洞爺湖畔→伊達 日本一周ひとり旅↑ 登別温泉→長万部

19××年9月18日(月)曇り後雨

「第44日」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 伊達→ 登別温泉

 

 人がやって来るとちょっとまずい。

夜中、硬いスノコの上、寝袋の中に包まって眠っていながらも、そういう思いが念頭にあって、午前5時半、起床。起き上がると同時に寝袋を直ぐにクルクルと畳んで、10分後には学校を出て、そのまま国道37号線に沿って歩き出していた。 

空を見上げると厚い雲が山の上を被っている。台風が過ぎ去った朝、今日という日は素晴らしい日であろう。台風一過の秋晴れと言うではないか。

■腹の足し 

視界を地上に移した途端に腹が減った。何かが不足しているという体からの信号であった。そう言えば昨日の昼、夜と何も食べていない。二食も、いや三食目の断食をも続けているような状況であった。 

道路沿いを歩いている途中でクリの実を幾つか拾い、皮をむいて生のまま齧りながら腹の中に入れる。あっ、そうだ、思い出した。雌阿寒岳の山頂で拾った缶詰がリュックの中に保管してあった筈だ。それを取り出し食べる。 

缶詰の中身を口の中へと一スプーンごと運んでいると、午前6時半、太陽が雲間から出て来て、暖かい明るい期待を持たせるようかのようであった。が、直ぐ隠れてしまった。

 

 

■オートバイに乗った 

変則的な食事を終えて再び歩き出す。通過する車のスピードが全体的に速いようだ。ヒッチしようとしても車は団体行動を取っているので捉えようがない。一台ずつ来ることがない。ヒッチしにくい第二の理由だ。何度か試みたが駄目。早朝は車も少なく拾いやすいということが通常なのだが、状況が変わるまで歩いて行くことにした。 

オートバイがこちらの様子を窺うようにしながら通過して行った。つまり脇見運転をしながら行ってしまったと思ったら、前方で止まり、こちらの様子を相変わらず窺がっている。 

何を思ったのか、知り合いでも見つけたとでも思ったのだろうか、ユーターンしてこちらに向って来るではないか。脇に止まる。

「どこまで行くの?」 

 「登別の方まで、」 

 「東室蘭までなら乗せてってやるよ」 

後の席に寝袋を恰も結構大きな熊さんのぬいぐるみの如く両腕で抱きかかえるようにして乗る。オートバイ運転手君の背中とぼくの胸、腹との間にはその熊さんがクッションのような形で挟まって、まるで三人乗っているような感覚であった。午前7時半〜8時まで。 

このオートバイ、結構スピードを出して走るとは想像していなかった。乗用車などを左に右に傾きながらも次々と、「車ども、下がって、下がって」「お先に! お先に!」と追い越して行く。まるでロードレースだ。カーブに差しかかったときなどは、傾き過ぎて横倒しになるのではないか、格好良く、いや、悪くか、スライディングするのでないのか、このまま横倒れになってお陀仏か?! そんなイメージが浮かんできて後ろにいるこの本人はひやひや、気が気ではなかった。生身剥き出しで風を切っていた。 

スピードを出すものだから、髪の毛が顔面、額にバチバチと鞭に打たれたかのごとく当って痛いこと、痛いこと。それを嫌ってヤッケのフードを頭に被せるが強烈な風圧で脱げてしまう。また、股開いた先の両足元はエンジンの振動がビリビリと伝わって来て,しびれて麻痺、いや麻酔を掛けられたような感覚だ。 

こんなにスピードの速いオートバイに乗ったことなど過去一度もなかったと思う。道路が舗装されていたからいいものの ――だからそんなにもスピードを出すことが出来たのかも知れないが―― そうでなかったら横転、事故、骨折、それとも重傷、この世からあの世も考えられる所だろう。そんな情景が目の前に展開して見えるかのようだ。

■またも歩く

制限速度は時速50キロなのか、60キロなのか。それとも、それ以上なのか。どうもこの国道36号線上の車は翔け走りといった感じだ。「道路沿いで手を上げる人、お前、何だ!?」「警察か!?」といったような走り振りだ。 

このヒッチハイカーはそんな車の流れに鋭い止め、楔を入れようとしているのだが、車の方は団体で次から次とワー、ワーと切れ目もなく走って来るので止め難い。結局、ぼくはお見送りのお役目ばっかりをさせられていた。 

