制限速度は時速50キロなのか、60キロなのか。それとも、それ以上なのか。どうもこの国道36号線上の車は翔け走りといった感じだ。「道路沿いで手を上げる人、お前、何だ!?」「警察か!?」といったような走り振りだ。
このヒッチハイカーはそんな車の流れに鋭い止め、楔を入れようとしているのだが、車の方は団体で次から次とワー、ワーと切れ目もなく走って来るので止め難い。結局、ぼくはお見送りのお役目ばっかりをさせられていた。
道路に沿って歩きながら、前方、遠く望見される室蘭の町の様子を目に入れている。学校の地理の時間に学んだことが思い出された。確か、室蘭は鉄鋼の町と記憶している。でも田舎風な所だ。そんな印象だ。ぼくが来る前に寂(錆び?)れてしまったのか。
今日のぼくは随分と歩いている。感心しているのか、哀れんでいるのか、とにかくそんな意識がある。
歩いてばかりいるとどうも腹が減ってくる。途中、売店に寄って四枚入り食パンとメロンパン一個(砂糖がザラザラとまぶしてあって傷跡のかさぶたのような表面の皮を齧る、この歯ごたえ、この感触が何とも言えず、大好きだ)を買って大切に食べる。そして再び歩き続ける。歩き続けざるを得ない。そんな諦めにも似た義務意識がある。
疲れた。そう思い始めていた。と、学校が現れてきた。その校庭を囲む石垣に背を寄せて一休みだ。午前10時22分~10時40分まで。
どのくらいの時間が経ったのか。気を持ち直して再び歩き始める。
幌別まで8.5キロメートルの地点だったか、漸くバンを捕まえる。この車で登り別温泉入口まで来た。
ところで台風の被害はどうだったのだろうか。
立て看板
「オロフレ峠は土砂崩壊の恐れがありますので通行止めしております。
室蘭土木現業所」
これはどういうことを意味するのか。オロフレ峠は通れないということだ。車は通れない、でも人間だったら、歩行者だったら通れると言うことか? どっちにせよ、明日になれば通れるようになるだろう。そう、良い方に解釈したい。オロフレ峠からの展望は素晴らしいという話だ。
■観音寺YH、そして地獄谷へ
午前11時、登別温泉入口でライトバンを止め、観音寺YH前まで10分間、乗せて来て貰った。
「こんにちは!」
もう一度
「こんにちは!」
玄関に立って挨拶をするが、返事がない。
玄関の外へ出て何処か裏にでも回って行こうかと思っていると、愛想の良いおばさんが登場。
「早く来たのね。いいわよ、お入りなさい」
登別は昨日の台風で断水とのこと。自衛隊の給水車が温泉街を回っている。三日間、連続の雨だったそうだ。それにしても、腹が減った。
「登別に来たからには地獄谷ぐらいは見て来なさい」
おばさんの言に従って行ってみるとするか。それにしても雨が降って来そうだ。
雨が降らない前の、正午だった。何かが抜けていると思いながらも、つまり昼食の時間が来ていると腹で感じながらも、カメラ、レインコートだけを持ってYHを出る。
案の定、地獄谷に着いた頃、雨が降り出す。仕方なしにYHに戻ろうとした。途中の売店に立寄り、雨宿りを兼ねて時間を潰していると雨も止んできた。YHの宿泊受け付け時間までにはまだ早いし、どうしようかと迷ったが、再び地獄谷へと戻って行くことにした。が、帰り道またもや雨が降り出す。
ここ2、3日は雨ばっかりが降る。辟易する。登別には地獄谷の他にも見物出来る所があったが、空き腹を抱えていた為か動くのが、歩くのが何となく難儀だ、億劫だ、苦痛だ、空腹だ。
午後2時にはYHに戻って来てしまった。
登別、北海道有数の観光地と言えよう。貧乏旅行の身にあるぼくからの結論はこうだ。徒歩で訪れることが出来る所が少ない。しかもお金を支払わなければ入れてくれない所が多い。歩いては行けないようになっている登別温泉界隈だ。
■安心して寝られる幸せ
さて、今晩はYHに何人泊まる人がいるのか。午後6時前には夕食は終えてしまったが、ぼくと岩手出身で横浜から来たという男の人の二人だけであった。大広間の一隅、向かい合っての夕食は二人で、わびしいものだった。
後ほど男二人が2組、女二人が一組来たそうだが、男一組を除いて翌朝まで会わなかった。結局、8人泊ったことになるのか。我々二人しか泊っていなかったような感じだ。シーズンも過ぎるとこんな風なのだろう。侘しい。
それはそうと泊まる人数が少なければ、それだけ夕食等の待遇も比例的に良くなると大いに期待したのだ、あに図らん、そうでもなかった。
午後6時過ぎには既に床を敷き、少々食べ過ぎたかなと腹をさすりながら知らぬ間に寝入ってしまった。雨や風を気にすることもなく、安心して寝転がっていられる。この旅人にとってはそれも一つの幸せを感じるときであった。ぼくの幸せ、暫しの幸せ。