「第23日」…………………………………………………………………………………
19xx年8月28日(月)晴れ
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■ 去るものは追われず
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午前5時半、目覚めてしまった。まだ暗い。ビルの中は何となく空気が淀み生暖かい。
太陽が昇り、朝が明けて外が完全に明るくなってしまわないうちに、そして、住民が外の階段へと出て来ないうちに起き上がってしまおう。このビルの中では実は最初から何の問題もトラブルも起こらなかったということにして、平然と、いや整然とこの場から出て行こう、行かなければならない、出て行こう、行かなければならない、、、、、、、、
― 就寝中はそんな風にずっと自分に向かって囁いていた。明朝の行動を先取りして確認を取っていた。
皆が目覚めて起き上がって来る前に自分の方から率先して出て行く。このことを絶対に忘れないように!
長いこと自分と会話を続けていたためか、今朝、どうもぐっすりと寝れたという気がしない。目覚めてしまった今、満足に寝られたのか寝られなかったのか、自分は今どちらの立場にあるのかハッキリさせてからでなければ出掛けられない、といったような議論は省略しよう。
一旦目覚めたからには面倒なことにならないうちに早く、早くここから出て行かなければならない。目覚めた後でも思いは同じであった。昨晩のおばさんの吐き捨てるような言葉もまだ耳に残っているようだし、、、、。
とにかく、目覚めた。体操選手が両足を揃えてピーンと伸ばしたまま全身を床から浮き上がらせるかのように、両腕で同じようなこと試みながら、すうっと音を立てずに寝袋から全身を抜き出す。ビルの中はまだ寝息が聞こえかのように静まっている。
窓もなし、踊り場は昨晩からのままで暗い。人がやって来て面倒なことにならないうちに、僕の方から先に出て行ってしまおう。気が急く。去る者は追わず。だから早く去ろう。
不審な物音を立てないように細心の注意を払って寝袋をそそくさにくるくると畳み、そしてリュックサックを担いで階下へと抜き足差し足――何故なら足を踏み外したら最後、ひっくり返るわ、大きな物音を立てるわ、多分本人は怪我もするわ、人が出てきて大騒ぎもする、と言ったような一連の事件が起こらないとも限らない――、一段一段確認しながら降りて行った。透明人間が幸い誰にも気づかれずに平気で歩いて行くかのごとく慎重に階段を降りて行った。
ビルの入り口ドアに近づいて来る。と、何と、昨晩はオイデ、オイデと歓迎の手招きをして開いていたのに、今朝は
「ねえ、もう出て行く積もりなの? もっといなさいよ」
と言いたげに閉まっているではないか!
これは困った!まさかドアが閉まっているとは思いも寄らなかった。鍵が掛かっていて開かないかもしれない、と言うことは昨晩のちょっと(耳で聞いた限りは)恐そうな、管理人のおばさん、それとも奥さん(僕は顔を見ていない、どんな人だろう?)を探しに行って、立会いで鍵でも開けて貰わなければならなくなるのだろうか?
でも、何処に、何階に住んでいるのだろう? 一つ一つのドアの呼び鈴を鳴らさなければならないのだろうか。いやはやこれは面倒なことになる、どうしよう? 厄介な問題だ。 結局、「去る者は追わず」という格言はここドアの前に来て、「でも挨拶してからでも遅くはない筈だから挨拶をしてから行きなさい」といった風に付け足されるのか。
半分諦めながらも、恐る恐るドアを押してみる。と、何の抵抗もなく開いた!
おお、この安堵。
まるで夜逃げをするかのように、ビルを後にした。
「じゃあ〜ね、気を付けて!」
背後から誰かが言ったように聞こえた。空耳だったかも。
そのまま引き続いて網走駅へとやって来て見る。8月も終わろうとしている頃、時期的には遅い。それでも駅の並びの改札所がある場所近くの地べたには5、6人、寝袋に入ったまま寝ていた。駅での野宿だ。
北海道直送・しーおー・じぇいぴー
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■ 朝のヒッチハイク模様
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午前6時15分、駅を出る。
とにかく国道まで歩いて行こう。そうしたらヒッチしよう。そう思いながら、国道へと出て来たが、ヒッチ出来ない。つまり止まってくれる車がない。手を上げても通過の通過だ。
はい、次! はい、次!
