「第37日」
■ はじめてだった、日本一周ひとり旅 ■
19xx年9月11日(月)晴れ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 帯広→ 士幌→ 足寄→ 野中温泉
翌日。 テントの外では、朝が明けたらしい。
ポタッ、ポタッと何かが落ちている。その音が次第に寝ている所にも近付いて来るようだ。
何だろう? 自分に課したクイズと思い想像力を逞しゅうして当ててみようとしたが全然思い付かない。起き上がった後、テントの外へと出て見ると、朝露が屋根から垂れていた。午前7時、起床。
■帯広を離れる
あの自転車旅行の2人組は午前9時頃、先に釧路の方へと出発した。もう一人の自転車旅行者も遅れて同じ釧路へとこれから出発しようとしていた。
残った我々二人、午前9時25分頃、このテントから一緒に出た。一緒に出たが、方向は全く別。じゃあ、お元気で!
午前10時、帯広郵便局は先ずは出向いて、貯金を二千円下ろす。25分後、国道38号線に出て、国道236号線、38号線、241号線がお互いに交差する地点まで歩いた。
足寄(アショロ)方面、国道241号線に沿って歩き続ける。十勝大橋を渡り、そこから130メートルの所でヒッチハイクを開始。
止まってくれる車がなかなか現れない。手を上がる度に車は素通り。手を上げると止まらないなら、手を上げないことにしようか。そうしたら止まってくれるのかも知れない。そんな風に逆説的に考えてもしまう。
意思表示しない限り、運転手さんだって分からない筈。だから車が来るたびに手を上げサインを送る。20分程、試みたが徒労に終わった。先へと進む。歩く。
音更(オトフケ)町に入り、そのまま道路沿い、沿道の商店がなくなる地点まで歩いた。そこから再び、気を取り戻してのヒッチ開始。状況は改善されない。場所を変えても、なかなか止まらない。だから僕も止まらずに歩き続ける。
そう言えば今朝は何も食べずに出て来ていた。力不足だし、頭も何となく重く、気分も何となく鬱陶しい。
午前11時半、道路脇、一段低くなった所に降りて行き、草の上で休憩、ちょっとした食事を取った。食事と言ってもビスケットと水だけ。
■この顔、誰だ?
序でにどんな容貌なのか見てみた。どす黒い顔色!携帯用の鏡で見る自分の顔、これが本当に自分なのだろうか。見たことも無い顔だ。いや、今、見てしまった。以前の元気一杯、溌剌とした、若さと希望を感じさせる、喜びに満ち溢れた魅力的な、新鮮な顔は何処に行ってしまったのか?
こんな顔では運転手さんに良い印象を与えないのも当然かもしれない。「何だ、あんな顔、敬遠したいよ、お断りだ」といった印象を与えてしまう。
パス、パスと何度もパスを食らっても腹は一杯にならないし、パス、パスと心の中で言わされていながらも、それはバスの言い間違え、バスに乗って行けと自分に向って暗示に掛けていたのかも知れない。とどのつまりが旅での食糧事情を改善しなければならないということか。
正午になったらもう一度気分を替えてヒッチ開始だ、と心に決め、さてと、もう少しの休憩だ、と思っていたら「もう正午になったのか!」と時間の経つ速さに驚きながらも、荷物を担ぎ、道路沿いに出て来て、ちょうど向うから来た車に何の躊躇いもなく、ひょいと我ながらタイミング良く手を上げる。
と、どうだろう、農家の人が運転する軽トラックが歩道までぐいっと乗り上げて来て、あわや、この僕を轢き殺すのかとひやっとした。すんでの所で轢かれる所であった。止まった。
やはりタイミングなのだ。運転手さんも停まるタイミングを心得ていたのだ。顔色もタイミングが問題なのだ、多分。士幌(シホロ)までの30分間であった。
10分後、乗用車だ。お医者さんらしい。足寄まで行くというので序に乗せてくれた。途中、上士幌(カミシホロ)に寄り、奥さんらしき人を乗せる。50分のドライブで足寄市内に入る。
足寄市役所前の芝生の上で、どっかりと胡座を掻くように腰を降ろし、これからのルートの検討をしながらもビスケットを一つ、また一つと口に運んでいた。昼食の積り。
午後2時15分、2、3台通過後、軽トラックが止まってくれる。運転手さんは千葉が出身地で、北海道に単身転勤となったが、そのままこの地で暮らすことにしたそうだ。もう二度と千葉には帰らない、と。中足寄まで行く予定だったらしいが、話しているうちに気持が良くなり(僕は良い聞き手であった)、気分が乗ってきたのか、気が変わって舗装の切れる所まで、足寄から更に先の先、25キロの地点まで引き続き乗せて来てくれた。
舗装が切れて、ジャリ道である。2、3台過ぎて行った。それっ!と気合を入れて手を上げる。行ってしまった。男は顔だけじゃない、タイミング、タイミング、タイミングだ、と自分に言い聞かせている。
また来たぞ。それっ! 今度も絶対に見間違いようのないように、とタイミング良く元気に手を上げた。が、行ってしまった。と思っていたら、ぐるりっと戻って来た。脇に止まるではないか! 戻って来るのもやはりタイミングなのだ。
「どこまで行くの?」
岩手からの男だけの三人、その一人が訊く。
「野中温泉まで」
「野中温泉? 聞いたことないな」
「阿寒へ行く途中です」
「途中か。なら、いいや。乗せてってやるよ」
ひどいジャリ道だ。埃が車の中まで侵入してくる。野中温泉はもうすぐだという所で、「オンネトーへ行ってみたらどうですか」と奨めてみる。
湖が綺麗だそうですよ。彼ら達は僕の提案に関心を示し、合議の結果、オンネトー−に行くことに決めたらしく、野中温泉へと続いている道に車を入れるようだ。しめた! これでもしかしたらYH前まで乗せて行って貰える!
