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「第 56日」 


はじめてだった!日本一周ひとり旅

     19××年9月30日(土)晴れ

         弘前「青森県」→ 鰺ヶ沢「青森県」 


 

 「おはようございます」

―う〜ん、誰だろう、こんなに朝早く? 本当に、お早ようございまするだ。明日は土曜日、週末だし、 こんな建設現場には誰も来ないだろうと思って昨晩は寝たのに、朝になったら状況が変ったのか。

文字通り、おはようござんすですよ。


再度、「おはようございます!」 語気が、少々強い。

―― 一体誰だろう、こんなに早く? 起きなければならないのだろうか。 熟睡中だということで、このまま動かずに、 息もせずに、じっとしていようか。行ってしまうまで待って見ようか。

もう一度、「おはようございます!!」

ますます語気が強くなった。もう駄目だ。「熟睡中」といった看板でも 出しておくのを忘れてしまった後ではどうしようもない。手遅れだ。

その声には何としても起こしてしまおうという底意地が感じ取れる。起こしてしまうまでは絶対に立ち去りそうもないようだ。

いやはや、もう、これはいやいやながらも起こされざるを得ない気迫だ。起きざるを得ない。 寝た振りなどはしてはいられない。その女の人の声が二度、三度と優しそうでありながらも、芯があって執拗に続くのだから。

更に四度目、と続きそうな勢いだ。と同時に次にはその女性の両腕がにゅうと伸びてきてこの全身を揺り動かされるかもしれない。 そんな風に想像されてくる。もうこれ以上狸寝入りを続けてはいられない。そう観念した。 ここのアパートに入居予定の人が工事の進捗状態でも視察に見回りにでもやって来たのだろうか?

意を決して上半身をむっくりと起こした。寝袋から顔を出す。いかにも今、 呼び掛けの声で深い眠りから目覚めたばかりだといった表情をしながら演技振る。


事情を話す。

 「今は日本一周の旅の途中で、昨晩はここを寝場所として選んだのですよ、はい」

 「良い場所を選んだわね。何処から来たの?」  

 「岩木山に登るの?」

 「朝食は? まだ?」

 「顔を洗って、食事して行きなさい」 ぼくは恐縮してしまった。

 「いいえ、結構です」



その場から離れ、歩きながらも腹を空かしている自分を感じていた。 朝食を断るのではなかったと後悔した。またさっきの場所に戻って行って、 後悔を取り消すことのもおかしい。そんなことは出来ない。本当のこと言って、 何か損をしたような気持ちになってしまった。確かに腹を空かしていたのだし、 言われたように素直に食事をして来ればよかったのに、と自分に対して少々不満であった。

起き上がった直後もそうであったが、歩いていると足がまだ痛む。特に腿の内側は動かす度に痛むようだ。筋肉痛と言うのか。 十和田湖畔一周の競歩(誰と競争したのだろうか?)が今になってその影響が出てきたようだ。だが、 そんなこと、いちいち気に掛けていたら前へと進めない。歩いているういちに慣れてしまって、忘れてしまって、直ぐに元通りになるだろう。





■弘前公園へ

弘前駅へと戻り、昨日の残り物、味噌パンと牛乳で食事を済ませ、 弘前公園へと行ってみた。午前9時5分。

弘前城を見た。桜の頃か、それとも紅葉の頃に来ると良いのだそうだ。 今はどちらの頃でもない。岩木山が望まれる。広広とした所では、 学校の試験休みで仙台からやって来たという学生二人とお互いの、 少しの幸せと気張らしの為に言葉を交し合う。

誰も来ないようだからベンチの上に一人で長々と寝転がっている。気持ちが良い。 何も考えていない境地に遊んでいるようだ。こうやっている時が一番満ち足りたように思われる。 いや、無意識下では何か思っていたことは確かなのだが、それを特定化することは出来ない。

帰り道、赤い橋の上でこれまた試験休みの学生に話し掛けられ、立ち話をする。
「こういう一人旅をしていると色々と疑問が湧いてきて、それがまた刺激となって、勉強、社会勉強となるんですよ」

年上の、先輩面をしてぼくは意見を開陳する。お返しかどうかは分からないが、学んだばかりのことなのだろう、話の中で、 都から遠いほど“石(ごく)”は大きくなるとか、その学生は教えて呉れる。へえ、と感心するぼく。




 

■岩木山に登ろうか、、、

岩木山に登る積りだった。登りだけでも4時間掛かるそうだ。今の時刻、 午後2時頃だから、このまま歩いて行っては時間が掛かるし、当の山に登り切れたとしても、 下山するとなると夜になってしまうようだ。

そこで登山口まで車に乗せて行って貰う積りでヒッチを開始したのだったが、 車が捕まらず、ええい! やはり歩いて行ってしまえ! と自暴自棄的に自分に向かって静かに喚いた。