急いで、急いで! はい、次! はい、次! はい、はい。
通過しようとする車がそのまま通過して行くだけだった。左から右、右から左と僕は車の通過・進行を両目で逐一追いながら頼まれもしなかったのにお巡りさんに代わって朝っぱらから交通整理をしていた。
こんなに朝早くから道路沿いを誰か変な奴が一人で歩いている、おかしい、とでも運転手さん達は思っているのか。
善良なヒッチハイカーが苦労して歩いているというのに、それが見て取れないのだろうか、信じられないのだろうか。そうなのかも知れない。そうでないのかも知れない。
歩いているうちにそろそろ海岸線に沿って道路は走り出すようだ。もちろん道路自体が走る筈がない。ここに至ってからは道路が狭い、狭い。この狭さ、何処まで続くのか。結局、ヒッチはますます出来づらく、諦めて、長時間、この海岸線沿いを歩き続けた。
どのくらい歩いただろうか。道路脇をとぼとぼと力なく、まだ歩き続けている。ああ、止まってくれないなあ、などと思っていると、一台の車、手を上げたわけでもないのに、それとも僕の執拗な思いが空中を伝わって行ったのか、運転手さんの心をむんずと捉えたのか、一台止まる。
止まるには止まったが、僕が歩いている横にすう〜っと音もなく止まった。気持ち悪いほどだ。狙いを定めて待ち伏せしていたのではと勘ぐりたくもなってしまう。一瞬、体の中をブルブルンと恐ろしさが伝って行った。午前7時20分。
運転手さん、関西から来ているのだそうだ。一ヶ月間漁師のアルバイト中。漁師のアルバイトか。ちょっと珍しい。面白そうだな。海に住む本職の魚達もアルバイトで釣られてしまうのかな? それはそうと、この関西人に聞いてみた。
「車が止まらない理由は何んなんやね?」と。それが理由の全部と言うわけではないが、と断りながらも、
「実はなあ、ヒッチを装って車に乗り込み、現金を要求するといった事件が以前やなあ、この近辺で起こったやねん。皆、警戒・敬遠して行ってしまうんやろ」
10分ぐらい乗ったかなと思ったら降ろされる。
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■ 運が向いてきた
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思えば本日はここまでやってくるのに車一台に乗ることが出来た。その間、ここまで来るのに既に十分に歩いていた。つまり言わば歩きの貯金を積んだ、ということになるからか、そんな風に体験から理論付けられないこともない、それからというものはトラックという車がはい次、はい次と止まってくれた。小清水(コシミズ)への入り口までトラック、そして止別(ヤンベツと読む)までのトラック、更に斜里(シャリ)、宇登呂(ウトロ)行への入り口まで四人乗りのトラック。
この入り口で、さ〜て、これからどうしようかと道端に両膝を曲げウンチングスタイルでしゃがんでいると、バイクに乗った男の人、僕の目の前に止まる。
「よう!」 と彼。
「よう!」 と僕。
何と、神奈川県は相模原からそのバイクに乗ってここまでやってきたとか。小田急線の相模大野駅近くに住んでいて、よく新宿中村屋でアルバイト店員をしていたことがある。もしかして会っていたかもしれない。それで僕を認めて停まったのだろうか。世間は、いや日本は狭い。
知床方面に目を遣ると、黒い雲が一面に覆い被さっている。
「雨が降ってくるのではないだろうか」
「降りそうだよ。じゃあ、頑張って!」
旅の途中で交わした、ちょっとした会話がいつまでも記憶に残る。バイク乗りの彼は先に行く。荷物が少なければ乗せて行ってくれると言ってくれた。
「あっ、結構ですよ、僕はヒッチで行くので」
手を上げるとバンが止まった。これで宇登呂まで行く。
「何処から来た?」と運転手さん。
「神奈川県」
この運転手さん、神奈川県がどこにあるのか知らないようだ。
嘘のような本当の話。
「一番大きい町は何だ?」と聞いてくる。
「何を作っているのだ?」とも聞いてくる。農家の人らしい。
途中、オシンコシンの滝の所で一時停車してもらい、滝をカメラで写す。50分間のドライブで着く。着いた場所はバス発着所のある所で、リュックを担いだ若者達でごった返していた。
「知床YHはこちら!」
「船がもうすぐ出ま〜す。お早くどうぞ!」色々な呼び込みが耳に入る。
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■ 岩尾別YHまで歩きまくる
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午前10時35分、簡単な腹ごしらえをした後、岩尾別(イワオベツ)YHに向けて歩き出す。僕一人だけの出発だ。
