■ 木の上に暫し寝転ぶ振り
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と、前方、目の下の方、たまたま目に入ってきた大きな木、その上でベッド代わりに体を横たえて暫く休憩でも出来そうではないか、という思いがそこへと先に飛んで行った。寝不足であったためか、石よりももっとまし、もっと快適であろうと思える、別のベッドに見えてしまったのだった。
昨日は殆ど一睡もしていない。まだ疲れも取れていない。少しでも体力を回復させたい。心行くまでの休養が欲しい。
南国の海辺によく見られる椰子の木のように大きく成長し、それがほぼ水平に長く伸び切って、近くに来てみるとちょうどぼくの行く手を通せん坊しているようにも思えたのだが、これは何かを
ぼくに告げようとしてそうしていたのだろう。そう、これはちょうど良い。ちょっと休んでゆくか。
さっそく、この大きな幹の上に四つん這いなって乗る。落下しないように心しながら、今、両腕で幹を後ろ手に抱きかかえるかのように不安定に横たわっている。しばらくはそんなポーズを取ったまま、じっとしていた。そんな風にここ、木の幹の上で睡眠が取れるわけがないのに・・・と、そんなことは分かっていた。
知床山中、人里離れた秘密の場所にやって来て、何かの雑誌の、グラビア写真用撮影が密(ひそ)かに行われていたという訳ではなかった。そんなポーズ、そんな恰好で疲れが思う存分取れるという訳でもないだろう。そんなことは重々承知の上のことだ。いや、そうではない、幹の上のことだ。分かっている、分かっている。
でも、そんな恰好をしたというのも、そんな格好な木が目の前に現われて来てしまったからで、ちょっと試してみよう、と贅沢な思い、他愛無い遊び心が沸き、誰も(
ぼく一人を除いて)回りにはいないと思って、何の恥じらいもなく実行してみたくなったのだ。
そんな女性モデル写真をどこかで見たことが連想され、脳裏に映し出され、自分でも試して見たくなってしまったのかも知れない。あんなこと、この俺にだってこのように出来ることさ、と。カメラマンはついていなかったが。
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■ 川水を飲む ____________________________
漸く、元の川に戻って、川に沿って貧弱なマイペースで、つまり、まともに食べてもいないので体力もなく、疲れ気味、これ以上は疲れたくはないと、エネルギーの使い惜しみ、出し惜しみを念頭に置きながら、ゆっくり、ゆっくりと重い足取り下り始める。
腹が減っているから力が出ないのだ。そう考えた。腹を満たさなければならない。腹一杯食べたい! 無理な相談だ。そんなことは判っている。
でも腹を一杯にさせたい!そう単純にそう考えた。どうすれば腹が一杯になるのか?
川の水。川の水が目の前にあるではないか!
どうして今までこれに気が付かなかったのか、不思議だ。
水を飲んで腹を一杯にすれば良いのだ。少々遅きに失した感があったが、それでもそう思いついた自分が誇らしかった。飲み切
れないほど、ふんだんにある。
川辺を覗くと結構きれいな水が見える。濁っている箇所はない。足を滑らせて顔から水面にダイビングしないように用心しながら
も、その川水を飲もうとして水面に口を近づけた。
「おっと、ちょっとちょっと、ちょっと待った!」
背後からそんな呼び声が掛かった、と思った。
――この川の水は、飲めるのだろうか?
――飲んでも大丈夫だろうか?
ちょっと渋った。が、意を決し、ちょっとだけ試しにバキューム掃除機の如く吸って見た。
美味(うま)い。美味いではないか!
