■日本一周ひとり旅■
「第20日」…………………………………………………………………………………
19xx年8月25日(金)雨後曇り
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鴛泊(利尻島)→ 稚内、宗谷岬)
■ 沈んだ目覚め
午前6時半頃、“中途半端”に終わった利尻山登山から帰って来た後、一旦自分の部屋へと戻る。呼吸を整えた。意識は俄(にわか)登山者からいつものヒッチハイカーのそれへと戻った。
午前7時、朝食後、再びベッドに戻って来て寝入る。ベッドの中は温い、快い。
どのくらい寝ただろうか。目覚めてみると回りの様子がどことなく違う。どうも沈んでいるようだ。どうも変だ。
そうか、雨だったのか。しかも土砂降り! どうしよう? 雨だと船は出ないものと思い込むようになってしまっていたので、この天候下、船は出るのだろうか、多分出ないのでは、とちょっと気懸かりであった。
それに雨が降っていると、どうもいけない、心の中まで湿っぽくなってしまうかのようだ。
稚内行きの船は、確か午前10時40分発の筈。
出航時刻までにはまだ時間はあるし、それにもしかしたらこの天候下、船は出ないかも知れない。多分出ないだろう。予想とも期待ともつかないそんな宙ぶらりんな心であった。多分、出ないのだろう。そんな積もりでゆったりとのんきに構えていたら、同室の人が突然、言い放つ。
「おい、もう皆んな出掛けたぞ! 船はもう着いてるぞ!」
「ええっ、船が着いた? 」
いやはや、慌てたこと、慌てたこと。帰りの船に乗れることは多分ないだろうと安心しきっていたのだが、一種の脅しには簡単に乗ってしまった。
ベッドの上に広げっ放しにしていた荷物もそそくさにまとめて、ヤッケを着込み、土砂降りの中を、港に向かって一目散に駆け足だ。
それっ、急げ!急げ! 乗り遅れたら大変だ。大変だ〜! それっ、急げ! と自分を嗾(けしか)けながら走って行った。背中のリュックサックは雨の中でも元気に踊っていた。
やっとの思いで港に着いて見ると、実際、船は着いていたし、乗船手続きも今、正に開始したところであった。
■ 海上は揺れた
海上、船は結構揺れた。船の揺れに合わせてゆ〜らゆ〜らと揺られっ放し、甲板に立ったままでいると何となくふ〜らふ〜らとふらふらに酔って来るような気配を感じ始める。気分が悪くなってくるのが分かる。もう壁に寄り掛かり甲板に突っ立って船の運行を最後まで頑張って見守るといった状況ではない。
どうも船長にはなりきれない。気の持ち様だと自分に言い聞かせながらも、気分が本当に悪くなり吐きそうになってくる。
僕は吐くのを嫌って船内に戻った。畳の床に寝転がった。今何処ら辺を走っているのか、どのくらいの速さで走っているのか、もうどうでも良い。到着するのを待つのみ。運行の安全と監視はもう船長さんにお任せだ。
午後零時40分、稚内港に到着。
下船すると雨も殆ど小降りだ。一応、取り敢えず稚内駅へ行くことにした。腰を落ち着かせて、これからの行動を決めるのだ。
今日は浜頓別(ハマトンベツ)まで行って、そこの駅で今晩は“野宿”としよう。距離として97キロ。そう決めた。決まった。出発だ。
国道45号線と国道238号線の交差点まで約1時間弱、稚内駅からはずっと歩いて来た。途中、何度か手を上げたが、車は素通りの素通り。雨もまたパラパラと風の中を泳いでいる。曇り空。
■ 稚内に戻る
道内にまた戻って来た。北海道内でのヒッチハイクの中断から継続へと、また新たな開始だ。実際は4日間しか留守していなかったのに、ヒッチハイクも久し振りの感覚、新しい別天地に戻って来たみたいだ。
雨の中ではどうせ車は止まってくれまいと少々悲観的な、半分諦めた思いを抱きながらも、とにかく歩き続けた。
でも、止まってくれないとなると本当の所、嫌になってしまう。この旅での移動には車が頼りだ。何とか止まらせよう、止まって貰おうと焦りを感じながらも手を上げる。手を上げるしかない。ヒッチハイクをしていることを知らせなければならない。
