「第39日」
19xx年9月13日(水)快晴
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 帯広→ 襟裳岬
夜中、誰かがこのテントに到着していたようだ。寝返りを打ったとき電球の光が目に当り眩しかったのを覚えている。昨日、野中温泉YHで同室であった、関西からの二人組が午前6時過ぎ、約束通り、このテントに泊り込んで来たのだった。
午前7時45分、起床。
今朝、我らが三人は共に襟裳岬YHに行くことに決まっていた。
彼ら二人は電車で行くことにしていたし、その電車の出発時刻に合わせて、午前10時半にテントを出ることにしていた。発車時刻までまだ相当時間があった。僕がその時刻前に一人で出て行くと分かると、彼らも急いで支度をしてテントから一緒に出てしまった。置いてきぼりを食うような気持ちにはなりたくはない、一緒に出発したいものなのだ。その気持ちは分かる分かる。僕も何度か味わったことがある。
■空腹を抱えながら・・・
それはそうと昨晩は夕食らしい夕食もしなかった。紙コップ半分にウィスキー、そして肴としてのクラッカー、ピーナツだけであった。それに今朝の腹には何も入っていない。だから国道236号線に沿って歩いていても何時しか空腹が募ってきて歩くのが苦痛でしかなかった。
皮肉なことに今日も昨日同様、午前中から余りにも良い天気だ。腹が減っていることとこの良い天候のため、歩きたくもない心を別の心――旅の身にある、だから旅を続けるのだ―― が何とかして歩かせ続けようとしている。でも嫌気が差す。本当の所、つらい。
歩き続けようとするよりも先決問題として、この空腹を何とか解決しなければ歩き続けることも何時しか破綻を来たすに決まっている。橋の下に降りて行って、そこでビスケットの残りを全部食べ切ってしまったが、それでもまだ空腹は癒されない。
もうどのくらい歩いただろうか。一時間以上だ。腹を空かしたままで、もう我慢出来ない。本当に我慢できない。と、道沿いのスーパーマーケットで餡パンと牛乳一本を買う。食らいつき、飲み干す。少し元気が出て来たようだ。
■「不憫そうな人」は満腹
南橋の欄干に腰掛けて、まるでロダンの彫刻像「考える人」のような格好で、通り過ぎて行く車の流れをぼんやりと見守っていると、「考える人」としてではなく、「不憫(ふびん)そうな人」にでも見えたのだろうか、元気のない可哀相な表情が同情を、つまり同乗を誘ったのだろうか、何の合図もしなかったのに、そんな僕の姿を見て一台の軽乗用車が止まってくれた。午前11時55分。
車内ではアイスクリーム一本とトーキビ3本を頂く。まだ空腹感が癒されずにいたので、何たる有難さ! 10分間の短いドライブではあったが、更なる食糧を得ることが出来た。運転手さんに感謝、感謝!
