19xx年9月1日(金)曇り
まだまだ知床山中
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■ 深夜の雨降り
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顔面に何か冷たいものを感じた。何だろう、と徐(おもむろ)に起き上がろうとする。と、背中が、腰が重く痛み出し、どうしてこうなんだろうか、と不満に感じながらもやっとの思いで上半身を起こした。眠り眼、全身を耳にして様子を窺がっていると、雨、雨だ。
雨が暗闇の中を潜って降って来たのだ。
熟睡であったのか単なる浅い睡眠でしかなかったのかは分からないが、とにかくこうして睡眠途中で目覚めてしまった。目覚めてしまったので条件反射的に意識が流れ始め、「もう夜は明けたのか、もう朝になってしまったのか、今何時頃だろう?」とそれでも暗い中、眠気眼で腕時計を嵌めたままの右手首を遠隔操作して見ると、真夜中の、午前1時40分。「序に、月は見えるかな?」と天空を仰いで見たが、どこにも見当たらなかった。
冷たいものが顔面にまともに当たっている。
そう、雨だ。雨、雨!
寝袋は剥き出しのままだったので咄嗟に慌て始めた。寝袋がびしょ濡れになってしまっては困るから寝袋から急いで這い出て、急いで立ち上がる。慌てた。
予備的に忍ばせて置いたビニール袋をリュックの底から焦る思いで引っ張り出し、それで以って寝袋全体を取り敢えず覆うことにし、自分自身は長袖の防水ヤッケを着込んだ。
そんな風に厚着をして寝袋の中にまた収まる。気がつくと顔だけがまだ剥き出しのままだったので、正方形のビニール風呂敷を広げて、その中心部がちょうど顔に当たるように上から覆い被せた。
知床山中、就寝中での出来事。予約なしの雨降り。どこに雨を防げる場所があるというのか。雨が降って来ては逃げ様がない、隠れ
様がない、防ぎ様がない。雨など用がないのだが。
寝袋を覆い被せたビニール袋の上、そして自分自身の顔を覆い被せたビニール風呂敷の上にと遠慮なく雨が振り落ちる。その音がバチンバチンと、やけに大きい。一度目覚めてしまっては、そう簡単には再び寝入れやしない。ビニール風呂敷で増幅された雨音をステレオ音楽のごとく耳にしていた。
このまま、いつまでも降り続くのだろうか。心配になる。雨が降るのに任せ、雨に対して手も足も出せない。いや、顔までも序に出したままであったとも言えよう。でも何も出来ない。そのままそこに、地面の上に寝転がっているだけだ。「雨降りの中の睡眠風景」という絵がそこ、川沿いで濡れたままで展示されているのであった。
20分ぐらい経っただろうか、小降りになり、有り難いことにそれからは止んでしまったようだ。
こんなことが起こるのだ。その時、テントがあったならば・・・・・・ と悔やむ。
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■ 雨上がりの朝
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午前7時、起床。
雨はすっかりと止んでいた。有難い。
夜が明けて、目を凝らして確認するまでもなく、全ての所持品が雨で濡れてしまっていた。まだ朝早く、日が照っていたわけでもなく、乾かしようがない。仕方なくびしょびしょのビニール袋など、そのまま無造作にくるくると畳んでリュックに押し込む。他に術がない。
とにかくこの山から早く出なければ・・・・
―― そんな思いが一層募った。
朝食はチョコレートだけだった。食べる分量も、二分の一に減らした。袋菓子の方も数えてみると、20個程残っている。が、そのまま手を付けずに取って置く。あと何日掛かるものなのか、、、、、、。
―――毎日4個ずつとして、あと5日か、、、、、、。
―――まあ、いつかは出られるだろうが、、、、、。
―――実際あと何日掛かることやら、、、、、。
さあ、今日も出発だ。自己解放を目指して出発するだけだ。
出発の準備が整った。リュックサックを背負って、と、あの時のことが思い出された。そう、あの時のこと――、僕は羅臼岳の頂上に立っていた。何日前のことだったろうか。もう既に遥か遠い昔のことのようにも思われた。
直ぐ近くには、知床山をこれから縦走するのだという男達が確か三人いた。その男達の姿が目の裏に浮んできた。今日も出発しようとする、その直前、その一人の粋な姿が思い出されたのだ。その一人は手ぬぐいを鉢巻きのようにして頭を被っていた。そんな白い手ぬぐいの白さが目に眩く印象に残っていた。 山ではそんなスタイルで出歩くのが通なのかもしれない、と。