今度はどうか? 今度こそはどうだ? と、今度、今度とやってくる車ごとに今度こそは、今度こそは止まってくれる筈だ、止まってください、と祈るような嘆願するような思いで手を上げたまま様子をじっと息を凝らして窺っていると、案の定、「おお、止まった!」ではなく、そのまま通過だ。この上げたままの手を何処へ持って行けば良いのか。下ろすしかなかった。
あるヒッチハイカーは車を止めるために道路の真中、そのまま寝転がった、とか。寝転がっている人の上に車がまさか走って来ることはなかろう、不安よりも期待があったのだろうが、危険極まりない手段を取る人もいるものだ。僕は命がまだ惜しい。
国道238号線に沿って相変わらず歩き続けていた。
漸く止まってくれたバン。おばあちゃんと男の運転手、お孫さんに当たるのか、二人が乗っていた。10分足らずで降りてしまった。
「でも、歩くよりはましだよ」
下車する時のおばあちゃんからのコメントであった。短い距離をちょっと走っただけなので申し訳なさそうに、でも乗せて上げたんですよ、文句は言わせないよ、と何となく威厳を感じた。
短距離で済まないねえ、ということだったのだろう。僕は別にそんなことは気にしてはいなかったが、おばあちゃんの仰る通りだ。乗せて頂きまして有難うございました。おばあちゃん、お達者で。これからも長生きしてください。また逢う日まで、さようなら。車を見送った。
次ぎはトラックが止まった。声問(コエトイ)から宗谷岬まで、約20分弱のドライブだった。
さて、宗谷岬の前、たまたまちょうど同じ時刻にこの場所を訪れていた、近くの人に自分のカメラを手渡して、シャッターを押して貰った。これで記念写真(僕は宗谷岬に来たのだ!これが証拠だ)が出来る。
改めて本日の目的地へと向かって再び歩き出す。でも気がついたのだが、いや、気付かざるを得なかったのだが、実は宗谷岬以降、海岸線の道路を走って行く車が全然来ない。誇張ではない。一台も通る気配がない。車が通らなければ当然ながら乗せてもらって行けるわけがない。車もないから仕方もない。ないないとないが続くだけであった。
車も来ないからと沿道から自動車道路に移って、暫くはゆったりと「ここは俺さまひとりだけの道だ」といった大きな気持ちになって歩いていた。
■ バス停留場小屋に泊る
前々から一度はその中で泊っても悪くはないと思っていた“宿泊”場所があった。
日本全国、他の地方はまだ回っていないので知らないが、道路沿いにはバス停留所が小屋になっているところが多い。このようなバス待合小屋とでも言うべき所は東北地方を北上して来た途中の国道沿いだけでなく、この北海道でも見ることが出来る。都会と違ってバスの便が少なく、バスの待ち時間がこちらでは結構長いためなのだろう。待つ人の身を考えてバス会社の方で建てたのだろう。そう勝手に考えた。我々のように、と言うよりも僕みたいに宿泊先が決まっていない旅の者にとっては何かと便宜を図ってくれる場所だ。臨時の雨宿り、休憩、簡易宿泊所等として。
僕みたいに北海道方面へと無宿の旅をする者にとっては、有り難いことだ。こういった建築物があるから一時止まって、一晩泊る。気兼ねのない便宜を提供してくれる。
道内を自転車で一周している人にとっても格好の雨宿りの場ともなる。自転車だけでなくとも良い。誰でも利用したい人は、バス利用客は言わずもがな、誰でも利用出来るようだ。それともバス会社の事前の許可が必要なのだろうか。まさか!
午後3時40分、その小屋の中のベンチに腰を降ろす。リュックサックも下ろす。もう動きたくはなかった。
人気も車気もない、そんな静けさの中、内心、今晩はここで一夜を過ごそう。夜になってもバスの利用客は誰一人として現れなかった。バスが走っているのかも疑わしい。
このバス小屋には僕一人だけの、貸切となった。素泊まりともなった。 |
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