■「函館YH」が満員!
午前7時半には起床、椅子に腰掛けたままぼくは調べ物をしていた。本州に渡った場合のための準備と心構えとでも言おうか、そんな作業を始めた。地図、ガイドブックなどを参照しながら本州に渡った後のルートを考えている。
今晩はYHに泊り、ご飯を鱈腹(たらふく)食べ、食べた後はゆっくりとくつろいで、明日は本州へと戻って行こう。そんな計画を立て、その通りになるだろうと安心していた。
早速、YHへ電話予約を入れてみた。
「えっ、満員ですか!?」
ショックだった。まさかそんなことを聞かされるとは予想していなかった。宿泊は宜(むべ)に断られてしまった。予約確認の電話を入れる前から予約オーケーして貰ったも同然といった、大いなる確信があった。
今晩も野宿になるのか?
ちょっと心が重い。
北海道最後の日こそ、少し贅沢をしてみたかった。畳みの上で安心して寝たかった。
■函館、立待岬
午前10時、函館駅を出た。予約した後はそのままYHに荷物を預けに行く積りであったが、何処へ行こうか。自分でもはっきりしていない。いわば直感的にヒントが与えられるのを待っているという風でもあった。
函館山を前方に見ながら、近づいて行く。いや、山の方が近づいて来るのか。あっ、そうだ、と思い出した。立待岬(タチマチミサキ)へ行って見よう。立って待つ。誰が立つのか。何を待つのか。そんな名前の由来をちょっと知りたいと思った。
途中、前方、坂道を下って来る男の人に聞く。
「石川啄木一族の墓がある場所は何処ですか?」
「それよりも岬の方がずっと良いですよ」
ぼくに奨める。今晩、この人に再会するとは全然想像していなかった。
午前11時50分、立待岬の手前まで来てしまっては、たちまち着く。この岬は自殺の多い所だそうだ。後ほど、つまり明日になるのだが、そんな事実を知った。
北海道の海は何処へ行っても青々としている。いつまでも見ていても飽きない。突っ立ったまま遠くを見やる。下北半島が薄くぼんやりと霞んで、海の上に浮かんでいるかのように望まれる。明日はこの身もあそこに移っているのだ。
仰向けに寝転がったままパンを、ビスケットを口に運んでいる。片膝を立て、もう一つの膝をその上に乗せた、気楽な格好だ。
そこに一人で寝転がっていられる身分、誰にも煩わされない、ひとりの旅人、明日はどうなるか分からない。が、とにかく明日へと希望を繋いでいる、抱いている。楽観している。
時はゆっくりと流れて行く。北海道の大地の上に寝転がっている。が、脳裏の隅には一つの思いがある−−−− 明日は本州だ。
立待岬のそば、同じ場所に根気良くただ寝転がっているだけだった。それにも飽き、口の動きも止まった。気分転換に場所を変えた。
函館市街が見える芝生の上に今度は腰を降ろしたままでいると、男の人、一人でいるぼくを見掛けてこちらへと近づいてくる。何だろう、どうしたのだろう? こんな所に知り合いがいるとは、とでも思ったのか。話し掛けてくる。
実は話し掛けてみたかったらしい。本日、東京からやって来たという、これから北海道を回るそうだ
「飛行機でここまで?」
「ええ」
豪華だな、とぼくは内心思った。一人旅に出て来ると旅先では心細くなるのだろう。飛行機の中でも一人だったのだろう。北海道にさっそく着いたということで、誰かに、誰でも良い、話し掛けたくなったらしい。
「これから出発ですか?」
「ええ」
「ぼくは殆ど回って来てしまいましたよ。明日は本州へと戻って行く積りです」
「秋の北海道も結構良いとの話ですから、これから・・・」
取り止めの無い事を話す。途中まで一緒に並んで歩き、亀井勝一郎の碑の所まで来る。彼は函館山へロープウェイで登って行った。この東京からの人とも後程、再会するとは予想していなかった。
