朝。
今日も期待に満ちた朝がやってくる。
耳を澄ます。
相変わらず、静寂。
思えば北海道は「北の果て」の果てに辿り着いていた。
宗谷岬が目と鼻の先にある。当然ながらすぐ近くには海が広がっている。毎日体験していることは、実現不可能なことと嘗て一顧だにされないことだった。地図の上だけの地名を見ていたのが、現実にその地名が付けらた場所、土地に今やって来ている自分。
そんな果ての果てに来て見つけたバス小屋の中、一人で目覚めた。午前5時半。
夜間の交通は皆無、だから耳障りな騒音もない――静かな、快適な安眠だった。睡眠中に目覚めることもなく、本当に久し振りだった。
洗顔の為、宗谷岬の台地へと歩いて行く。
洗顔後、多分北海道一の最も簡単な、名だけの“朝食”をそこで済ませた。
■ 旅を続けよう
午前7時25分、岬を発つ。今日も一日が始まった。
車の量が少ない。
朝方だからという理由だけでは説明し切れないと思う。この国道238号線は国道40号線と同様、交通量の極端に少ない道路の部類に属するようだ。少ない車を大切に扱わないといけない。変に教訓ぶった思いになっている。
…… ●一台目は、小型乗用車
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約30分程歩いたり、待ったり、漸くヒッチ出来た車、札幌に2、3年程住んでいるという青年が運転する小型乗用車、浜頓別(ハマトンベツ)まで行ってくれた。ジャリ道が続いたと思ったら舗装道路が続く、それらが交互に繰り返す。それでもこの車、結構、飛ばす。大丈夫か?
途中、遠路からやって来た旅行者の、この僕のためにか、それとも自分でも初めてだったのか、気になっていて一度はその存在を確認したかったのか、何故か「ベニア原生花園」の中へとそのまま進入して行ったが、何の花も咲いていず、花床はただただ草で被われているだけだった。有名な花園らしい。我々二人はどうも来る時期を間違えたらしい。
………… ●二台目は、ダンプカー
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浜頓別から枝幸(エサシ)への入り口道路では工事中。既に本日の一台目、小型乗用車に乗って気が付いたのだが、車の通った後には埃が舞い上がっている。埃高き道路。
この運転手さん、僕よりも4年前生れ、既に子持ちなのだそうだ。当然、奥さん持ちでもあろう、若いお父さんだ。雨が降りそうな天候を心配していたが、同感である。雨に降られると困るのである、色々と。尤もそれぞれ別々の理由からではあろう。
道路はガタガタであった。途中、海辺に岩がボツンボツンと出っ張っているのが一面にあった。後で調べて見たら、「千条岩」と言うのだそうだ。
歌登(ウタノボリ)への入り口まで、午前9時47分着。
………… ●三台目は、バン
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オホーツク海上は暗い曇に圧迫されているかのようだ。この旅の人の目には濃い灰色の墨を流したような陰気な絵画のようで、憂鬱な印象を与えてくれる。今にも雨が降って来そうな空だ。
この運転手さん、先ほどの、若いお父さんの、ダンプの運転手さんとは逆に、雨が降ると良い、と言うではないか。なぜか? 理由を聞くのを忘れてしまった。
車の中、足元から熱風が吹き上がってくる。暑くてしょうがない。全く! しかし、そんなことには無頓着であった運転手のおっさん、北海道の人と思われる。
乙忠部(オッチュウベ)まで、午前11時20分着。
…………… ●四台目は、自家用車
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5キロ程しか行かなかった。風烈布(何と読むのか?)まで。
車中、
「たばこ吸いな」と勧められたが、
「喉を傷めるので、、、」と断る。
見たことのないブランドであった。そのことに言及すると、「一箱あげるよ」と呉れた。<わかば>と書かれてあった。
さて、車から降りて次ぎの車を待つが来ない。道端でしゃがんでその次ぎの車の次ぎを待っていると、向こうの方から男が一人、リュックを担いで、とぼとぼと歩いてくる。僕の歩きもそんな風に見えるのかと新しい発見だ。僕の所まで来たので、同類の好(よしみ)だ、話し掛けてみる。
小田原から来たのだそうで、これから北海道の海岸線を回るそうだ。今日は稚内からヒッチハイクしてここまで来ることが出来たのだそうだ。雄武(オウム)まで行く予定とのこと。
僕も重い腰を難儀そうに上げて、二人一緒に並んでジャリ道を暫く歩いて行く。彼の歩き方、いやあ、実に元気がある、実に溌剌としている。実に張り切っている。どうしてだろう? 聞いてみれば、昨日、北海道に着いたばかりなのだそうだ。納得、納得。
二人一緒ではヒッチするのに不利なので、ああ疲れた、君の元気な歩き振りにはもうついて行けない、と僕は率先してまたしゃがんでしまった。ということで元気の良い彼を「お先にどうぞ、どうぞ!」と見送った。頑張って!
