北海道直送・しーおー・じぇいぴー

長万部→江差  日本一周ひとり旅↑  函館市内  

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「第47日」
    ■はじめてだった、日本一周ひとり旅■ 

  19xx年9月19日(火)雨
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜江差→ 函館




■誰もいないの?

午前7時10分、起床。食堂へと出て来て見たが誰もいないようだ。

横山家の人達は全員、朝の、昆布といわし取りに出掛けてしまったのかな?

「食事の用意が出来ています」

部屋に戻って待機していたら、部屋に顔を出して告げてくれた。男の人一人、 留守番として残っていたらしい、朝食、午前8時15分。



■八方睨みの画

良い天気になる気配だ。何日振りだろうか。海、空と青く、雲は白い。風も殆どない。 希望的だ。こうでなくてはいけない。

朝食が済んだ後、宿泊が同室であった男の人と一緒に法華寺に行く。 八方睨みの画を見たかったからだ。

作者は天井にどんな格好をして、これを画いたのか。何処から見ても、どの角度からも眺めても、 竜は天井を見上げる人を睨んでいるのだそうだ。本当かと色々な角度から首を極端に捻りながら 鑑賞していたので、首が痛くなってしまった。



■暖かい空の下

今日の予定、海岸線伝いに松前半島を一周するかのようにして、松前を通って函館へと出るか、それとも松前を通らず木古内(キコナイ)経由で、つまり松前半島を途中で横断するようにして函館へと出ようか。

一応上ノ国(カミノクニ)まで行き、そこに着いてから更にどの方向へと行くかを決めよう。

松前を通っての函館へのルートは道路も悪く、しかも話によると一時間に一台ぐらいの割合でしか車は通らない。聞く人ごとにそんな風に聞かされてきた。

郵便局で二千円を下ろし、郵便局でも国道228号線の状況について同じような内容を聞かされた。

午前10時10分、上ノ国に向かって、江差の暖かい空の下を歩き出す。浮き浮きした心。


歩き続けて午前11時ちょうど、その分岐地点である、上ノ国に着いた。お店のベンチに腰掛けて暫しの休憩、

車の流れを見ていると、木古内方面へと抜ける車ばかりで海岸線の国道228号線へ行く車は待っている間だけでも一台も来なかった。話の通りだ。

遠く行く手を見渡すと、それでも車が動いているようだ。行こうか、行くまいか、迷った。車が拾えなかったらどうしようか、大変だ、最終目的地まで歩いて行くしかないのか、途中で日が暮れてしまうのではないか、そんなことを思いながらも気がついた時には、国道228号線に向かって体は歩いていた。海岸線に沿って行くことにした。最初、田舎を歩くような気分だった。

ジャリ道で上り坂、予想通り車が全然来ない、本当に何処までも歩いて行かなければならないようだ。心細い。やはり自分の足で歩いて行くしかないのか、そろそろ真剣になってそんな覚悟をしなければならないようだと自分に言い聞かせていた。


■孤島でのヒッチハイクの如し

<一台目>

約50分,少し重い足取りで歩いた。上ノ国役場の役人さん二人の車に出発してから初めて拾われた。正午7分から30分弱の便乗だった。

ひどい道路だ。ガタガタと激しく揺れながら坂を上ったり下ったり。右側はずっと海が望まれる。その色が手前から薄水色、白、群青と3色になっている。色の違いが海の深さの違いとなって推測される。キラキラと海面は輝いて眩しい。

石崎までだった。松前まではあと44q。



<二台目>

一台目を降り、二台目が捕まるまでの歩き、実際は20分間であったが、一時間以上も歩いたような感じだった。何故か。誰一人して他に歩いている人はいない。この間、車にも出会っていない。

二台目はバン。前も後も2番目に通ろうとした車、小砂子(チサゴ)まで。陸の孤島、つまりバスはここまでしか行かない。午後1時5分前に便乗。20分ほど。

車に乗って分かるのだが、この海岸線道路はヘアピンなみのカーブが連続する、しかも急角度で下る。

上りの時に次ぎはそのまま直進か、と予想していると90度下るようにして左折する。もし道路標識が要所要所になかったとすると進んで行く道路がこの先どうなっているのか、初めてのドライバーは皆目見当がつかないだろう。有難いことに道路を食べたり飲んだりすることはなかったらしい。初めてのドライブはとても危険だ。



<三台目>

乗用車。午後1時20分〜午後1時55分まで。この辺に支店でも設ける積りで検分に回ってきたのか、銀行の幹部と部下の二人連れのようだ。

午後1時30分、原口通過。

 午後1時42分、 江良(エラ)通過。

午後1時54分、清部(キヨベ)に着く。ここで降ろされる。

 この間の道路もひどかった。天気は申し分ない。まあ、道路が悪いのは致し方ないとしても、こうして乗せて貰えたことに感謝だ。少しでも松前へと近づいて行けるのだから、道路に文句を言っても仕方ない。
黒のジャンパーを着た覆面白バイクがこんな道路で測定をやっていた。



<四台目>

石油運搬トラック。松前までの道路、良く行き来するのだそうだ。この車で松前まで来る事が出来た。急カーブも何のその、時速70〜80キロのスピードでコンスタントに走る。道に良く慣れているから出来るのだろう。

午後2時26分、茂草

次ぎの車を拾うまでの時間、改めて調べて見ると、一時間も歩いた後やっとのことで乗せて貰えた、という風ではなかったが、歩いているとそんな風に長く感じた。

誰も他には歩いていない。ぼく一人だけが歩いている。左手には山並み、右手は海だ。その間ジャリ道の上りあり、下りありと、主に上りばっかりであったが、腹を空かしながらとぼとぼと歩き続けた。太陽はぎらぎら。



午後3時、松前城に行った。歴史を知らないから、つまらない。15分後、出る。





相変わらずの海岸線道路を30分程歩いた。ちょうど函館まで帰るという車、バンを運良く止めることが出来た。午後3時45分。

家並みがずっと続いた松前。途中、渡島当別で降ろして貰って、トラピスト男子修道院に行く積りだったが、そのまま寄らず通過したのが午後5時半近く、既に月も顔をのぞかしていて、夕日もその名残が函館山左側一帯の上空に見えた。そのまま函館までやって来た。午後6時3分。


■函館に戻った!

有名な函館市街の“百万ドルの夜景“を見物するために、駅前からバスに乗り、函館山へと行った。乗車途中、車内の電灯が消えた。停電か! 事故か! ひやりとしたが、乗客へのサービスだったらしい。

 初めてそれらしき函館の夜景が目に飛び込んできた時の印象は強烈なものだった。綺麗だな〜。ただ一言。嘆息、また嘆息。オー、オー。

 帰りの乗客の中にスリッパにどてら姿の男の人が4、5人いた。ホテルからそのままちょっとの積もりで出て来たのだろうか。ちょっと興ざめいや、どてらでもいいや、人のことは。でも、ちょっと変わっている。



 



  

■駅待合室で寝ようか?

午後9時40分、待合室の椅子の上に横になって寝ようとした。明日はフェリーに乗って本州に渡ろう。

 ところが、待合室から追い出されてしまった。

 駅の外、通路になったひさしの下、地べたに寝袋をそのまま敷き、その中に入ったが全然寝られなかった。頭の中、考えがグルグルと堂堂巡り、周囲も連絡船待ちの客達で騒々しかった。落ち着いて寝入れる環境ではなかった。


 とうとう明日になってしまっていた。

 午前3時25分頃、寝袋を抱えたまま元の待合室に戻り、午前7時半まで寝ていた。

 

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