■午後、ハリスト正教会
午後2時20分、ハリスト正教会へ行った。
石段の一番上に最初、男が二人寄り添って腰掛けているのが眺められた。何をしているのだろうと不思議に思ったのだが、近寄って見ると、消え入りそうな声に合わせてギターを申し訳なさそうに弾いていたのは女性だった。九州からだと言う。チョビ髭男は東京からとのことで、二人寄り添って会話をするともなしに途切れ途切れに、ぼそぼそと話していたようだ。
ここ北海道に来て、互いに知り合うことになったのか、旅に出ると人が恋しくなるのかも知れない。
ここ元町は函館でも第一級の土地なのだそうだ。閑静な所。自動車は余り通らず,お店もないようだ。別の所で絵を画いていた男の人が後ほど一人加わり3人になる。
この3人と、それぞれ一人一人とであったが、後程また会うとは、これまた想像していなかった。本日の函館は予想以上に小さな世界だった。
寄り添っていた二人が静かにしていたのも何となく理由がわかった。大声で話すことは場所柄、憚れる雰囲気が漂っていたのだ。とにかく、一時間程経ってからぼくは彼ら三人と別れた。
さて、これからどうしようかと考えながら、函館山行きへの標識の矢印が何度も目に入ってくるので、暗示に掛かってしまったかのごとく、函館山への道を歩いて行く自分であった。
今晩はYHに泊まることも出来ず、函館で時間を過ごすのも少々むずかしいなあ、と感じている。水やらコーラを飲んでばかりいたので汗が結構出る。
■函館山
頂上に辿り着いたのが午後3時半だった。
そこのベンチに一人腰掛けていたら東京からの、さっきの旅行者がやって来た。
「やあ、また会いましたね」
「ええ、そうですね。また会いましたね」
外の空気に触れているととても寒く、長居は出来ない。風邪を引いてしまいそうだ。我々二人は一緒に展望台の休憩所に移動し、そこで時を過ごしていた。函館の夜景が見られる頃まで、と待っていた。その間、彼の北海道旅行計画についてぼくなりの助言をしたりしていた。
ぼくにとっては二度目の夜景であったが、二度目も綺麗だった。月並みだが、そう書いておこう。午後7時15分まで、3時間強、ぼくなりに頂上を占拠していたことになる。
午後7時20分、ロープウェイに一緒に乗って下山だ。彼は市電で湯の川の旅館へ、ぼくは歩いて函館駅の待合室へと別々の宿舎へ。ぼくにとっては宿舎と言えるものではなかったが、そう言っておこう。寝る時間がやって来るまでの時間潰しの場であった。
■函館駅待合室
「覚えていますか?」
椅子に座ると話し掛けてくる人がいた。声の方に振り向く。先程の人であった。隣の椅子に座る。
その時からであった。夜中の正午近くまで、文字通り時間の経つのも忘れて語り明かした。彼は立待岬での自分の心の内を披瀝し、頻りに北海道のこういう所、ああいう所は良い、と褒め上げる。
どちらから来られたのかと訊いてみたら、彼は関西からだった。尼崎の立ちん坊のことやら、京都の紅葉、その他旅に関すること、色々な話題を取り上げては話し合った。
彼は連絡船待合室で今夜は過ごすということだったので、ぼくは昨日と同様、駅の外で野宿するために別れた。駅の待合室でぼくと同じように思っていたらしい、これから中で寝ようとしていた人に話し掛けた。
「実はここでは寝させてくれないんですよ、知ってましたか?」
彼を誘って駅の待合室から駅の外へと我々二人して出て行った。
この日、函館は小さな世界であった。ここでは、ついさっき知り合ったばかりだという人から気楽に話し掛けられてばかりいた。勿論、ぼくの方からも話し掛けてもいた。
旅に出てからというもの、自分も随分と変わった。そう思った。
筆者の、コメント