北海道直送・しーおー・じぇいぴー

白老→札幌」  日本一周ひとり旅↑   洞爺湖畔→伊達朝の、ドイツ語での挨拶

 「第42日」

         
      19xx年9月16日(土)雨後曇り
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 札幌→洞爺湖畔
 


 ■雨宿りを繰り返しながら、少しずつ前進

 台風20号が近づいている! 

昨日からどうも空模様がおかしいと思っていたら、そういうことだった。早朝から小粒だが鬱陶しくも雨が降り続く。

午前9時15分になった。まだ降っている。止みそうもない。出発はいつもより遅れている。

これ以上待っていても止むそうもない。YH玄関から一人、雨が降る中へと飛び
出て行った。濡れた坂道を転ばぬようにと慎重に下がって行く。


宮ケ岡YHを左側に過ぎて、動物園、アフタケア−、旭ヶ丘、伏見と通って行く。
 
午前10時30分、藻岩山ロープウェイ入口近くの歩道橋の下に潜るかのように留まった。一回目の雨宿り。ヤッケも相当濡れてしまった。

歩道橋の下でずっと突っ立っていても車が止まってくれる訳でもない。15分後、雨降る中へと再度出て行き、国道230号線に向かう。

20分程歩いた後、今度は建設現場脇の道具置き小屋の軒下に留まった。二度目の雨宿り。

暫くしてまた雨の中へと歩き出す。30分程して、三度目の雨宿りを藻岩山横断歩道橋下で続けようとする。と、ちょっと脇に目をやると、ビルの玄関だ。ちょうど庇(ひさし)のようになって風に吹かれずに雨宿りが出来そう。直ぐに移動、玄関前に突っ立ったまま車の通過する流れをぼんやりと眺めながらの雨宿り。

正午ちょうど、まだ雨は降り続けていたが、この場所「南36西10」で十分に休憩を取ったということで、その玄関先を離れどんどんと先へと道路沿いを進む。

午後零時半頃、雨も小降りとなり、左側に真駒内の屋内スケート場の建物が見える。風も納まってきた。
 

 


 
■トラックが停まった! 

片道2車線の国道230号線の脇に立って、そろそろヒッチハイクをしようかと思っていた矢先、中央線の内側に沿って走っていたトラックがグーンと外側へと抜け出てきて、進行方向、前方に停車する。

ぼくを待っているのか。駆け足で車に近づいて行き、尋ねてみる。図星であった。乗せてもらう。午後零時37分〜午後3時まで。

このトラックの運転手さん、眠くなったので人を乗せたかったのだそうだ。尤も、そう言われるとこちらとしても運転手さんが眠くならないように話を続けなければならない。運転手さんにとって満足の行く話し相手であったかどうか、我ながら、はなはだ疑問だ。

午後1時9分、パンク。14分程、道端に駐車し、ぼくは運転台に座ったままパンクの修理終了を待つ。

定山渓の街中を通り過ぎた時、ただ商店などが並んでいるなあ、と思えたぐらいで、そのまま何の印象も心に刻むことなく車は通過して行った。

 洞爺湖が見え出した頃、支笏湖と比較し、こちらの方が中島の緑が鮮明に目に飛び込んで来たので、良いなあ〜と思えた。

湖畔沿いの道路を走る。左側は洞爺湖が次第にその姿を変えてゆく。昭和新山も見えてきた。
 

 


 ■昭和新山YH 

午後3時30分、昭和新山YHの方に泊ることに決め、受付も済ませた。

割り当てられた部屋に入って来て、ちょっと驚いた。全部で8つあるベッドのうち、下の4つは全部ドイツ人のホステラーが占めていた。

ちょうどそこにいた大阪に住んでいるというドイツ人学生と日本語で話す。生真面目そうな人だ。絶対に羽目を外すことのない、そんな人だ。明日、大阪に帰る、とのこと。

残りの三人は今、昭和新山に登っているという。帰って来た時に会ったが、その一人は日本国内をヒッチハイクで回っている。鼻の下にひげを蓄え、これが普通の若者(と言ってもう30を過ぎているようだ)かと思われる印象を与える。もう一人は世界一周をしているのだそうだ。ベッドの上には日本語の小辞典や日本地図が無造作に置いてある。更にもう一人のドイツ人の方は何をしているのか分からなかった。

