「第28日(つづき)」
19xx年9月2日(土)晴れ
知床山中→ 羅臼
■行く手を遮るものがなくなった
キラキラと・・・・反射している・・・・、
何だろう、あれは?
まさか!
この目を疑った。
あれは、・・・・・あれはどうも・・・、海らしい。海らしいものが見える!
いや、あれは海だ!
キラキラと眩しそうに光っている。 海の表面が日光を反射しているようだ。いや、日光が海の表面を照らし出して、この目に見せてくれている。
これはどういうことなのか?
この先、これからはあのキラキラと光る上を歩いて行くことになるということなのか。
知床山中を彷徨ってここまで辿り着いたこのぼくに、何かを告げようとしているのだ。状況をハッキリと確認せよ!と。
人家らしいものも見えるではないか! 屋根が赤や青と色とりどり。
海岸沿いの道路なのだろうか、人もまるで蟻のようだが・・・・・、でも歩いているのが見える。動いている。動いている。
自動車も小さくマッチ箱のようだが・・・・・・・、でも動いている!
――正夢だろうか?
――これで、これで・・・・・、 おお、おお、これで・・・・とうとう山から出られる!
心の中、嬉しさがじわじわっと湧き上がって来た。山から出られる!
状況の次第を知って、悟って、我知らず快哉を叫んだ。
内心、押さえ切れない喜びで飛び上がっていた。そして我々はお互いに抱き合って肩を叩き合った、とも書き添えたいところでもあったが、実はぼく一人切りだけで他には誰もいなかったので、歓喜、感激、慰労の肩叩き、嬉し涙の流し合い等々、これら全部は割愛した。
とにかく良かった、良かった。
嬉しくて嬉しくて涙が出そうだった。心が奮えた。
心も落ち着き、山を下るに先だって、今、眼前に、遠く眼下に展開する海の風景を逆光線気味ではあったが、カメラに撮って収めた。
■ 一連の自己救助活動の閉め
午後零時10分、山肌に相変わらずへばりつくかのようにしてつまり滑り落ちないようにしながら、慎重に、一歩ずつ慎重に、ゆっくりと足元に気を配りながら下へ下へと降りて行き、川原まで下りて来た。空中で落下傘に吊られた人が漸く着地する時の気持ちとでも言えようか。
白いジャリが敷き占められた川辺、眩しい。そう今となっては眩しくも明け放たれた世界の只中へと、一人空中から舞い降りて来たような感覚だ。
そう、今、ゆっくりと降り立った。
助かったのだ。
ようやく出られる。海は目と鼻の先だ。
もう何の心配もしなくていいのだ。そんな思いが湧いて来た。
絶え間なく寄せては引いて行く波のように、この興奮(自分で自分を救助することが出来た!?)。この心の高鳴りも時間とともにゆっくりと引いて行き、心も落ち着き、気も取り直し、普段着の余裕を取り戻した。
デコボコの不安定感を尻に感じたが、そんなことは今更どうでも良い、と川原の小石の上に直にどっかり腰を降ろした。目の前にはお馴染みの川が流れている。キラキラと光っていた海へと流れて行くのだ。
最後まで残っていた、たばこ一本、くちゃくちゃになってしまっていた包みから折れないように大事そうに取りだし、長く伸ばし、ゆっくりともったいぶって火を点けた。
一呼吸ずつゆっくりと、その自由になった味を吟味するかのように吸っては吐き出しながら、今までの苦労に対する骨休めだ。
ゆっくりと吸ってはゆっくりと吐き出す。そんな繰り返しの中に本日、本日は特別な日と相成ったのだ。それ故、最初で最後の、この一本、ゆっくりと時間を掛けながら大切そうに満喫していた。その川原では暫し、至福なる喫煙の時間を回想的に過ごしていた。
助かったのだ。
そうこうするうちに雨がまた降り出してきたが、そんなことはもうお構いなし、慌てることもなし、心配御無用だ。今となっては山から無事に出て来れたも同然なのだから。
人間、そう簡単に死ねるものではない。ちょっと大袈裟かも知れないが、生への意志を確認していた。道なき道をこの両手で掻き分けながら、全身で突き進みながら、山から出よう、出ようともがき続けていた。それは省みれば我ながら、初めての、真剣な、必死な歩みであった。