道路に沿って歩きながら、前方、遠く望見される室蘭の町の様子を目に入れている。学校の地理の時間に学んだことが思い出された。確か、室蘭は鉄鋼の町と記憶している。でも田舎風な所だ。そんな印象だ。ぼくが来る前に寂(錆び?)れてしまったのか。 

今日のぼくは随分と歩いている。感心しているのか、哀れんでいるのか、とにかくそんな意識がある。

 

歩いてばかりいるとどうも腹が減ってくる。途中、売店に寄って四枚入り食パンとメロンパン一個(砂糖がザラザラとまぶしてあって傷跡のかさぶたのような表面の皮を齧る、この歯ごたえ、この感触が何とも言えず、大好きだ)を買って大切に食べる。そして再び歩き続ける。歩き続けざるを得ない。そんな諦めにも似た義務意識がある。

疲れた。そう思い始めていた。と、学校が現れてきた。その校庭を囲む石垣に背を寄せて一休みだ。午前10時22分〜10時40分まで。

どのくらいの時間が経ったのか。気を持ち直して再び歩き始める。 

幌別まで8.5キロメートルの地点だったか、漸くバンを捕まえる。この車で登り別温泉入口まで来た。

 

ところで台風の被害はどうだったのだろうか。 

 立て看板

「オロフレ峠は土砂崩壊の恐れがありますので通行止めしております。 

 室蘭土木現業所」

これはどういうことを意味するのか。オロフレ峠は通れないということだ。車は通れない、でも人間だったら、歩行者だったら通れると言うことか? どっちにせよ、明日になれば通れるようになるだろう。そう、良い方に解釈したい。オロフレ峠からの展望は素晴らしいという話だ。

 

 

■観音寺YH、そして地獄谷へ 

午前11時、登別温泉入口でライトバンを止め、観音寺YH前まで10分間、乗せて来て貰った。 

 「こんにちは!」 

 もう一度

 「こんにちは!」 

玄関に立って挨拶をするが、返事がない。

玄関の外へ出て何処か裏にでも回って行こうかと思っていると、愛想の良いおばさんが登場。 

 「早く来たのね。いいわよ、お入りなさい」

 

 

登別は昨日の台風で断水とのこと。自衛隊の給水車が温泉街を回っている。三日間、連続の雨だったそうだ。それにしても、腹が減った。 

 「登別に来たからには地獄谷ぐらいは見て来なさい」

おばさんの言に従って行ってみるとするか。それにしても雨が降って来そうだ。

雨が降らない前の、正午だった。何かが抜けていると思いながらも、つまり昼食の時間が来ていると腹で感じながらも、カメラ、レインコートだけを持ってYHを出る。

案の定、地獄谷に着いた頃、雨が降り出す。仕方なしにYHに戻ろうとした。途中の売店に立寄り、雨宿りを兼ねて時間を潰していると雨も止んできた。YHの宿泊受け付け時間までにはまだ早いし、どうしようかと迷ったが、再び地獄谷へと戻って行くことにした。が、帰り道またもや雨が降り出す。

ここ2、3日は雨ばっかりが降る。辟易する。登別には地獄谷の他にも見物出来る所があったが、空き腹を抱えていた為か動くのが、歩くのが何となく難儀だ、億劫だ、苦痛だ、空腹だ。

午後2時にはYHに戻って来てしまった。

登別、北海道有数の観光地と言えよう。貧乏旅行の身にあるぼくからの結論はこうだ。徒歩で訪れることが出来る所が少ない。しかもお金を支払わなければ入れてくれない所が多い。歩いては行けないようになっている登別温泉界隈だ。

 

■安心して寝られる幸せ 

さて、今晩はYHに何人泊まる人がいるのか。午後6時前には夕食は終えてしまったが、ぼくと岩手出身で横浜から来たという男の人の二人だけであった。大広間の一隅、向かい合っての夕食は二人で、わびしいものだった。 

後ほど男二人が2組、女二人が一組来たそうだが、男一組を除いて翌朝まで会わなかった。結局、8人泊ったことになるのか。我々二人しか泊っていなかったような感じだ。シーズンも過ぎるとこんな風なのだろう。侘しい。

それはそうと泊まる人数が少なければ、それだけ夕食等の待遇も比例的に良くなると大いに期待したのだ、あに図らん、そうでもなかった。 

午後6時過ぎには既に床を敷き、少々食べ過ぎたかなと腹をさすりながら知らぬ間に寝入ってしまった。雨や風を気にすることもなく、安心して寝転がっていられる。この旅人にとってはそれも一つの幸せを感じるときであった。ぼくの幸せ、暫しの幸せ。

 

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