 


 ■ドイツ語に対する親近感 
                               
午後6時、夕食時にはドイツ人ホステラー4人全員が出揃う。通訳の役目を務めているような日本人一人と一緒に食事をしている。

横で観察していると彼等たちは箸の使い方も慣れたもの。勿論、ドイツ語で喋り合っている。ぼくは久し振りに生のドイツ語を聞いたが、懐かしさと同時に、「失敗した! もっと真剣に勉強して置けば良かった!」という気持ちに襲われた。

今も生のドイツ語が聞こえて来る。何を話しているのか、全然分からない! 分からないとなるとますます分かりたいという気持ちが募る。が、如何せん、ドイツ語も真剣に勉強してこなかったことの付けがこんな時に表れてしまった。

食後、彼ら達がドイツ語で話しているのを分かろうとして執拗に脇で盗み聞きの如く両耳を精一杯緊張させていたが、相変わらず、ちんぷんかんぷん。

自分が勉強したドイツ語とは別の違ったドイツ語でも話しているのか? とにかく、ちゃんと聞こえていたのだが、脇に居ながらもつんぼ桟敷に置かれていた。

一緒に仲良くなりましょうよ、と望んでも言葉が通じなければ、意思の疎通が出来なければ、どうしようもない。世界平和への道はまだまだ遠い、と自分に対してちょっと失望を感ぜざるを得なかった。

 

 


 ■公的なミーティング 

午後8時15分からはYH恒例の、ミーティングが始まった。例の如く、先ずはYHの歌集を一人一人参加者は手に持って皆で歌ってウオーミングアップ。そして席取(関取?)ゲーム、失恋ゲーム(?)、変形ジェスチャー入りじゃんけんゲーム、とゲームばっかりが続いた。

このミーティングの最中、印象に残ったことが一つあった。それは女性達を内側、男性達を外側に丸く円を作って男女お互いにお見合いの如く向かい合う。制限時間は一分間。一分間ごとに右隣の人、つまり目の前の女性に訊きたいこと、何でも話すことが出来る。17組で17分間、一人一分間で17人の女性一人一人と話しが出来る。

誰が誰で、何処から来たとか、これから何処そこへと行くとか、自己紹介を兼ねた一分間の面接、時間のない忙しい対談。これもゲームと言っていいだろう。
 

誰か印象に残った人がいただろうか、と思い浮かべてみた。どちらのYHの泊ろうかと、このYHの方へと歩いて来た道すがら話しかけた女性が実はこの同じYH内、食事の時にその姿を目にした。そしてミーティングの時の“個人的な”質問攻めと、通算何度か会ったということで彼女のことが際立って念頭に残っている。相手も気付いていたらしい。

 


 
 ■個人的なミーティング 

ミーティングが一応公式に終った後も、お茶でも飲みながらミーティングの続き、つまり改めて正式に自己紹介を兼ねた“個人的な”ミーティングをまだやっている人もいた。

女性一人を囲んで男性5、6人というテーブルもあった。ドイツ人4人組は食事中も、ミーティングが行われている最中も、また終ってからも、大声で話し合っている。要するに彼らは喧しい。



ぼくも彼ら達に混じり、日本国内をヒッチハイクしているという、その一人と英語で話してみる。

  − 日本でのヒッチハイクの感想はどうか? 

    − 接した日本の人たちをどう思うか? 
 
      − 日本をヒッチハイクする目的は何なのか?

        − 日本の何処を回って来たのか? 

          − 沖縄の人たちと土地はどうだったか?

         − 行き先々の、土地の人達との意思疎通に困難を感じなかったか?


