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◆◆◆ 事後談義 ---◆◆

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 寝入るのを待っていても寝られやしないので、その間、国語辞典を引き出して確認してみました、というのは真っ赤な嘘ですが(辞書を持って旅をしていた訳ではありません)、こうして以前の出来事について辞書を脇に置き頼りにしながら書いては訂正し、訂正しては書いています。汗も掻いています。

  例の、Escargotのこと。辞書の定義をよく読んでみると、食用カタツムリと書いてあります。わざわざ“食用“と形容されている。

  カタツムリにも食用ではないものがあるということなのでしょうか。私が知床で一部食べた、そして残り全部は捨てたカタツムリは“食用ではない“カタツムリを、無知にも”食用”カタツムリとして料理し、といっても裸火で炙ったに過ぎなかったものだが、実は食用ではなかったので食することは出来なかったということになるのでしょうか。

  食用であろうと食用でなかろうと、食すれば、食用だ、とも言えよう。そんな強引な定義付けが、当時の知床山中、私に限ってのことでしたが、通用した。いや空きっ腹を抱えていたので、食べられそうなものは何でも食べて腹の足しにしようという、まさに自然の中にあって、自然人養成コース、初級編を受けつつも、この初心者論理を通用させようとしたが、俄仕込みの自然人には応用編までにはまだ手が届かず、我が稚拙な料理方法では上手く(美味く?)出来なかったということになりますでしょうか。




                  !!
  さらに、もう一つ。
今日という視点から当時を振り返えってみます  ・・・・・・・・・                    
     
 
  文中でもちらっと言及したように当時 ―― 当時とは、いつのことか、それは読者のご想像に、または推理にお任せしよう          

―― 当時、ケイタイ電話といったものはなかった(と思う)。少なくともこの筆者は手にしたことがない。 個人的には今日においてもこの事実は変わりませんが。

 当時ではなく今日、何処かの山にでもお一人で登って行って仮に遭難という事態に遭遇したとしましょう。例えば、怪我をしていて動きが取れなくなってしまい、どうしても自力では脱出できない、つまり他人様のお世話(例えば、救助用ヘリコプターを呼ぶ、とか)を受けなければならないという状況にあって、手元に一つ、携帯電話があったとすると何と状況は明るく開けたものとなることでしょう。

 勿論、電話番号を忘れてしまって誰も電話には出んわとなってしまっては何をかいわんやですが、こんなことを考えると、この筆者、当時を振り返って、この技術、テクノロジーの進歩の賜、胸ポケットに収まってしまう程の小型携帯電話を持参して登山に出掛け、まさかの時の、その有効利用に涙したくなる思いです。

 現代都市社会の雑踏から外れた所で何をかしている人にとっては命綱ともなり得るものでしょう。





                        !!!

 更にもう一つ、最後の。

  実は、先日、自然に逆らわないように生きるにはどうするか、といった類のドイツ語の教養本、要するに「月の満ち欠け周期に合わせた生き方」と言ったような内容だったのですが、その中に、「川の近くで寝るときには水の流れ方と並行になって寝転がると寝られない、川の流れと垂直になるように寝転がると寝られるのだ」といった旨のことが、多分、例の中国の(?)“風水”のことに言及しているのだなあ、と連想しながら、―― 水の流れに並行になって寝られなかった、当時の、知床山中の自分が思い出されて、――その箇所を読んだときには目から鱗が落ちたような思いがした。面白い、とも思った。

  なぜ並行はバツで、垂直だったらマルなのか、そういうことだというだけで、納得出来るような説明は見出せなかったのですが、どなたか詳しい方、ご存じの方、いらっしゃったらお教え願いたいと思っています。             

                         

以上、


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