「第38日」
■ はじめてだった、日本一周ひとり旅 ■
19xx年9月12日(火)晴れ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 野中温泉→ 帯広(カニ族のテント)
■夜間登山
ここ野中温泉YHに特徴的なこととしては、「野中温泉踊り」に加えて、もう一つ、「夜間登山」がある。
午前2時過ぎ、裏手に聳え立つ雌阿寒岳(標高1503メートル)に登り、頂上で御来光を拝むという次第だ。
利尻島の利尻鴛泊YHでも夜間登山はあった。それにも参加した。残念ながら天候不順のため、途中で下山せざるを得なかった。当時の印象は取り立てて強かったとは言えない。
さて、今回、「北海道の山に登った経験がある人はいませんか?」とミーティング中に問われたので、「は〜い」とつい得意げに挙手したら、何と、僕ひとりだけであった。上げた手を引っ込めるにも遅過ぎた。言わば無投票で、この雌阿寒岳夜間登山のリーダーに指名されてしまった。
少々の仮眠の積もりだったのが、仮眠を通り越して“熟眠”になってしまっていた。が、真夜中の午前1時50分だった、と思う。けたたましい、いや、いまいましい、超大目覚まし時計の金属音によって仮眠どころではない、気持ち良い本格的な熟睡も一気に、そして強引にすっ飛ばされてしまった。
有無を言わさない轟音! こんなバカでかい目覚まし時計などまだ一度もお目に掛かったことがない。ここで初めて見た。
その、まあ、何とも物凄い音! 俗に「見ザル(猿)、言わザル(猿)、聞きザル(猿)」というが、“聞きザル(猿)“を決め込むことも出
来ず、”目覚めザル(猿)“に為らざるを得なかった。起き上がざるをも得なかったし、重要な任務を負かされていたことも思い出さざるを得なかった。
窓を開けて空を見上げると、星が瞬いていてとてもきれい。風、殆どない。登山決行だ。
さて、起き上がった後は出発の支度。午前2時過ぎ、「みんなの部屋」の連中が女の子達を起こしに2階へと駆け上がり、僕は男の連中を起こすのに各部屋を次から次と掛け声を掛けながら回った。お〜い、起床!起床!起床! それにしても寒い。
目覚まし時計が鳴り渡ってから20分、30分と過ぎる頃、登山参加者も段段と出揃った。
玄関前を午前2時40分頃、出発。先ずは登山口に向かった。
懐中電灯の光を頼りに山を登って行く。女性13人、男性17人、計30人の登山参加者。皆な疲れも知らず、途中一、二回、それぞれ5、6分の休憩を取っただけで約2時間掛けて、午前4時40分、頂上に到達。登頂成功とも言う。
■頂上で
事故もなく皆、無事に辿り着いた。このリーダーの采配が良かったからだ、と言うとおこがましいので、控えよう。でも書いてしまった。リーダーだからと言っても、別に取り立てて何かをするということもなかった。ただ皆の一番尻に立ち、リーダー用にと手渡された一番大きな懐中電灯を肩から襷のように掛けて、皆の後ろから遅れないようにと一生懸命登って行くだけだった。
さすがに頂上は寒い。じっとしていると足先の方から冷えてくる。メンバーの一人が僕の方に近づいて来る。
「ねえ、リーダーさん、あの踊りをやりましょう!」
例の、あの野中音頭のことだ。冗談とも本気とも取れる、そんなお誘いだ。
山頂でバカ踊り? 僕は黙って答えない。寒さに耐えながらニッコリするだけ。寒いから体を動かして少しでも暖かくしようよ、ということなのだろうが、そんな踊る気分ではないよ。ご自由にどうぞ。皆自分なりの仕方で寒さに耐えていた。
御来光が昇ってくるまでにはまだ時間があった。
寒さにじっと耐えながらも待っていた。待った甲斐があった。向う遥か先の方、雲海が赤く染まり始めて来た。そ〜ら、そろそろだ。太陽が昇ってくる兆しが見える。
あっ! 雲間からぽつんと赤く点が見え出した。あれがそうだろう。段々明るくなってくる。と、太陽が少し顔を見せ出し、雲が一層赤く染め上がってゆく。早いの早くないのと言っている暇もない、顔を見せたかと思ったら、その昇り方も早い。アッと言う間だ。
午前5時ちょうど太陽全体が現れ、我々一人一人は太陽と相対する。眩しい限りだ。目を細めている。カメラを持って来ていた人はシャッターを何度も押していたようだ。