僕の姿だけを見て止まる車も出て来たことだし、それに食事中に止まっては困ると、道路の下に姿を隠すかのように降りて行き、どっかりと腰を降ろして、さて、と三本のトーキビを早々賞味する。天気は実に申し分ない。眠たくなるほどだ。
これで腹もふくれたし、束の間の幸福感、つまり満腹感を味わうことが出来た。やはり食欲が満たされるというのは旅をしていても喜びの一つに数えられる。
天気予報によると、ここ二、三日はこのような秋晴れ、日本晴れが続くそうだ。昼時だからなのか、車は殆ど通らない。通らなくともこうして腹がふくれると別に何の心配も起こらない。全然苦にならない。不思議だ。当座の心配がなくなったことで、やはり心にも余裕が出てきたようだ。さっきまで空腹だったのも嘘のようにすっかり忘れてしまっている。
■銀行員の車に同乗
さあ、そろそろ、またヒッチの旅を始めるとするか。零時45分、道路端に立つ。と、どうだろう。ちょうどやって来た、その一台目の車、その一台目に乗ることが出来てしまった。
聞けば、ちょうど話し相手が欲しかった、ということで止まったそうだ。そうですか、そうですか、お話のお相手をしましょう。
更に聞けば、車での一人旅なのだそうだ。阿寒湖に行ってきた。そして今、浦河の自宅に帰る予定なのだそうだ。銀行員、三日間の休暇を利用した車でのひとり旅。
二人で一緒にお喋りをしながら走っていた。どの辺を通った時だったか、忘れてしまったが、東京からやって来たというヒッチハイカーを乗せる。つまりヒッチハイカーを連続して乗せた。運転手さんの言によると、こんなことは初めてだ。
運転手さんの立場からも僕の立場からも、これは面白いことだ。恰も僕が運転手になっていて、自分がヒッチハイカーを乗せたような気分だ。我らがヒッチハイカー二人は、まとめて広尾市外ちょっと先へと行った所で降ろされた。
この東京からのヒッチハイカー君の言によると、襟裳岬YH当局は事前に予約を入れることを要求する、と。飛び込みは絶対に認めない、と。そこで電話を入れるのだが、誰も出てこない。トイレに行っているのか。昼寝をしているのか。何度掛け直しても同じだ。トイレからは出て来ないわ、寝床から出て来ないわ、電話には出て来ないわ、仕方ないわと諦めた。僕は電話ボックスから出て来た。
■我等、同じ車に収まる
黄金道路の入り口まで歩いて行き、そこでヒッチを開始しようとすると、先程の銀行員の車が止まってくれるではないか。やはり話し相手が欲しいのでまたも止まってくれたのだろうか。有難く同乗させて貰い、二人で走っているともう一度驚いたことになると思うが、さっきまでこの同じ車に乗っていた、あの東京からのヒッチハイカー君が乗せてくれ〜と合図している。彼もまた拾われ、乗り込んで来た。結局、同じメンバー三人で襟裳岬YHまで行くことに相成った。
零時50分から午後3時40分まで、約3時間のドライブだった。「旅は道ずれ、世は情け」、そんな諺を地で行くようなものであった。
■襟裳岬“キチガイ”YHの由来
この襟裳岬YHも“キチガイYH”と言われている。そのキチガイの由来をミーティングの時に、ペアレントが話してくれた。
ペアレントさんもキチガイYHであることを認めている証拠だ。キチガイとはおかしな人間、常識的には考えられないような人間、好意的に解すれば、ちょっと何処か変っているが面白い、そんな人達のことを指して言う。
由来とは、こうである。冬の襟裳岬を想像してみよう。
気温は零下37〜38℃まで下がり、風は秒速30何メートル。外に出るものなら人間さえもが吹き飛ばされてしまう。そうした冬になるとYH内ではヘルパー四人とペアレント一人だけでホステラー達がやって来るのを待っている。が、こういう天候だから滅多にはホステラーの訪れが見られない。それでも一ヶ月に一人や二人はやって来るそうだ。やって来た人は普通、泊まって、そして帰るために来るのだ。予定通りに帰る積もりでいる。
「君、本当に帰るのか?」
YHを構成する総勢五人にマジマジと顔を見入られながら訊かれる、ホステラー。
そうすると「ええ、帰ります」とも言い難い。このホステラー、そんなわけで、冬の襟裳岬で人質にされてしまったみたいなもの、次のホステラーがYHにやって来るまでは帰ることが出来なくなってしまう。
バスが到着する度毎に、「襟裳岬YHはここにあるよ!」とバスの下車客に示すためにYH建物の屋根の上によじ乗って旗を振ることになってしまう。こんなこと、正常な人ならばやれない。ところが、この人、帰りたい一心、でも代わりの人がやって来ないと帰れない。代わりの人を連れてくるのに必死なのだ。「おーい、このYHの泊まる人はおらんかな〜」と、屋根の上に一人立って、旗を振るということに精神を集中する。
こんなこと普段はやらない、でもここではやる、やらざるを得ない。事情を知らない人が見ると気が違ったのではなかろうか、キチガイではないのか、とそんな風に思ってしまう。
このミーティングでは歌は余り歌わず、バカ踊りもなく、ペアレントさん一人のお話しだけで終始した。