僕も彼のように手拭を鉢巻きのように被ることにした。例の虫が顔や後首に食い付いて来るのを少しでも防御するためでもあったが。手ぬぐいを被ってみると、本当の、本職の、本物の山男になったような気分でもあった。
川の流れを恰も水先案内人の如くに考えながら頼りにしながら、川沿いに下って行くことが、今日も昨日同様、続く。川の流れの如く切れ目もなく続くのだ。濡れないように乾いた石の上を伝って前進しようとして滑って川の中に落ちることも、そうしないようにと注意しながらも警戒しながらも石の上で滑ってバランスを崩し危ない思いをすることも、虫に刺されて嫌な痒い痒い思いをするのも、冷たいし美味いからと川の水をがぶがぶと傍目構わず飲んで空腹を満腹にさせることも、――どれもこれも昨日と全然変わらない。ほぼ同じ事の繰り返し。
今日の自分も昨日の自分ではないのか。本当に今日は今日なのか。今日は昨日とは違う筈ではなかったのか。昨日も今日であった筈だし、今日は今日だし、川水の流れのように、留まることを知らない時の流れ。僕も倣って恙無く前進しよう。
どういう風に歩いて行けば疲れないでいられるのか。歩き続けても疲れない方法はないものか。どうしたら早く川を下って行けるのか。いや、間違えた。川を下っていたわけではなかった。川に沿って山を下っていた筈だった。何だか意識もはっきり区別出来なくなってしまってい
る。昨日も今日も一緒のようだし、川を下ると書いたからとて川に沿って下っていると書いたとしても結局、事実は同じなのだ。
両足を使って歩き、頭を使って考えながら、川に沿って相変わらずそんな風に少しずつ疲れを体中に堆積させながら下って行く。
時に川沿いの、林の中に迷い込んでしまったかのように、山肌にエモリよろしく張り付いている自分でもあった。遥か眼下の川の流れに沿って、川から遠く離れてしまわないようにと、また川から目を離してしまわないようにと気を配りながら、知床山中、深い茂みの中へと自分で道を切り開いて行くかのごとく、道無き道を無理矢理にも掻き分けながら少しずつ進んで行く。
未だそんなことをやっている。時には意気も消沈しがちであった。未だこんなことが続くのか・・・・・。
そんな時何を思っていたのか、何を考えていたのか、―― YHでの、夜のミーティングで良く耳にした、また実際、一緒になって歌っていた、そんな曲の一部が耳に聞こえて来るようでもあった。
♪こんなつらい旅なんか
もう いやだ
旅を終ろう
汽車に乗ろう ♪
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■ 開け放たれた青い空間
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ふと天空を見上げる。木々の枝枝、葉葉が作る青い空が―― そこだけにしか空がないかのような、モザイクの模様のように切り取られてしまったかのような形で、青い開け放たれた空間が目に映る。
井の中の蛙と良く言うけれど、こんな心境になるのであろうか。閉じ込められた世界から解き放たれた世界へと直行!この迷える旅人の尻にロケット・エンジンでもくっ付けて、一気に飛び上がって行き、この緑の葉の直中を突き破って、ずんずんと突き進んで行く自分、飛行している自分の姿が目に映るようでもあった。
天まで上がれ!
件の蛙も多分、そんな風に飛びたかったのではなかろうか。
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■ 山中での瞑想
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この山中、実はただ一人、暫し立ち尽くしたまま。暫くは我を忘れて瞑想的な気分に浸っていた。
一体、ここはどこだろう? 青い空。空、空、つい忘れてしまう。頭がくらくらする。ここは日本だったかな? 北海道の知床山中?
本当にそうだろうか?
地名なんて別にどうでも良かった。そこが何処であろうとも、僕は何だか閉じ込められてしまっている、世界の果てに。と言いながらも、いや、書きながらも、世界の果てとはどういう所なのかは行ったこともないので実は知らないのだが、それでも世界の果てに一人置き去りにされてしまっている心境であった。
お〜い! 俺はここにいるぞ!
俺はここだ。
ここだ、ここ!
聞こえるだろうか。
そう叫んだとしても、聞こえないだろうな。知らないだろうな。自分だけの世界に閉じこもってしまったのだ。自分だけの秘密。誰も知らないだろう。
――俺が今、ここで消え失せたとしても、世界はあくまでも無関心だろう。
ああ、何たること。
何たることか。
天は自ら助くる者を助く―― 何処かで聞き覚えた言葉が思い出された。自力でこの山を出るしかないのだ。
まだ生きている自分ではないか!