弘前「青森県」→能代「秋田県」   日本一周ひとり旅↑  男鹿半島、戸賀

「第59日」

          19××年10月3日(火)曇り

        〜〜〜〜〜〜〜 能代「秋田県」→ 男鹿半島「秋田県」 



■男鹿(オガ)半島へ

寝袋の中に包まったまま耳元には携帯ラジオ、NHK・英会話ラジオ講座番組を聞きながら自分にだけに聞える声を出して発音練習をしていた。 番組が終ると同時に起き上がる。だから、起床は午前6時40分だった。

午前8時、神社から出て、8分後、道路反対側にある道路標識、能代まで9kmの地点、ということは能代から9kmの地点で泊ったということだ。 国道を歩き続け、男鹿まであと33kmの地点。

さて、どの道路を通って行けば、本日の目的地、男鹿YHまでに行けるだろうか。道路脇で暫し地図とガイドブックと相談していた。 寒風山の周囲を通って目的の所までずっと歩いて行くのは疲れるだろうし、今日、明るいうちに着けるかどうかも疑問だ。


暫くは歩いていた。どこまでも歩いて行こうとしていた。が、歩きながら考えてもいた―― 歩きだけでは到底無理だ、と。

 

車をヒッチすることに決めた。

さっそく、ヒッチ出来た最初の乗用車、乗車時間は午前10時からたったの5分間。それでも歩くよりもやはり楽である。

5分後には2台目の小型乗用車、大阪ナンバーだ、手を挙げたら止まってくれたが、目の前に止まった車の中を覗いて見たら、 もう一人乗れる、座れるというだけの余裕はどこにもない。後席には運転者君達二人の衣類やら所持品やらで所狭しと締め切った窓から今にも溢れんばかりに飛び出そうと するかのように一杯詰まっている。

「乗れませんね。いいですよ。歩いて行きますから」そう言って行き掛けようとすると、運転手君、乗せてあげようとして止まったのに乗せなかったら面子が立たないとでも思ったのか、だから絶対に乗せるということなのか、車内、色々と整理整頓して、僕一人分の席を何とか辛うじて作ってくれた。ドアに体を摺り寄せるようにして乗せて貰った。

試験休みで男鹿半島一周のドライブ中だったそうだ。ちょうどうまい具合にお互いに共通点が見出された。YHはこの先、行く途中にあるので、そこまで乗せて行ってくれと頼むと簡単にオーケーだ。

まずは寒風山へと行く。が、運転手君、方向を間違えるというヘマをしでかした。地図を助手に持たせながらもこの土地は初めてのドライブだったらしい。

 


■ 寒風山に来る

午前10時10分には寒風山に到着。

車から降りようと席を立ち、外に出た途端、2、3秒間、目の前が急に真っ暗になり目眩を感じた。そのまま意識を失ってぶっ倒れるかと思った。 精神力で阻止した。

こんな経験初めてであった。最近は食事が粗末そのもので、ここ数日間も、食事はと言えば、ビスケットとリンゴばっかりだった。 御飯は食べていなかった。栄養不足なのか。更にはこの所寝不足状態が続き、体調が宜しくないのか。自分自身の健康状態がちょっと気になったが、いつまでも気にしていてもどうすることも出来ない、 そうこうするうちに眩暈も治まったのでふらふらとなったことも直ぐ忘れてしまった。


遠足の小学生達だろうか、紅白の帽子に白いトレーニングパンツ、それぞれが5、6人一組になってワイワイガヤガヤとお弁当 に箸を突付いている。 即席バレーボールに興じている人達、また観光客も次第に増えてくる。

風は冷たい。寒い。正にこの山の名に恥じない風だ。下の方から上の方を見上げた高い所、今そこにやって来て見たが、 そこが頂上というわけではなかった。頂上はもう一つ、向うの方に展望台がある所であった。でも八郎潟の広々とした景色や男鹿半島の周囲は手に取るように見下ろせる。

折角ここまで来てしまったのだからと、向うの、本来の頂上まで行ってみることにした。吉田兼好の徒然草の中にあるエピソードを思い出した。 ナマハゲのモデルが記念写真撮影のサービスを行っている。それだけのことだった。

 


■ 先ずは外から電話しろ?

午後零時半頃、男鹿YH前に車で着く。

近付いてよくよく見ると、玄関前にこれ見よがしの「注意書き」が貼り付けてあった。


「予約していない人は外から電話して下さい!」

ちょっと嫌らしい。そう思った。直ぐ目と鼻の先まで来ているのに、飛び込みの宿泊はお断りとのことらしく、電話ボックスのあるところまで逆戻り しなければならない。で、電話は何処にあるのか?

乗ってきた車はユーターン、電話ボックス前まで更に乗せてきて貰うこととなり、そこで降ろして貰った。 こちらの方には何らのお断り書きはなかった。飛び込みでボックスに入った。彼らは秋田方面へと去って行った。
 

午後1時にYHに改めて着いた。宿泊の受付は午後4時からとのことで、それまで外で時間を潰す。旅日記を綴っていた。

風呂は時間が来たと同時に一番乗り、夕食後もまた入る。6日振りの風呂であった。

夕食は勿論、満腹になるまで、いやそれ以上に食べた。6日振りの御飯、味噌汁でもあった。お代わりを何回したか、 そんなことに一々気を使っている暇はなかった。最後まで粘りに粘って食べていた。同じ今晩の泊まり客であるホステラー、回りの女の子達は変に感心していた。

が減っては戦(いくさ)に勝てぬ。旅を続けることは戦でもあるのだ

 

 

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