「第31日」
19xx年9月5日(火)晴れ 阿寒湖畔→弟子屈→摩周湖→屈斜路湖→美幌峠→美幌
「ついてる日」とか「ついてない日」とかいうものがあるとするならば、本日は本当についていなかった。
何故かと言うと、変な夢を見るわ、ヒッチを試みても車は何故か殆ど止まらないわ、便秘に苦しむわ、カメラを落としてしまうわ(と言っても失くしてしまったわけではなかったが)、腹はいつも減っているわ、―――と数え上げると切りがないほど積み重なり合って自分で自分が嫌になってしまう。ついていなかったとしか言い様がない。
こんな旅なんて、もう止めてしまおうか。そんな思いを弄(もてあそ)び始めているのでもあった。が、そんな弱気に傾きかけている自分を奇しくも発見してハッと我に返ったりして、「初心貫徹!
」、「初心貫徹だ!」と内心、大声で叫び喚き、弱気の自分をすぐさま追い出してしまった。旅を途中で投げ出してしまうといった不遜な思いに終止符を打ち、釘を挿した。一度決心したことは最後まで成し遂げるのだ。
明け方だろうか、寝床の中では奇妙な夢を見ているのであった。夢を見ることなど全くの久し振り。この先どうなるのか、と夢の成り行きを固唾を飲むように見守っていた。まるで眠ったまま映画を見ているような感覚ではあったが、次の画面がどう変わって行くのかが気になりながらも、そんな変な夢を見ている睡眠状態に漂っている自分に対して嫌な気分にもなっていた。
これが本当に自分に起こっていることとしたら、これは大変なことだ。旅を続けられないではないか。これから一体どうしたら良いのだろうか、と一人困り悩んでいるのであった。
目覚めた後、夢の内容が現実に起こっていることではないと分かって一安心したが、後味の悪さが残った。夢の内容は知らぬ間にすっかりと忘れてしまっていて思い出そうとしても思い出せなかった。だから正に夢のようだった、と言えようが、奇妙な夢であったことだけは覚えている。
暫くは欠伸(あくび)、欠伸ばっかりで、あごの骨が開き過ぎて元に戻らなくなってしまうのではとちょっと心配するほどであった。起床は午前6時だった。戸外での宿泊ではなかったのだが、充分には寝付かれなかった。
午前8時5分、YHを発つ。
いつもの如く、ヒッチハイクの旅を続ける。
数十台目の車が通過して行った後、漸くにして乗れた。この車で弟子屈(テシカガ)への道路入り口までやって来た。下車後、そのまま弟子屈へと通じているジャリ道を暫く自分の足で歩いた後、次ぎの車ではその弟子屈まで乗せて来てもらった。ここまでは全て順調に進んだ。
弟子屈から摩周湖(マシュウコ)へと向かう途上でのことであった。本日、二回目の踏ん張りをどうしても避けることが出来なかった。
道路沿いから姿を消してしまうと車に乗れるチャンスを見す見す逃してしまうことになってしまう、と未練がましくも思えたのだが、早く、早く! と一方では急き立てられるかのようであったので、人目(と言っても回りには
ぼく以外には誰もいなかった、と思う)を憚(はばか)りながらも、沿道から林の中へと踏み分けて行くしかなかった。
知床無宿のまま、山中を彷徨中、この腹の中には少しずつ堆積していった、それを知床宿便とでも呼べようか、今頃になって出て来ようとする。確かにこの身は知床から完全に解放されたとしても、腹の中はまだ完全に解放されてはいなかった。清算されてはいなかった。正にその時が来ていたというわけなのだろう。
口から入ったもの、いつかは体外へと出て行かなければならない。人間の体は良く出来ているものだ。忘れていてもちゃんとその時を知らせてくれるのだから。自分で意識的にコントロールしようとしても出来るものではない。
体には体自体のメカニズムが備わっている。例えば、心臓の鼓動を自分で意思したからとて止められるものではない。人体の排泄活動も自分で意思したからとて直ぐに意思通りに発生するわけではない。入り口から出口までの間、時間を掛けて必要な作業、消化作用がなされている。体を保有する本人の意思とはあたかも無関係に体自体が一生懸命働いてくれている。生きていられるのだ。旅を続けてもいられるのだ。
両足が痺(しび)れて立ち上がれなくなってしまった。血の気が巡って来るまで、腰・尻を持ち上げて、恰もスキーの滑走選手がストックを小脇に抱えながら滑走中のような格好で、このピリピリ感覚と一緒にその場で不安定にも正常な平衡感覚が戻ってくるのを我慢して待っている。体の一部が麻痺してしまうということがどんなに大変なことかが実感できたと思う。
片足を前へ出して歩こうとしても、空中を漂う麻痺した当の片足は今、地面に着地しているのかしていないのか、着地したのか、まだなのか、感覚が麻痺して、どっちなのか全然分からない。現実に着地していても着地の感覚が脳に届かない。
両膝に両腕を掛けて、中腰の所謂ウンチングスタイルになる。後に、または前へとひっくり返らないようにと自己の意識をハッキリと保とうとする。この麻痺感覚! 感覚が戻って来るまで暫くそのまま辛抱する。
漸くにして直立出来るようになった。しかし、これは自分の足ではないといった感覚がまだ残っている。それでも何とか元の道路沿いへと早く戻って、リュックを背負った姿を示すのだ。車に乗せて貰えるチャンスを見す見す逃し続けていたのを早く取り返さなければならない。
運転手さんよ、
ヒッチハイカーは今ここにいます、乗せて行って下さいな!