ぐいぐいと吸い込んだ。喉がごくりごくりと喜んで唸っているのが分かる。美味いの何のと、美味しいのだから大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせて腹が一杯になるまで飲んでしまった。
程なく満杯。腹がぱんぱん、今度は動くのが難儀そうに思われた。でも、満杯感で何だからエネルギーを得たようで、次第に全身力がじわじわと出て来るように思われた。
川の水は冷たく、飲んだ後は気分爽快も味わった。序でに川水を両手で掬って自分の顔を、首を洗った。新規まき直しだ。
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■ 少しずつ進む ______________________
少し進んで行っては大きな石、と言うよりも今度は大きな岩の上、人間が並んで3人ぐらい横になれるそんな恰好の岩の上でまたまた仮睡眠を試みる、いや仮休憩だ。
そうすると、「待っていました!」 と言わんばかりに、こちらとしてはとっくに忘れていたのに、またも例の虫奴達が執拗にも、すわ〜、それっ〜と、我先に大挙してこの惨めな俺様目掛けて襲ってくる。巨岩の上、逃げることもできないし、払っても奴等の方が逃げないし、こうなったら消極的な自己防衛だ。寝転がったまま、刺されないようにとTシャツで顔全部を被う。ううっ、汗くさいし、息苦しい。
とどのつまりが、動いていないといけないのだ。寝不足を取り返そうと、仮眠、休息、休憩、一休み、疲れた、腹が減った、動きたくはない、その他、どうでも良い、勝手にしろ、と色々理由付けの名称は何であったとしても、蚊の団体さんの方が上手だ、ちょっとでもこちらが留まっていると・・・・ほらほら、やって来る、やって来る、虫達が催促にやって来るのだ、「動け!」、「動け!」 と。「まだ山からは出ていないぞ」と余計なお節介を出して来るのだ。
疲れてばっかりいるから、疲れを取ろうとして休む。と、また虫様のお出ましだ。虫を無視するのも一案ではあったが、苛苛(いらいら)させられる。だから、疲れたまま無理にも重たくも動き始めるのであった。
そんな繰り返しが続く。少し進んでは岩の上に寝転び、休憩を取る。川の中にも何度となく浸かる。だいたい何も喜んで水に漬かっている訳ではなかった。靴も靴下も、ズボンもびっしょりと濡れてしまっている。出来ることならば水は避けたい。
それに慣れない大事業をしていると、いつもそうであったが、またも腹が減ってくる。
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■ 今晩の夕食を考える __________________
もう、そろそろ夕食時間が来た頃だろう。そう思った。でも手元にはもう何も食べるものがない。
どうしようか。こんな時だからこそ、こんな状況下にあるからこそ、無い知恵を無い、無いと嘆いてもいられない。雑巾(ぞうきん)を絞るかのごとくにこの頭から絞り出さなければならない。まだ飢え死にはしたくない。無い知恵を有るものとするのだ。
目を転じて周囲の自然を良く観察して見れば、長い葉の裏側にへばり付いているカタツムリ君が結構見つかるということに気が付いた。これはちょうど良い、そう思った。この時のためにと天はよくも備えてくれたのだ、と感謝の念が後になって湧いてくる。
カタツムリの存在に気づかせてくれた。行く先々、見つけ次第、採集しながら菓子が入っていた紙袋に入れ持って歩くことに決めた。
今晩の夕食、フランスでは最高料理と言われているとか、――聞きかじりで本当かどうか、こんなところに一人で居ては近くに電話もなし、携帯電話だって手元にも、リュックサックの中にもなかったし、真偽の程も確認の仕様がないのだが、―― カタツムリ、つまりフランス語ではエスカルゴ。参考のために原語を記しておこう。Escargot。最後のアルファベット文字“T”を書き忘れやすいので心しておくことが慣用、いや肝要。「Tシャツ」の“T”と同じ。
このフランス語の現物、北海道内ではデンデン虫といわれているそうだ。つまり虫だが無視せずに、そして魚ではない(くどいようだが、虫だ)が鱈腹(たらふく)食べることにしよう。出来るだけたくさん採集しよう。
題して、予定していなかった、知床山中での、昆虫採集。実はそんなことも今回が最終でもあったのだが。
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■ 薪拾い事件 ___________________
段々と日も暮れ、暗くなってきた。この暗くなってくる気配を感じる自分が何とも言えない。どう表現したら良いのか。世の終わりを感じさせるものがある。これで一日も終わりとなるのか、ああ、明日は来るのだろうか、と。明日はどうなるものやら、と。
明日のことを心配するよりも、今、現在を一生懸命に対処して行かなければならないことがたくさんあるのに、明日のことを心配していても仕方がないのであろうが・・・・・・。
川岸に沿って、今晩の寝場所を探しながらも薪を拾い集め始めた。一度に複数のことを同時進行的に処理して行かなければならない。そんなことを実地に学ばされる。
人生経験。折れた木々の一片やら、枝片やら、根こそぎにされたような乾いた木がその辺に転がっていた。そんなものを少しずつ拾い集めては歩み続けていた。
川の向こう岸に渡らなければならない羽目になってしまった。川の流れの表面に顔を出している石伝いに渡って行こうとした。濡れたくはない。
義経の八艘(はっそう)飛び宜しく、乾いた石から石へとぴょんぴょんと勢いを付けて飛び移ろうとした。
空中を舞った。巧くいっていると思った。と、そう思った刹那、心に油断があったのか、いや、その瞬間、空中でちょっとバランスを崩してしまったのか、最初から靴底が濡れていたのに気づくのに遅すぎたのか、気づいたときにはもう手遅れ、着地の足を滑らしてしまい、その勢いで前に、左横か、いや右横だったか、いや、この際どっちでもいい、野球選手がベースに向かってよくやるようにスライディング、川面に激しくつんのめってしまった。