YH内、消灯時間の午後10時を過ぎても,食堂には我々5人(私とドイツ人4人)だけが何時までも何時までもと時の流れを忘れて残っていたが、女性ペアレントに促されて、我々5人は一緒に我らが部屋へと戻った。
 

 



 ■ドイツ人達だけのミーティング・・・、

部屋に戻った途端、今度は彼らドイツ人4人だけでの喋り合いが突然始まった。二次会だ。ぼくはそのまま自分のベッドへと重たい体を移し、カーテンを閉めてそのまま寝入ろうとした。

これから北海道を回るという、同室の、もう一人、別の日本人ホステラーは既にベッドに入っていた。自分のベッドのカーテンを閉め切って、布団の中に横たわって寝入るのを待っていたのか、それとももう寝入ってしまっていたのか。で、目覚めてしまったのか。


 同じ狭い空間の中での、ドイツ人達の、あの大声、うるさい、やかましいのだ。

ぼくもその別の日本人ホステラーと同じように寝入ろうとしたが、これではとても寝られない。彼等ドイツ人たち、益々喋り合いに油が乗っている。止めようがないといった風だ。
 

 


 ■ぼくも加わる

ぼくは自分のベッドから起き上がって、彼ら達の仲間入り。時々、彼ら達のドイツ語が今は分かるのだ。耳が慣れて来たのか、少し分かる。嬉しい。多分こんなことを話しているのだな、ということが日本語の単語が混じって聞えたりするので分かる。

日本語が分かったというだけでドイツ語の方は大部分、分かったとは言えないというのが真相だろうが、想像力を逞しくして分かろうと努めている。

台風の話しをしている。朝鮮に渡ることも話している。冗談が何度も飛ぶ。その度にドッと沸く。が、そういう時に限って、ぼくの方は冗談が皆目分からない。きょとんとしている顔が想像出来るだろう。

世界一周を計画しているドイツ人は日本語の小講習を仲間から受けている。ついでに、確認の意味ですぐ隣に顔を覗かしている、この日本人にも訊いて来た。

北海道から本州へと安く渡るにはどうしたら良いか、と。釧路からフェリボートをヒッチすれば良いのでは、とぼくは奨める。外国人に弱い日本人のこと、もしかしたら只で乗せて行って呉れるかも知れないよ、ともヒントを与える。


 


 ■同室の日本人ホステラー、爆発


既に寝入ったと思われていた、同室の日本人男性ホステラー、この人、もうこれ以上は我慢してはいられない。40分程してからだっただろうか、自分のベッドのカーテンをさっと開け放ち、怒気を含んだ声で一発食らわす。

 「もう消灯時間は過ぎているんですよ!」

  そして間髪を入れずに継ぐ。

 「誰か話せる人はいないのですか?!」


ぼくのことか? ドイツ語は余り話せないぼくだが、同じ日本人、彼の気持ちが分からない訳ではない。その気持ちはぼくも経験があるから、良く分かる。

明日は早く出発するかも知れない。それに疲れたので早く寝たい。消灯時間もとっくに過ぎていれば、誰もが静かにベッドで横になっている筈。この外人達、この日本人! 静かに寝たいというのに。

日本人の彼、その心の叫びは痛いほど分かる。ぼくも野宿をしながら、いつも満足に睡眠が取れたことがない。彼はやさしく、押さえながらも精一杯自分の寝床の中から激しく怒鳴った。

 彼の一発、ぶちかましは聞いた、いや耳に痛く効いた。

さあ、我々5人も静かになって休息を取ろうではないか。ドイツ人達もそれぞれ自分のベッドへとすごすごと移った。

ドイツ人一人一人の、まだ満ち足りないような息づかい、そしてこの日本人一人の、怒鳴られ戸惑った溜息、そして更にはもう一人の日本人の興奮覚めやらない寝息、それら全部をまとめて覆い被せてしまうかのような重たい沈黙が、男達の熱気によって狭く蒸暑くなった部屋の中にゆっくりと舞い降りて来るかのようであった。


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