岩尾別→ 知床山中 日本一周ひとり旅↑ 知床山中

「第25日(つづき)

     19xx年8月30日(水)薄曇 

    岩尾別→ 知床山中

 

 

■ 未知の道なき道を行くの?    

さて、羅臼岳の頂上から、改めて出発。登って来た道を昨日の如く忠実に降りて振り出しの登山口に戻って来るというわけではなく、今日は反対側へとそのまま後ろを振り向くこともなく降りて行くのだ。

 

案の定、話で聞いていた通りだ。出発前に教えられていたように、左手側に目印となる万年雪、雪渓が見て取れた。その脇を通って下山して行くことになるということであった。

 

その先を見ると灌木群が茂った中を下って行かなければならないかのようだ。ここから先はまだ行ったことがない。ぼくにとっては勿論、初めてだ。生まれて初めてだ、といっても間違いではない。

 

 人が何度も行ったり来たりしたので自然と道が出来てしまったという、そんな踏み慣らされた登山道、どこにはっきりと見えるのか。

 

 見えない。そもそも何処にそんな道があるのかと目は見い出そうと探していたのだが、、、、、多分、踏み慣らされていた道が出来ていたのが茂みで完全に隠されてしまっていたのかも知れない、としか言い様がない。しかし、どこにあるというのか。

 

両手で灌木類を掻き分けながら自分で新たな道を切り開いて行くかのように前進して行く。そうするしかない。

 

行く手を遮ろうとしているかのような草木を敢て相手にするかのように、その草木群の中を時には全身で押し突き進んで行く。そうするしかない。足元は陽が当たらない為に湿ったままになっているのか、時々、足を取られ滑ってしまいそうだ。

 

膝の高さ辺りまで草木で覆われ、足元は隠されて何も見えない。手探り、というか足探りのような感じで、一歩一歩と何となく頼りなく進んで行く。

 

未知の道なき道だ。そこを下って行こうとする。どうなっているのか、事前の知識はない。ただ、下って行くためには道がある筈だろうという、誠に不安定な予感的知識“しかない。

 

 

 

緊張していたのか、油断していたのか、アッと思った時には既に遅かった。ドシンと尻餅をついてしまった。まだ下り始めたばかりなのに、こんな所で一人、どうして早々尻餅なんてつかなければならないのか!? 不可解な尻餅であった。尻が切り裂けたかのようにやけに痛む。起こってしまったことは仕方ない。が、少々不愉快であった。

 

実は滑っても転んでも、いや何が起こったとしても、この手をひょいと取って引き上げてくれる人やさっと助け起こしてくれる人がそばにいるわけではない。 ぼく一人だけの下山。全ては自分一人の責任でやっていかなければならない。金輪際、もう絶対に二度と滑らないようにと更に気を張って、一歩一歩慎重に下って行った。

 

 

 

 

それはそうと、どうしてこうなのか。どうしてこうも草木が深いのか。

こんなものなのだろうか、ここに足を踏み入れてしまったというのも初めてなのでこれが普通のことなのか、どうなのか、皆目見当がつかない。

 

「ここは普通の登山者が通る道なのだろうか?」

 この登山者だけに任された道なき道を行くかのようだ。

 

行く手を阻止されるかのように感じながらも、ゆっくりと下りて行くうちにそんな疑問が沸沸と心の内に湧いて来た。

 

とにかく下って行けばいつかは着けるだろう。だが、どうも正式の登山道とは思えない。それとも羅臼岳を縦走する登山者が少ないから踏み慣らされた道がないというのも当然なのかもしれない。人一人が楽に通れる幅を持った道らしい道ではないのだ。

 

自分で我が行く道を新たに切り開いて行かなければならない。そう諦観した。その意味では、この一人旅の身、毎日が自分で切り開いて行かなければならない道程とも言える。別に今に始まったことではない。そうとも言えよう。

 

 

行き手を阻まれながらも、それでも何とか下にい、下にいと、一歩一歩と無理矢理にも降りて行く先々、体全体でじわじわと、時にはいわば強引にごり押しながら突き進んで行く。しかし、何となく不自然さを感ぜざるを得ない。これで良いのだろうか。

 

難儀、戸惑い、とにかくそのまま暫くは歩み進んで行く。

 

 

 

 

  ■ これを沢下りという?   