午後零時過ぎ、弘前から6km、岩木高原(イワキコウゲン)の入口近く 辺りまで歩いて来てしまった。昼食はビスケットだけ。

午後1時半頃、出発。天気の良い道路に沿って歩いて行く。 平坦になった所で手を挙げると、女性が運転する小型乗用車が止まる。

車中、「岩木山に登るにはどうしたら良いのですか、 この先にはYHがあると聞いていたのですが、どうですか」等々、 話しているうちに岩木山登山を諦める方向へと心は動かされ、 最初スカイラインの入口までお願いしますと頼んであったのが、 彼女が行く所まで一緒に乗せて行って貰うことにした。




■それよりも日本海を見ようか、、、

舗装が切れ、鰺ヶ沢へと通じる道路、ちょっと先へ行った所まで来た。下車。そして、そこからは日本海側へと向かって歩いて行く。

実は歩いて行く積りはなかった。何処か途中で、また乗せて貰う積りでいた。 だが先へ先へと歩いて行けども行けでも後方からやって来ても良いのに車の気配さえもない。

とうとう自分の足で歩いて行こう、歩いて行くのだという気持ちが勝ちを占める。

だが、22kmある。このまま歩いて行くとして、 6時間程掛かるだろ。向こう、つまり日本海側に着くのは夜の9時頃になるだろうか。

仕方ない。歩かねば進めないのだらから、進まなければ着けないのだから、歩くのだ。

山の中ででも野宿しなければならなくなったらそうするしかない。 そう考え、そう覚悟しながら、まだ寝る時間でもなかったが、 寝るに適当な場所を探すといった風に、そんな意識を持続させながら、 山道を下って行った。


午後2時40分、鰺ヶ沢町に入ったようだ。標識がそうなっていた。 見えない境界線を越えたのだ。勿論、歩きながら入った。

少し行くと道が粘土をこねたようにぐちゃぐちゃだ。 道路はトラクターや工事用の車で占められ、通せん坊のようだ。 どこをどう通って行けば前へと進めるものやら、歩いて通るのも一苦労だ。

深い山の中だ。早く山を下りなければ、と足元も狂い勝ちだ。 轍(わだち)の中に足を取られたりして、つんのめりそうになったり、 コントロールを失ったこの俺さまは一体何をやらかしているのか、 と自分に対する不満と不審があった。


一台の車、後からゆっくりと走ってくる。訊くと弘前へと逆戻りするのだそうだ。 今歩いて通って来た道、そしてこの道と車は通行止めなのだ。そうか、 どおりで車が全然通らなかったのだ。分かった、合点が行った。 潔く諦めて歩いて行かなければならないことになる。

20分ぐらいしてから、一台の乗用車が下りてくる。この車を今、捕まえなかったら、 今日という日は予想通り夜になっても歩き続けなければならないことになるに違いない。 そう考えて、手を挙げた。どうしようか、止まってしまおうか、それとも止まるまいか、 そんな風に自問自答しているような、そんな様子を感じさせられる車の停止であった。

 「途中までしか行かないが・・・・・」

 「いいです、途中まででも・・・・・」

とにかく乗せて頂けただけでも幸運というものだ。全く道の悪い所を車体と 一緒に左右に大きく揺れ動かされたりしながらも、少しずつ確実に下って行く。


  「鰺ヶ沢まで行くよ」

「あっそうですか。助かります」

本当に助かった。車で下ってきた道を頭の中でおさらいをしてみると、 歩いて下るということが如何に大変なことであったかも知れないと容易に想像出来た。

途中、運転手さんは自宅に寄る。家から陸奥リンゴ3個、 なし1個を持って来てくれる。大きなリンゴだ。こんな大きなリンゴ、 見たこともない。陸奥りんごと言うらしい。

午後4時5分、鯵ヶ沢の駅までとわざわざ乗せて来て貰う。 何と親切なこと! 嬉しくなってしまう。


駅の待合室にでも泊る予定で中を見渡したが、 駄目のようだ。一層のこと、五所川原まで歩いて行こうと歩き始めたが、 突然気が変った。やはり行かないことにした。




■いや、日本海よりも寝場所だ

日本海は荒々しく波打っていた。久しぶりに海を見たことで、 全身が引き締まる思いであった。

いや、それよりも今晩の寝場所探しだ。

海岸沿いの砂地に置いてきぼりにされたような大きなコンクリート土管の中 にででも寝ることにしようか。

よく子供達がその中でトンネルの積もりで遊んでいるイメージが浮んできたが、 この大人のぼくにとってはトンネルではなく、いわば屋根付きの、 臨時の宿泊場所として使えるものかどうか、そういう観点からちょっと観察してみた。

この中で寝ようかと思った。思ったことは思った。が、 この曲線的なコンクリートの感触がこの身にはどうも馴染まないように思われた。

探せばもっと快適な場所が見出されるのではなかろうか、と曇り空の下、町内、 その辺をぶらぶらと歩き回り、これだったら良いかもしれないといった別の寝場所候補を見つけた。

夏の間は何かの催し用に使われていたらしい。舞台風の簡単なステージ。 盆踊りのステージだったのだろうか。周囲は竹の格子フェンスで囲ってあって、 屋根はトタンだ。中に潜り込むようにして入り舞台の中央に立つ。

自分一人だけではちょっと広すぎるのではなかろうかとも思われたが、 遠慮なく寝袋を広げ、歩き疲れた体を滑り込ませて、午後8時に寝入った。

 

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