弘前「青森県」→鰺ヶ沢「青森県」     日本一周ひとり旅↑   弘前「青森県」→能代「秋田県」  

「第 57日」 
 

     19××年10月1日(日)曇り

         鰺ヶ沢「青森県」→ 弘前「青森県」 

 

■ 日本の自然の懐に起居する?


 昨晩、日本海は大荒れだったのだろうか、波の打ち寄せる音と聞き分けられない風の音とが一緒になって、 激しく、ひっきりなしに、その舞台の上に寝転がっていた ぼくの耳に届いていた。


 風の吹き曝しの中、パタパタと音を立てているらしい薄っぺらな夏用の寝袋。頭から全身被っていたが、 そんな寝袋の中では生身が蓑虫のように小さく縮こまり両手を両腿の間に挟んだまま暖を取るかのように耐えていた。 近くには日本海 があると全身で感じていた。昨晩は熟睡していなかった、出来なかったようだ。
 

外は寒かった。

中も、、、、 そう寝袋の中も言わずもがなであった。



 今までの人生、野宿などやったこともなかった。それがこの旅ではもう当たり前になってしまった。


 日本の自然の懐に起居する―― そんな風に詩的に、ロマンチックに表現することも出来るが、 現実はロマンチックではなく、寒さもリアルに身に凍みる誠にリアリスティック だ。そんな旅を今続けている。


 その昔、来る日も来る日もこんなことをしている自分自身を見出すであろうなどと想像出来ていただろうか。 否である。





  ■ 自然にあっては耳が敏感になる?


 耳がとても敏感になるのだろうか。自然の昆虫やら動物やら、外敵から身を守るためには危険をいち早く 聞き分けなければならない。聴覚が異常に発達しているというのも、こうして自分自身 外で身を以て生活を繰り返していると、その動物たちの心理、真理が分かるような気がする。
 

そう、音に敏感にならざるを得ない。その物音は危害を及ぼす敵なのか、それともどうなのか、と。

 

外で寝ていると色々と日常聞いたこともない音と一緒に寝るようになる。静かに落ち着いて寝ることなどは 殆ど無理な相談だ。その為に寝不足になってしまうのか。

 午前7時20分の起床だった。



  ドカーン、
         ――― 何だろう、あの音は?


  「小学校では大運動会があります」

 宣伝カーが近くで触れ回っている。これはスピーカーからの音。



  ドカーン! 
         ――― そうか、告知の花火らしい、そんな音も朝、空中を木霊して聞えて来る。



 早速、昨日頂いたリンゴとナシを食べる。朝食だ。ナシは柔らかく甘かった。リンゴはそれほどでもなかった。 見た目が大き過ぎる。だからだろうか、味もちょっと、ということだ。 ご好意で頂いた物だ、贅沢は言えない。



 



  ■ 弘前へとまた戻って行く


 午前9時半、五所川原(ゴショガワラ)に向けて歩き出した。実は鰺ヶ沢へ来たら今一度考え直して見ようと思っていた。 つまり、これから能代(ノシロ)へと向かって行くにどのようなコースを取ろうか、これであった。


 能代へと直接ぐっと下ろうか、
 それとも
 五所川原(ゴショガワラ)をぐるっと経由して弘前へと抜け、大館(オオダテ)に至ってから能代へと行こうか。



 能代へと行く道路の状況を頭の中で予想する。途中、舗装されてはいない、それに海岸線沿いだ。あんなこと、 こんなこと、色々と考え合わせると車も余り通っていないかも。頭の中であっちこっちへと行ったり来たり、戻ったり、 また動いたりと、そんなことの繰り返しの結果、五所川原の方へと向かうことに決めた。


 午前10時35分、今朝の日本海は遠く青々としてきれいだなあ、などと思いながら歩いているうちに、 弘前まであと44km――ご親切にも無言で教えてくれている道路標識が目に入った。その 同じ場所ではちょうど焼きイカを売っているためでもあったが、4、5台の車も停車中 。



 ああ、秋の味覚か、あの醤油がこんがりと焼けた美味そうな香りがこの我が鼻を否応なしにくすぐる。 胃の底から食欲が無性にやたらと駆け上がって来る。うう、食べたい! 食べたいなあ!  でも、男はぐっと押さえる。節約、節約 !現実的な思考が食欲を徹底的に抑圧、そして凌駕する。


 五所川原を経由せずにここから始まる道を行った方が、弘前へは近道になる。ぼくは土地の人でなかったが、 秋田からやって来たという3、4台の車も ぼくに道を訊き、ぼくに言われたようにこの道を行った。


 そうか、よし、俺もこの道を行こう。続け、続け! 


 1台目は5分程で捕まえた。乗りも5分程であった。
午前10時45分〜10時50分まで。

2台目に乗り継ぎ、弘前市外まで一気にやって来た。
午前10時50分〜11時35分まで。


 石渡という所からは結構歩いたが、午後零時10分、弘前公園の裏の方とでも言えようか、 水族館前に歩いてやって来た。




 



  ■ 弘前公園にまたも姿を現す


 ベンチに腰を降ろす。目の前、水上にはボートが何隻も行き交う。そうか、今日は日曜日なのだ。行楽の人達が多い。 暫く休憩をした後、赤橋を渡って、昨日の場所、岩木山が良く眺められる広々とした場所に出てくる。


 まあ、何と人の多いことか! 