彼はどんどんと先へと歩いて行く。見る見るうちに姿が小さくなり、とうとう見えなくなってしまった。
……………… ●五台目は、トラック
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沿道でそのままちょっと休憩をしてからヒッチした車、男の人二人が乗っている。運転手と助手だ。僕も乗る。つまり、便乗させて頂いたのだ。
走り出す。と、ガタガタガタガタガタガタガタ〜〜、、、、、、、、
何だ何だ!何だ、これは?
と、今度はガチャガチャ、ガチャガチャガチャ、ガチャ。何だ、何だ!何だ?
ガタガチャ、ガタガチャ、ガタガチャ、ガタガチャ、ガタガチャガタチャガタガタチャ、ガタチャ。
もうガタガタガタのガチャガチャ。
ガタの階乗は車がジャリ道を走る音。ガチャの階乗は車の荷台に乗せてある道具・工具類がお互いにぶつかり合う音。相当ガタの来ている車だ。ガタとガチャの二重喧騒合唱。
前の手擦りに両手を置いてしがみついているようにしていないとドアから振り落とされてしまうような有様。スピードが出ているから尚更。前にどんどんと歩いて行った小田原からの人にも追い着いてしまった。
「あっ、あの人、僕の友達ですよ」
彼も乗せてもらったが、運転台にはもう一人分のスペースがない、外の道具・工具類がある荷台の中に臨時で納まる。と、ああ、忘れていたのに、またまた始まろうとしている。いや、また始まってしまった!
ガタガタガタガタ、ガチャガチャガチャガチャ、ガタガタチャ、ガタガタチャチャチャガタガチャ、、、、、ガタガタがチャチャチャのガタガタチャ、
何時まで続くやら、もう止めにしたい。車に乗っただけでなく、ちょっと調子に乗り過ぎたようだ。
今朝、岬を出発する時、オホーツク海をゆっくりと見物・鑑賞しながら旅情に浸っていたいなどとロマンチックな想いになりそうであったが、そもそも間違っていたようだ。
車に乗っているときは良い、いやいや、乗れてもこうもうるさい車にぶつかってしまうと悲劇だ、それとも喜劇か。
車から降りて歩いているときや、車を待っているとき、この僕を乗せることもなく、時々思い出したが如くに車が脇を通って行くのだが、通る度に土埃を舞い上げて行く。その埃の中を潜るかの如く歩いて行かなければならない。そんな様子を想像してもらえば分かるのだが、もう全身、頭の天辺から足の爪先まで真っ白になってしまう。埃だらけ。車の奴目、と呪ってやりたくなる。人が脇を歩いていることなどお構い無しにすっと飛ばして走り去る。手を上げても止まってくれやしない。
国道238号線は“ジャリ道の”、“埃の”と言った特別の形容詞が付く国道であるとは地図の上では読み取れなかった。
何から何まで初めてのこと、何が待ち構えているかは予想も出来ず、新しい何かを発見するところに旅の楽しさ、面白さが、旅の何かがあると考えれば、ジャリ道+埃の国道238号線を知っただけでも十分かも知れない。
午前11時37分、五台目の車から降りる。あの喧騒合奏の続きが耳の中ではまだ続いていた。
午後零時10分、幌内(ホロナイ)川、幌内橋を通過。上空、今にも雨が降り出して来そうな雲の流れ方だ。
……………… ●六台目は、乗用車
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漸く来た車、タイミングを失さないようにと手を上げたが、目の前を過ぎて行ってしまった。そう思った。まあ、良い。良くあることだ。もう慣れっこだよ。
で、気を取り直して次ぎに来る車を待っていると、どうしたのだろう、今さっき行ってしまったと思った、その車が前方に止まって、ドアが開き、男の人が車から転げ落ちるかのごとく出て来ようとしている。
おお、多分、気でも変わってやはり親切にも乗せてくれるのだな、乗って行け、と言ってくれるのだな、と僕はそう思って、車の所まで急いで駆け寄ると、「ウンコしたから云々、云々」と仰る。最後までは聞き取れなかった。
誰がウンコしたのだろう? 車の中で?