貰えた。25分後の午後3時10分、野中温泉YH玄関前で降ろしてもらう。彼ら達はオンネトー−へと発って行った。さようなら。どうもありがとう。皆なハッピーであった。
■野中温泉YH
ここのYHには前々から来る予定にしていた。何かがあるらしいという噂を聞いていたので楽しみにしていた。が、北海道各地を旅する上でのルートの取り方が少々難しかったために結局、今日まで延び延びになってしまった。
どこへ行っても、旅先で、泊まったYHで、「阿寒湖へと行くならばオンネトー−へ行った方が良い」、いな、「阿寒へ行くよりも寧ろオンネトー−へ行った方が良い」。否、否、「阿寒へ行くよりも野中温泉へ行くべきだ」と教えられた。
そういう話しを幾度となく聞くにつけ、そうか、そんなに良い所か、何がそんなに良いのか知らんが、と次第に説得された形になってしまった。
何故だが良くは分からないが自分としても行きたい所の一つであった。百聞は一見に如かず。何度も聞いているうちに、一見してみようと心が騒いだ。
それが漸くにして実現出来た。三日前に通過した同じ道路を再び北上して、阿寒湖までそんなには遠くない野中温泉YH、一部では“キチガイYH”だと聞いていたが、このキチガイYHを知るためにもここにやって来た。
■野中温泉踊り
あれがキチガイの重症さを表しているのだろうか。夕食後のミーティング。ミーティングもそろそろ終りになるかな、と思っていると、ヘルパーが野中音頭という踊りを披露、ホステラー全員にも振り付けを教えようとした。
踊りと言えば日本舞踊のようなゆっくりとした動きの優雅な踊りを想像していた。ところが、この踊りには正直言って驚いた。おったまげた。呆気に取られた。開いた口が塞がらないとはこういうことなのか。踊りとは全くほど遠いと断言せざるを得ない可笑しな仕草の連続だ。
歌う文句に合わせて動作が、つまり所謂振り付けが伴うのだが、その動作も歌う言葉に無理矢理にもこじつけたもの。歌い続けていると思ったら急に素っ頓狂な大声、「ワッ! ワッ! ワッ!」と張り上げながら両腕を天に向けてあっちにこっちにと突き出し、何だろう、これは? 何の真似だろう? と不思議がっていたら、「こんなことに不思議がっている暇なんぞないぞな、もし」と言いたげにすかさず、今度は片腕をギンギラギンにして一回転、二回転、三回転、気の済むまで勢いを付けてグルングルンと振り回す、その動作、仕草の大袈裟振り、その突拍子も無い意外さにその場に居た人たちは思わず笑い出さざるをえない。
ヘルパーの動作は度を越えていたとも言えるだろう。気が違ったのでは? この人キチガイ? その場にいた人たちはキチガイ振りに例外なく皆、遠慮もなく喜んで大声を上げてバカ笑いをしていた。爆笑に続く爆笑だ。
そんな動作、そんなバカ踊り、そんなバカ大声は自分には出来ない、出せない、無理だと観客の立場で決め込んでいたのが、「さあ、皆さん。今度は皆さんの番ですよ」と相成った。
変な振り付けをただ笑って見て受け身的に楽しんでいた。そんな参加者たちにもお呼びが掛かった。
「さあ、皆さん、羞恥心を捨てて、自由になりましょう。さあさあキチガイになりましょう! 自己を解放しましょう!」
ヘルパーの動作を見よう見真似でギコチナクも全身運動に励んだ。自分ひとりがおかしなことをやっているのではない、みんなでやれば、恥も外聞も、この際、関係ない。積極的な参加を余儀なくされ、羞恥心も見事に吹っ飛ばされてしまったようだ。羞恥心のかけらもない。
お陰様で、参加者は皆それなりに楽しむことが出来た。その夜、皆な粋なキチガイになった。キチガイYHの名に偽りはなかった。
キチガイ製造YHだったのだ。楽しい思い出を作ることが出来た。
ちょっとコメント ―――
みんな解放され、自由になっただろうか。旅に出るというのも実は日常の現実から「解放されたいから」、解放された自分を感じたいからではないでしょうか。解放されたハッピーな自分でありたい。