自分を諦めることは出来なかった。でも自分を諦めてしまったような歩みを続けていた。運を天に任せるような歩みであった。それが今、終わろうとしている。
幕が下りようとしている。
いや、終わった。その余韻を噛み締めている。
そして幕が下りた。終わってみてしまえば、呆気ない幕切れであった。全ては人生途上での、懐かしい思い出として残ることだろう。特に意識していた訳でもなかったが、自分一人に向かって、よくやった、よくやった、よくやったよ、ご苦労様、ご苦労様、と祝賀の拍手を送っていた・・・・・、これで知床での一幕は無事に終わった、と。
■この身柄をYHに移したが、、、
ついさっきまではあの山というか丘というか、その上にいた。高い所から遠くの方に眺められた、海岸線沿いの、その道路に今、正にその道路にこうしてやって来た。
沿道、一人ぽつんと、いやボケッ〜と突っ立っていると、ぼくがそこに予定通りにどこからか(どこからか?)やって来て、その無事な姿を現すだろうという情報を予め得ていたかのごとく、一台の車が音もなく脇に止まった。別に合図をしたわけでもない。
やはり天は見ていてくれたのか。用意して置いてくれたのか。疲労困憊の様子を見て取って同情してくれたのかも知れない。
「何処へ行くのか?」
羅臼YHまで乗せて来て貰った。
YHでは今までの実情を話す。
「あっ、そう」
それだけであった。ペアレントさんは別に驚いた様子も見せなかった。もっと驚いてくれても良かったのに・・・・・、と内心、積極的な反応、応対振りを期待して秘話を披露したのだが、
ぼくの体験はぼくの体験であって、同じ体験を一緒になってやってきたわけではないし、話を聞いても同感しがたいのだろうか。それとも良くある話だ、ということなのだろうか。殆ど関心はないようであった。話しを聞くも聞く
まいも、とにかく助かった本人自身が目の前にいるのだからそれで良い、ということか。
知床山中で行方不明になったのだし、言わば遭難した、そして無事に生還したとも言えよう。ぼくにとっては生々しい、ほやほやの物凄い体験を積み重ねて来た。それなのに、少しぐらいはもっと驚きの反応があっても良いのに・・・・・、と自分の体験を分かち合いたかったのだが、証す相手を間違えてしまったらしい。
誰も人の体験などに聞く耳を持っていないようだ。そう感じてしまった。一人で闘っていたことはぼくだけの体験として自分の胸にしまっておこう。そう自分を慰めるかのように納得させていた。
知床の山の中、自然界でぼくは一人だった。初めてのこともあってか、戸惑いながらも川の流れのように、曲がりなりにも生への自分の意志ではないような、そんな意思を自分の内に確認し続けてきた。
それはさておき、YHにやって来て、さっそく現実の世界に戻った。今までとは違った、世間的な現実がどっと押し寄せてきた。
風呂場で早々、洗濯だ。
洗濯を終えた後、溜まりに溜まった疲れが急にどっと出て来た。山の中で今まで溜めて来た疲れがここに至って、いっぺんに出て来たらしい。もう何の心配も要らない。遠慮なく出せるものは出してしまうのだ。
疲れと同時に空腹も感じ始めていた。早く夕飯を食べたいという思いを腹に抱えながら、空腹が腹痛とも疲労とも感じられ、時間が来るまでそうやって辛抱して休んでいること自体が快適には感ぜられず、寧ろ苦痛であった。難儀そうに横になっていた。もう動きたくはない。早く食べられないものなのか。
おお、待ちに待った夕食が目の前に、ようやく出てきた! やっと!
茶碗と箸を手に取って、食べようとするが、疲れている所為か、食物は思うように喉を通って行こうとしない。口の中に食物を含んでも、誰か別の人が自分に代わって食べようとしているみたいだ。この当の本人が食べているという実感がない。食事の美味さが感じられない。実際に不味かったのかもしれないが、この三日間は断食にも等しい日々でもあったから、まともな食事は贅沢すぎるよ、と体が受け付けなくなってしまったのだろうか。我が足跡だけでなく食事感覚までも知床の山の中に置いてきてしまったらしい。
明日からはまた新たな旅が始まる。
――― 寝入る前の寝床の中で思っていた。
つづく |