さあ、御来光も拝んだことだし、後は下山して温泉に浸かるだけだ。僕はそう思っていた。「ちょっと待ってくださいよ」という声が掛かったかどうかは覚えていないが、「せっかくここまで皆で登ってきたのだから、記念写真の一、二枚、全員で撮りましょうよ」ということになった。そんなことになるとも知らず、カメラを自分も持参してきていたのは一応正解であった。下の方で大掛かりに写真を撮っていた人、プロの写真家か、その人にお願いして、全員の記念写真を撮ることが出来た。現像したら一枚自宅に送って下さいという人の申し込みが何人あっただろうか。13人もいた。
■下山後のこと
勢いが付いた下山は早かった。駆け足同然。一時間も掛からなかったのではないか。勿論、僕一人に限っての話だ。
午前6時5分、YHに到着。さあ、風呂だ、風呂だ。何はなくとも風呂だ。さっぱりと汗を流し落とそう。
♪いい湯だな、ウフッ。
どこかで聞き覚えたメロディーが口から出る。確かに良い湯だった。こんなに気持ちの良い風呂などかつて経験したことがない。何かを達成した後の朝風呂は何とも言えない良い気分だ。
■YHを出発、ヒッチをゲーム感覚で
午前8時45分、野中温泉YHを発つ。宿舎からの、朝の出発。他の人達は皆、バスを利用して行くらしいが、僕は国道241号線に出て来るまでジャリ道を一人で歩いて行った。35分間の歩き。
国道に到達。足寄の方に向かった道路沿いをゆっくりと歩き始める。今日は最初からヒッチする積もりなのだ。乗り気なのだ。来る車毎に手を上げる。素通り。この道路、殆ど車は通らない。ときたま来る車には例外なく手を上げる。一台一台が貴重に思える。これで5台目か、またも通過だ。6台目も通過して行ってしまった。
6台目を見送ってからは、目の前を通過して行く車の台数を試しに数え上げて行く。何台通過して行くことで車が止まるものなのか。一つのゲームだ。
「よし、10台目以内に止めてやる、絶対に!」そう自分に言い聞かせる。が、決意しても念力を掛けても止まらない時は止まらない、ようだ。車任せの旅というものはそうならざるを得ない。
■ノンストップで帯広まで
しかし、8台目の乗用車、コロナ・マークII、手を上げたから止まってくれたのか。10台目以内に止めることが出来た。
手を上げなくとも止まってくれたのかも知れないと思わせるような、そんな車の止まり方。後で実情を訊いてみたところ、止まって乗せる積もりだったとのこと。
のろのろと止まった車に近寄って行って訊いてみた。
「どこまでいらっしゃいますか?」
「どこまで行くの? 帯広?」
僕はうなずく。
「いいよ。帯広まで乗せてってやるよ」
やった〜!
国道に出てから20分後にして便乗出来たこの車はノンストップで帯広駅前まで、ちょうど2時間掛かって、午前11時40分、到着。
この人は阿寒湖近くに木彫りの店を持っており、仕入れに行く途中だったのだそうだ。立教大卒。学生時代は東京でのアパート生活だったが、授業には週に一度ぐらい出て、後は遊んだりアルバイトをしたりして暮らしたそうだ。北海道に帰って来てからは店の仕事を手伝っていた。木彫り暦7年。
■襟裳岬行きを目指したが・・
予想外に早く本日の目的地に着いてしまった。
2時間もあれば着けるだろうと、引き続き襟裳岬(エリモミサキ)に行くことに決めた。オンネト−にも到着した日に一周したわけではなかったが見たし、雌阿寒岳にも登ったし、車はノンストップで乗れたし、本当の話、旅での満足感を初めて味わった。気分がとっても良い。これが旅の真髄というものなのかも知れない。
さて、それでは襟裳岬に向かって進んで行こうか、と自分に言い聞かせて国道に向かって歩いて行くが、行けども、行けども国道にぶつからない。ぶつかったと思ったら釧路行きの方で、方向が全く逆であった。
歩きに歩いた。しかも暑かったので汗がだらだらと滴り落ちる。国道241号線、38号線、236号線の交差点までと、また戻って行く。汗を掻きながらの一時間。遅れを取り戻そうと先を急いだのでバテ気味。
さてと、今度は本来の道路、国道236号線に沿って行けると思いながら歩いていると、どうもここは昔、と言うか、以前通った所ではないか。
ああ、馬鹿馬鹿しい。自分で自分の馬鹿馬鹿しさが馬鹿馬鹿しくなった。上空から誰かさんが僕の行動を観察していたとしたら、結局ぐるりと大きな四角形型に道路を一周して来たというわけだ。もう嫌気が差し、襟裳岬行きは諦めてしまった。
■古巣の帯広テントに
午後1時30分、久し振りにまた振出に戻った。見覚えのある帯広のテントに舞い戻って来た。ここで今晩は一泊だ。またも下手糞な時間の過ごし方を自分に課さなければならないとは!
その日の午後は溜まりに溜まった旅の日記を付けていた。