と、沢の始まりとでも言う個所に出て来た。沢と言ってもサワサワと水は流れていない。涸れ沢とでも言うのか。掌を固めた位の大きさの、乾いた赤銅色の石が無造作にばら撒かれたかのごとくに固まって沢を形成している。

 

この涸れた沢伝いに降りて行けば――、直感的に思ったのだが、―― 今までの行く先々の、道なき道を掻き分けて行く難儀な作業よりも、そして時にはツルツルと滑りやすい土の上を歩いて転倒する危険を冒すよりも、今までのように行く手を阻まれることもないだろう、山を下って行くことも容易になる筈だと分かると、木の枝、木の葉で出来た、そのトンネルのようになった、その中を沢伝いに、下るテンポも今までよりも幾分早く感じながら、少々安心しながら降りて行く。

 

 

進むに従って、涸れ沢も急傾斜となってくる。何時の間にか、石も大きなものになっている。両腕を広げてもその周囲は大き過ぎて両手が繋がることが出来ない程、もう巨大な岩石と言ってもよい。岩と岩の落差も大きくなる一方だ。が、それでも注意を怠らず確実に下って行く。滑って転んで一巻の終わりになりたくはない。

 

木々が茂って進行の邪魔になるが、そんな事、もう気にしている暇などはない。暗くなってしまってはまずい。明るいうちにどんどんと進んで行こう! 暗くなってしまうまでには時間はある。いや、そうではない、何とか今日のうちに、明るいうちに早く下山してしまわないと……。そんな急く気持ちが先へ先へと急がせる。

 

 

 

沢にちょろちょろと水が流れているのを発見。そう、既に小さな川の始まりになってきている。

 

川の流れの中、水に濡れないようにと、乾いた頭を出した石から石へと自信たっぷり伝い歩きをしたりして、川下へと川下へと我を忘れて一生懸命に降りて行こうとしていた。そんな集中していた自分――そんな自分を一瞬、はっと発見することもあった。

 

ところで、一体全体、これはどういうことなのか。今、この自分は何をしているのか。

 

踏み慣らされた登山道を最初から最後まで歩いて行くことになるだろうと予想していたのに、現実はそうではない。

 

一体全体、ここに来てしまっている、この自分は今、何をしているのか。またも同じ疑問が心のうちに沸沸と涌いてきた。確かに山を下っている筈だが、この先どうなるのか。

 

―― この道を下って行けば本当にちゃんと山から出られるのだろうか?

 

―― 多分・・・・多分、これは道に迷ったのだな。

   そんな思いが浮かんで来た。

 

―― 戻ろうか?

今からでも、戻ろうか?

 

―― どうしよう? 

 

―― 振り出しに戻ろうか? 

 

しかし、あんな急な沢を、この重いリュックサックを背負ったまま、また登って戻って行かなければならなくなる。

 

もうここまで下って来てしまった。下りは行く手を途中で阻まれながらも、言わば曲がりなりにも無我夢中であった。苦痛を感じることはなかった。が、これから戻って行くとなると、エネルギー消耗のことも考えると、上へ上へと登って戻って行く方がもっと消耗が激しいだろう。

 

確かにここまで下って来るに当たっては道なき道を通って来てしまった。でも何処をどう通って来たのか、いちいち覚えてはいない。そんな不確かな道をまた戻って行くということになる。元の道を見出そうと戸惑っている、そんな自分の姿を想像しただけで、もう嫌気がさす。途中で気力も体力も、どちらの力も尽きてしまうに違いない。万事休す、となってしまうかもしれない。

 

 

―― このまま先へと進んで行こう・・・・か。

そんな思いに傾き始めていた。

 

―― ええい、面倒臭い!  

 

―― もう余計なことは考えずに、このまま下ってしまえ! だ。 

 

気が付いて見ると、戻るという考えは意図も簡単に放棄してしまった。

 

 

 

最初のうちは、川に沿って下って行くということに意識的には気が付いていなかった。

 

眼下に川の流れを見ながら、山肌に両手、両足を張付けて転げ落ちないように慎重に進んで行こうとしていた。

 

 木立の最中を、灌木の密集地の中を、道もない所を掻き分けて、この身をゴリゴリと押し入れるように分け入りながら文字通り突き進んで行く。

 

 正に新しい道を切り開いて行くようでもあった。

 

海の上で羅針盤を失った船のように、と書きながらもそなんな経験をしたことはまだ一度もないのだが、ぼくは知床山の中を当てもなく何処かへと進んで行った。下っている筈だという確信はあったが。