未舗装の山道を登って行くのである。車は通る。バスも通る。でも、通った後がひどい。埃を道路一面に舞い上げ、舞い散らして知らん振りだ。息も出来ないほどだ。埃に圧倒されてしまう。ヒッチどころではない。いや、でもヒッチしなければ、と思い直してヒッチしようと手を上げても埃の中では止まって呉れそうもない。
随分と遠〜いんだなあ。まだかいな〜、まだかいな〜と思いながら歩き続けている。歩いている人なんて誰もいない。この足で歩いて行けるものなら歩いて行こう、そういった殊勝な心がけで歩いている人は僕一人だけのようだ。辺鄙(へんぴ)な所に舞い込んでしまった、いや、迷い込んでしまったような感覚を受ける。
後ろを振り返って見ると、遠くまで見渡せる。随分と歩いてきたものだ。と前方を見ると、おやっ、何だろう? 何だか黒い影が遠ざかって行く。あれは何だろう? 上り坂そして引き続き下り坂になっているからか、坂の向こう側、その姿、形はすぐに見えなくなってしまった、消えてしまった。あれは、もしかして熊、熊ではないのか。
「お前、知ってるのか? 知床には時々、熊が出るんだぞ」
そんな噂を何度も聞かされてきたので、てっきり黒いものは熊だ、と自分なりに合点したのだが、、、、そもそもその歩き方が速い。速過ぎる。いやいや熊だって速く歩けるのだろう。あれはどう考えても熊だ、熊である筈だと自分を説得している。
納得させている。
確か、この辺を歩いていた筈だと、当該の場所に来た時には姿も形もない。当然、先へと行ってしまったのだろう。それとも脇の叢に逸れてしまったのか。ひとり旅の、この俺様を一人きりだということで、今か今かと待ち伏せでもしているのか、もうすぐ美味しい御馳走がやって来るぞ、と陰でうっひっひっと舌鼓でも打つ準備をしているのか。
何んだか、嫌や〜な、変な気分になった。背筋に悪寒がさっと走る。ぞおっとした。血が頭に上り髪の毛が逆立ったような感覚を得た。
そんな気分を振り払うかの如く、何も考えないようにして一目散に駆け出したい、逃げ出したい、でも何処へ? そんな浮ついた気持ちになりそうなのを落ち着け、落ち着くんだ! と自分を抑制しながら、前へ前へとどんどんとスピードを上げて歩を進める。びくびくしながらも、何処まで続くかとも分らない気味の悪い道を相変わらず一人切りでずんずんと更に先へと大股気味に歩いて行く。
何〜んだ、人間様ではないか。驚かすなあ、もう。
何をそんなにびくびくしていたのだろう?てっきり熊ではないのかと見間違えてしまった、その人に漸く、追い着いた。聞けばまたまた関西からの熊さんだった、いや、失礼! 人間だった。全く北海道中に関西人が移動して来たみたいだ。
熊さんよ、出て来たかったら出て来れば良い。今は二対一だ。お〜い、出て来い! 出て来いったら。 少々強気になった。
一緒に歩きながら、岩尾別YHの玄関までやって来る。午後零時15分着。そこでちょっと因みに計算してみた。何分間歩いたことになるのか? 100分。一時間と40分。
この関西からの人、今晩はテントを張るということで玄関前から姿を消す。僕はこのYHに泊りたいのでそのまま残る。寝るのに寝袋を使って欲しい、と告げられる。変わったことを言うヘルパーだ。まあ、どうでもいい。ただ泊りたいだけなのだから。
宿泊の受付、そして食事の時間と、それまでにはまだ時間がたっぷりとあった。何をしようか。歩き続けて来たので疲れた。休息、休憩としよう。
宿泊受付の時間が来る頃を見計らって、午後の休憩を終えた。でも休息を取り過ぎてしまった為か、何となく体が鉛の塊の如く重く感じられる。疲れが量的に倍加してしまったみたいだ。
おお、待望の夕食時間がやっと来た。人数が多いので充分に食べられるものかと心配しながら、神聖な食事時間を少々どぎまぎしながらも神妙に過ごす。
夕食後のミーティングは狭すぎると思われる食堂で、テーブル、椅子等を全部退かし、マットレスを床に敷いて、その上に皆、腰を降ろす。70人ほどだ。しかも、聞くところによると半数以上が連泊者なのだ。座れない人も出る程の宿泊者の多さ、それとも食堂の狭さ、か。
歌を3、4曲全員で歌った。そして知床観光コースのガイドが始まった。こうして整理されたのを聞いてみると知床には色々と見るべき所があるものだ。知床五湖、その近くにある断崖絶壁、カムイワッカの滝の上流、羅臼岳登山、その他色々。
プリンスという綽名を持ったヘルパーの説明の仕方がなかなか上手いのだ。連泊者が続出するのもその所為か。
YHの建物は本館というよりも見た目は本“小屋”と言った方が当たっている。ランプの光に助けられるYHはここだけかもしれない。積丹YHにもランプを使う所があったが、それは別館だった。
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