北海道人の言葉、北海道方言のようだ。関東人の僕は最初、意味が取れなかった。
「えっ?」
聞き返した。ウンコ? 脈略がつかめない。何のことだろう。
ああ、エンコか!? 三度目に分かった。
車の後に両手をついてウ〜ンこっらしょっ、エ〜ンこらしょっと車を押するのを手伝った。エンジンがようやく掛かった。一汗掻いた。その御礼からか便乗させてくれた。
この運転手さん、なかなか冗談が上手い。僕が手を上げた時、頭を掻いているのか、それとも何をしているのだろう? とちょっと分からなかったのだそうな。まあ、それは想像出来ないこともない。
後席には女の人二人が陣取っていた。多分、運転手君の知り合いか、女友達、彼女達なのだろう。女の人の前で良い所でも見せようとしているのか、まあ、その気持ちも分からないこともない。可笑しなことを立て続けに言う。
もうとっくの昔に遠くの方へと行ってしまったと思っていた所、例の小田原からのヒッチハイカーが歩いているのを発見。彼をも途中で乗せてしまう運転手君の心の配り様。我らヒッチハイカー二人はまたまた御一緒することとなった。
女の人から差し出されたものを見て驚いた。トマトと月餅だ。この月餅のことを話題に取り上げた。
「そうだそうだ! 旅をしているとどんなことに出会うか分からんもんだよ」運転手のお兄さんは宣う。
「昨年来ていたら、この車には乗れなかったのだぞ、乗れたことに感謝せよ!」
そんな風にでも言いたげな口吻だ。
確かにそうだ。旅をしていると何が起こるか分からないから、心はわくわくする。そこがまた面白いところなのだ。雄武(オウム)まで、午後零時45分着。
……………… ●七台目は、保冷車
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それから約15分程歩いてから、捕まえた。気がついたのだが、乗る車毎、運転者さんとは天気の話ばかりした。
今年の北海道は天候がおかしいのだそうだ。今日という今日まで全然雨が降らず、日照り続き、ちょうど今通過してきた雄武の町は断水状態なのだそうだ。今年の5月には町の3分の1が火事で焼失。水が少ないのと風が強かったため焼けるのに任せてしまったそうだ。
午後1時15分、沢木。
……………… ●八台目は、トラック
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興部(オコッペと読む。調べた。)からは舗装道路だ。時速70キロのスピードで飛ばす。紋別(モンベツ)市内で降ろされる。紋別駅へ行って一先ず休憩。牛乳とパンだけで本日の朝食兼昼食だ。
……………… ●九台目は、石油タンク車
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午後3時ちょうどに捕まえる。この運転者さんの話を聞いていると理路整然としており、久し振りにまとまった話を聞いたという実感が湧く。
北海道での米作についての自説を僕一人の前で開陳。美味い米を5キロ作るよりも不味い米10キロ作った方が農家にとっては有利なのだ。米作と言っても、家で食うだけの量だ。内地から美味い米を移入するのだ。その代わり不味い米は内地へと移出されるのだ、と。
北見、網走入り口まで、午後3時33分到着。
……………… ●十台目は、ダンプカー
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手を上げたら止まってくれた。
「富武士まで行きたい」、
「YHまで?」
運転手さんの方が上手だ。
今年になって初めてヒッチハイカーを乗せたそうだ。僕だって今年になって初めて運転手さんのダンプカーに乗った。お互い様に初めまして!
サロマ湖畔の道路は悪路だった。
YHへ行く入り口に午後4時15分、到着。5分後にYHに到着。別棟に回される。関西からの3人組みと意気投合する。僕は雄弁になってしまった。
夕食後、明日の予定などを話し合ったりしたが、そこで出された物の中に、見覚えのある新宿中村屋の3色飴があった。
消灯前、3人組みの一人が持っていたウィスキーの瓶を開け、この旅、初めて酒の味を噛み締める。う〜ん、この風味! 酒は避けられなかった。
格好良く、ナイトキャップと言うらしい。