きりだ。仕方なし、半分諦めて、上半身を元の状態に戻す。慌ててはいけない。冷静沈着に身を処さなければならない。
何とかそのまま浮んでいられるような感覚がまた戻って来た。海面を乱さないように静かに慎重に息している。浮んだままの状態がそのまま続く。バシャ−バシャ−、横たえた全身が海水で完全に濡れてしまった。沈潜して行くようでもある。
もう自分の思いの世界を諦めるかのように離れ、眠りの世界に入って行くかのようでもあった。成り行きに身を任せるだけだ。
海鳥が鳴いている。はっと意識が戻って来た。 目を開けた。雲間からは太陽が遠慮深そうに顔を覗かしていた。 ここは何処? 何故こんな所に身を横たえているのか? 自分でも不思議な思いになってしまっている。 ― 一人旅、一人旅だよ、 心の中では別の声が言っているのが聞こえて来る。 ― 一人旅ではないか。こんな時間の潰し方でも良いのだ。 ― でも何だか、もったいないよ。もっと何とかならないものだろうか。 ― 時間は自分に与えられた。否、自分に与えたのだ。 ― さて、それではどうするのか。 ― どうすることもない。寝転がっているだけ。 ― まあ、ゆっくりと、ゆったりと構えていれば良い。 何処かへと急いで行かなければならない、そんな必然性とでも言えることがあるわけでもない。
約2時間、そんな風にして一人の時間を潰していた。
礼文岳にでも登って来ようか、と一時また思った。でもこれから登りに行って来たとして、船の時間までに帰って来られるだろうか。乗り遅れてしまったら野宿、、、、、いや切符が、礼文島では2泊は出来ない。
■利尻島へと出発午後1時過ぎ、何処からか船が港に着いていた。待ちに待っていた船だ。 午後1時50分、予定時刻通り、利尻島に向けて出航。 海上では風が強く、船は揺れに揺れた。海上での揺れの夢、あれは夢ではなかった、やはり現実であったのだ。 一時、思いがけず右舷の甲板は海水をかぶった。ちょうどそこにいた旅行客達は不意の海水の洗礼を受けて慌てふためいた。僕もちょっと濡れてしまった、慌てはしなかったが。306トンという小さい船でもあったためか、よく揺れたのだ。それに少々酔ってしまった、飲んでもいないのに。 鴛泊(オシドマリ)到着時刻の午後2時40分も予定通りキッカリだった。利尻島に無事、上陸することが出来た。利尻島のYHでも予約なしの、飛び込みで泊ることが出来た。
■利尻島、夜間登山昨日の礼文島では入れなかった、この利尻島では絶対に入ってやる、とそんな決意を内に秘めながら、そう、風呂に入った。入れた。早々と夕食を取り、午後7時には床の中だ。午後10時までの仮眠。 実は、夏の期間中だけだが、ここのYHでは夜間登山を行っている。勿論、参加した。利尻島に渡ったならば利尻山に登る。別名「利尻富士」とも呼ばれる、この山に登らなかったとしたら何をしに渡って来たのか、理由が見出し難い。島全体が殆どこの利尻山だけで出来ている。
午後11時、仮眠も終え、時間が来た。夜間登山へと出発。 利尻山の頂上を目指して男女合計40数名、闇の中へと吸い込まれて行くかの如く、後姿が飲み込まれていった。 真っ暗な山道を登って行くということだから、リーダーは懐中電灯を持って来ていたし、足元を照らして出して慎重に進もうとしていた。我々は後からついていくと言うだけのこと。暗い山道、足元は良く見えず、暗く隠された出っ張った石などによく躓いたりした。 何となく重たい腰を持ち上げながら一歩一歩と登って行く。
2合目、 3合目、
5合目、
そして、7合目。やっとの思いで、でも順調に登って来た。 この7合目での休憩中、真っ暗な風が非常に強く吹き荒れ始める。しかも真っ暗な雨もパラパラと降り出して来た。 もう休憩も十分取った。愚図愚図していないで、更に上へ、先へと早く進もう、という意見も聞かれたが、気候の変化を感じ取ったリーダーの独断は下った。
頂上までもう少しだというのに、登頂の成功を楽しみにしていたのに、そして御来光を拝もうという期待、希望、ついでに登頂記念の写真も撮ろうといった目論見も、全部実現不可能となってしまった。 山の上、天候はどうも芳しくないということらしい。仕方ない。素人の登山参加者は皆、諦めて下山することになる。残念!午前2時半を過ぎていたと思う。 下山途中でも地面から出っ張った石によく躓き、つんのめりながら下って行く。それにしても寒かった。
寒かった。 この一言に尽きる。
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