懇願するような、哀願するような思いは伝わっていかないのか、車の方の都合もあったのだろう、車は止まらない。
一箇所にじっと待っていても仕方ないと、歩きながら車を止める機会を呼び込もうとしていた。
暫くはびっこを引くようにして歩いていた。変に固く張り詰めた重い下腹を大事そうにゆっくりと持ち運んで行くかのように歩を進めていた。とうとう摩周湖(マシュウコ)へと通じる道路入り口まで歩いて来てしまった。
ここまで来たからには摩周湖を見ないで通り過ぎることは出来ない、とそう思って、見に行った。が、霧に包まれて全然見えない。やはり霧の摩周湖だった。何の感興も湧かず、すぐその場を去った。
男の人二人が乗る車に便乗出来て、川湯(カワユ)温泉までやって来る。そこには快適な温泉が湧いていただろうことが容易に想像されたのではあった。が、気分転換に温泉にでも入って、序でに腹の緊張でも和らげて少しは寛いだ旅を自分で演出してみようといった風に更に先へと頭が働くこともなく終わってしまった。下腹だけでなく頭の中までも固まってしまっていた。やはり、今日はどうかしている。温泉地を目の前にしながらもそのまま通過して行ってしまった。
屈斜路湖(クッシャロコ)に沿った道路脇を歩き続けている。と、またもや、この予感。さあ、さあ、いざ鎌倉! これで三度目だ。三度目の正直とも言う。三度で、ことは終了すると言えるのか、どうなのか。
元の道路脇に戻った。歩き続けていると、知らぬ間に舗装が途切れていた。埃のジャリ道を30分程歩いた所で、小型バスが漸く有難くも止まってくれた。この車で美幌(ビホロ)までお世話になった。
途中、美幌峠の展望地で小休止。息抜き。深呼吸。背伸び。足の屈伸。軽い体操。今、自分は北海道の、ここまでやって来た。序に北海道を360度見渡した。 日本の、北海道の自然は素晴らしい! ヤッホー。ヤッホー。
北海道を一望に見渡せる地点にたった、そんな証拠写真を一枚、自然を背景としたぼくの写真をその場に偶々いた人にカメラを手渡して撮って貰った。そしてカメラも返して貰った。
誰がそんなこと、予想していただろうか、出来ないだろう、そんなにも開放感に溢れた景色だったのだから。元の車の所へと戻ろうとその場を離れようとした、ちょうどその時だった。何の前触れもなく、水が笊(ざる)を通り抜けるかのように、カメラが手から――あっと言う間もなく・・・・、滑り落ちてしまった! ああ、何と言うことが起こってしまったのか?!
数秒間の絶句。続く茫然自失。覆水盆に返らず。落ちてしまったと思ったものが、――実はそうではなかったのですよ、ということで――そのまま間髪を入れず直ぐに元の位置にひょいと持ち上げられて自分の手に元通り戻って来る、そんなビデオテープの逆回し操作を直ぐにでも実行させてみたいと一瞬希望的に思ったが、現実は現実であった。起こってしまったことを起こってはいなかったことにしておきましょうと自己宣言したりトンボ返りをしたからとて訂正出来ないものは出来ない。冷厳な、冷酷な事実として否定しようにも否定出来ない。今の画面を家庭用ビデオテープ撮りしていた訳ではなかった。後でのお楽しみということにはなっていなかった。
例の「重力の法則」は、この日本の、北海道の、美しい幌を持った峠の上でも作用した。カメラが落下してしまった現場を奇しくも目撃して、ぼくは哀れかな、その法則を久し振りに認識、再確認させられた。
可哀相なのは我がカメラ。傷が付き、その中には光が入ってしまい、中のフィルムも全部駄目になってしまったことだろう。今日まで撮り貯めて来た思い出の画面が全てこれで消えた。何と言うヘマをやらかしてしまったのだろう! 気が緩んでいたのか。これも便秘の所為? 精神的に集中出来なくなってしまっていた。
家を出発して既に一ヶ月は経っている。心に弛(たる)みが出て来たのだろうか? ネジが緩み始めているのか。引き締めなければならない。初心忘るべからず。
美幌のYHに泊まった。
YHの夕食には焼肉が出た! 夕食には何が出ますか、などとその夜のメニューを聞いて知って、そのYHに泊まるかどうか決めていたわけではなかったが、今晩のYH宿泊は正解であった。
久し振りにYHのミーティングに参加した。ぼくは眠気を感じながらの出席であった。女性は何人だろう・・・とやはり異性のことも気になるぼく、しかし、圧倒的に男性の数が多い。野郎ばっかりというのに全体的に元気がない。何故か盛り上がらない。皆さんにとっても色々とかったるい体験を積み重ねた一日だったのだろうか。
明日はきっと良くなっているだろう。希望を託して寝る。
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