 

何処へ向かって進んでいるのか、どの方向へと進んでいるのか、皆目見当が付かず、ただただ行く手を阻んでいる木々を掻き分けて強引にも前へと、下へとしゃにむに進もうとする。誰かが傍から見ていたとしたら、疲れるのは目に見えて分かることだっただろう。しかし、そうしている時の本人、不思議と疲れを感じていない。必死なだけ。

 

 

 

川の流れに沿って行けば、ここ知床では結局、海へと一緒に流れ出て行くのだ、ということに何時しか気が付いてた。思い付いた自分が誇らしかった。

 

思い返せば、実際、川の流れをガイドとして歩いていた自分に思い当たるのであった。既に幾つの“山”を越えただろうか。小さな盛り上がりを、山肌を伝って谷から谷へと下って行った。

 

 

 

  ■ 川の中を歩くこと   

時々は川の中に直接入って行かなければならなかった。何故か。川の流れに沿った山肌が途切れてしまって歩いていけない。だから川を渡って反対側の川岸へと移動せざるを得ない。そうすることで川の流れに沿っての前進が続けられる。だから時に川の中に、浅い川ではあるが、なるべく濡れないように、濡れると後々困るからと注意しながら横切って行く。

 

川の中、乾いた頭を出している石から石へと飛び移って行こうとした。一度、石から石までの距離が開き過ぎてしまい、そうと分かっていながらも一か八か、勢いを付けて飛び移ろうとした。その時、着地の足元が狂って、水の中に直接、何度となく片足を交互に入れてしまい、靴も靴下も、ズボンの裾もと、濡らしてしまった。重いリュックサックが遅れて追い掛けてきたようでもあった。後頭部にがつんと覆い被さった。

 

濡れる度に靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、絞る、そして濡れたままの靴下を履き、濡れた靴を履き、とうとう濡れてしまったか! と諦めて、また歩き出す。

 

 

 

 

午後3時30分頃だった。前進の全身、いや、その全身に疲れが感じ始められ、それに心労も加わってか、もう動くのもこれまで、そう思われてきた。

 

川岸と言うか、川辺に迫ってちょっとした岩壁があったが、その陰となった所に野宿することに決めた。

 

 

遭難? さっとそんな思いが念頭を過ぎった。これは遭難、と言うのか? 人身事故に遭っている訳でもない。

 

―― 俺は遭難したのか?

   (ソウナンデス、そんな声が聞こえてきたかとも思えた)

 

―― もしかして助からない?

       (今頃、分かってどうする?)

 

もう、動けない。これ以上は動けない。そう感じていた。疲れ切っていた。それに寒い。悪寒が過る。山の中、川の側、川水に何回となく浸かって、ズボンの裾は湿ったままだし、靴も、靴の中の靴下も湿ったまま。だから余計に寒い、冷たい。暖かさが欲しい。

 

どうしようか、煙が上空に上がっているのを誰かが目撃して、「そんなことをするのは止めなさい!」と忠告に出て来るだろうか? 

 

とにかく寒い。凍えてしまいそうだと書くとちょっと大袈裟だが、現実に寒くて仕方ない。日光に浴したい、と思う。が、太陽も出ていない。

 

焚き火を炊いて暖を取ることにした。小さなマッチ箱一箱の中身、何故か湿っていた。一本一本と擦って火を点けようとするがダメ。どれもこれもと殆ど湿っていて火が容易には点かない。マッチ棒も殆ど全部使い切ってしまう。その間、相変わらず、蜂みたいな蚊みたいな虫が群れをなして襲ってくる。蚊柱(カバシラ)と言うらしい。

 

やっと火が出来た

体が少し温まって来た。

 

 

 

川辺に沿って敷いた寝袋の中に入る。寝られるかどうかは分からないが、寝ようとした。その積もりであった。腕時計を見たら、午後6時15分だった。

 

一日で知床の山を出る筈であった。いや、出られる筈だった。そう思って出発した筈だった。

 

 「馬鹿にのんびりとしているんだな」

―― 朝の出発の際、ヘルパーがそんなことを言ったことが思い出された。

 

一日での下山予定が何故だか完全に狂ってしまった。

 

―― “電報”でも打とうか? ソウナンデスと。

朝、出発前の出来事が思い出された。

 

                   

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