 家族連れ、恋人達,子供達、観光客達、色々とその辺から集まって来たのだろう。昼時でもあったためか誠に賑やかである。



 芝生に背中の荷を下ろし、身も横たえる。

再び弘前公園に来てしまった。と言っても来てしまったことを悔やんでいるわけではない。 こんな公園が存在するのが羨ましい。旅する人の感覚でそう思う。もし、地元に住んでいてここに来ていたとしたら、別の思いを持っただろう。 そこに住んでいるのと、どこからかそこにやって来るのとでは受ける印象が異なる筈だ 。
 

目を閉じた。何も特別のことを考えていなかった。ただ、こうして一人で芝生の上に寝転び、こうした旅をやっている、この身を感じている。


 今までの旅先での行動、自分の足跡はどんなものだったろうと後ほどこうして回顧出来る。楽しい旅だったと言えるのか。 「楽しい!」とそ断言出来る旅を続けてばかりいたとは言えない。楽しいことだけを求めて旅を続けていたわけでもな い。臨機応変にその時々の状況に言わば準備もなしに体ごとぶつかって行った。



 後の方では恋人同士、歌を歌ったり愉しげに無邪気に戯れたりしている。回りには他の人達もいるということ、 つまりぼくが旅人としての特別な感覚を持ってそこにやって来ているということは眼中にないようだ。


 地元に住む人たちということで、まあ御自由に、勝手にしてやってくださいだ。でもその女の人が話しているのを聞いていない振りして 耳を傍立てていると、土地の方言のためか柔らかく響き、心の中にすんなりと言葉がスポンジのように吸収されて行くようだ。



 


  ■ 大勢の中の自分一人を見出す
 

そろそろ風も出て来た。冷たく感じる。午後2時後、岩木山もこれで見納めだ、さあ、これから大館へでも行こうかと思い、 風に促されるかのように重い腰を上げる。

 

左側には弘前城を見ながら、昨日公園に入って来る時に通った同じ道を歩きながら、 国道7号線へと出て行けるようにと自分自身を補導するように歩を進める。


 と、繁華街を歩いている自分を見出した。こういう所に来ると、また別の意味で心が落ち着くから不思議だ。 一人きりの切り離された自分ではなく、自分も同じ人類の一人に属していると感じて心が安心する。 人がたくさん蠢(うごめ)いている。何をしているのかは一人一人、分からないが、何かが活動していることを発見した時の喜び。


 一人で旅をしていると、一度に多くの人達に出会うということは殆ど皆無だ。一人でいることが長く続くと、 それとは違った環境に自分を置いて見たいという無意識の心が働くらしい。



 中核派のシンパがこんな所(都会から遠く離れた、地方の東北ということ)のにもいるのか。ハンドマイクでがなり立てている。 誰も演説を聴いている人などいないのに。演説の練習でもやっているのか。少々、この城下町の雰囲気に合わないよ。 浮き上がってしまっている。興醒めだ。


 行き交う女性たちの背の高いことが目立つ。男のぼくよりも大きい女性が結構いる。 ブルージーンズを上手く履きこなしている。





  ■ りんご園の小屋の中で


 午後2時半には公園を出て、それからは国道7号線に沿って歩き続けていた。道路は両側、家屋の列が出来ていて、 しかも道路の幅が狭くヒッチしようとも出来難い。だから家並みが切れるところまで歩いて行こうと心を奮い立たせて進むのだが、 そして適当と思われる場所では手を挙げてヒッチの意思表示をするのだが、全部素通りだ。



 もう2時間以上歩いている。相変わらず車は捕まりそうもない。諦めてしまっていた。歩き疲れてしまってもいた。


 そうだ、今晩の宿だ。寝場所を探さなければならない。そう思い出したところ、神社へと通じる道が逸れている。 その分岐点に立っている自分。 どうしようか。行ってみるか。来て見たが,寝られるような所ではなかった。

途中、リンゴ園の中に小屋がぽつんと置いてあるかのように見て取れた。と同時に今晩の宿のようにも見えた。 いや、そのように見てしまった。寝かして貰おう。いや、あれは今晩の宿だ。気後れすることもなく、 その中で泊ることに直ぐに決めてしまった。


 午後5時頃、お目当ての場所にやって来た。小屋の中へと身を移すと中は暗く、何をするということでもない、 直ぐに寝袋を広げ、敷き、仰向けになる。と同時に激しい雷雨だ。まるで ぼくの寝場所確定を待っていたかの如く降り出した。頭上、というよりも寝転がっていたぼくの顔の上、 真上で雷が怒っているようだ。

 ――おい、お若いの、そんな狭っ苦しい所で何をしちょるのか? 

 激しい稲光が暗闇を過ぎる。一瞬、小屋の中が明るくなった、と思った。雷鳴が轟く。


 雨が降り続く音を耳にしながらも、その間、我が寝入る前の儀式、慰安でもある、携帯ラジオを添い寝させるかのように 耳元に置いて聞いていたが、弘前だけが雷雨に見舞われているようだった。

 今晩も何とか寝場所を確保出来た。

 

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