男鹿半島、戸賀  日本一周ひとり旅↑  男鹿→秋田
「第61日」

 

        19××年10月5日(木)曇り後うす曇

               戸賀「秋田県」→ 男鹿「秋田県」



■衣類は乾かず

午前6時半、道路脇にあった道路工事用の小屋の中、起床。むさ苦しさの中で一晩を過ごした。 こういう変則的な夜も時にはある。旅の仕方がそういうものだから、贅沢なことは言えない。望めないものは望めないと割り切って臨機応変に対応してゆくだけだ。

Tシャツ、長袖シャツ、フード付き登山用ヤッケ、靴下、勿論、靴 ―― どれ一つ取ってもまだ完全には乾かずだった。他に着るものがないので、つまり着替えは持ち歩いてはいな いので、濡れたままのヒンヤリとした感触を甘受しながらも何とか我慢して全部着込んだ。体温の熱で乾いてしまうだろう。

最後の最後まで残っていた陸奥リンゴ一個だけとバターの包み2個分を朝食とする。 朝食の名に値しないような食事内容だが、時にはこれも臨機応変に対応するしかないと潔く諦める。未練がましいことは吐くな、である。




■風の中の、女の人

午前8時45分、小屋を出る。直ぐ戸賀湾が目に入ってきた。湾沿いの道路、弧を描くようにぐるりと湾曲した道路沿いを歩いて行く。

海からの風なのか、それとも陸地からの吹き降ろしの風なのか。 とにかく強い。別に気にすることもなかったが、長めの髪は乱れっぱなしの、荒れ放題。乱れ髪。

歩き続けていると、前方、あの女の人、何をしているのだろう? 岸壁にだるそうに背を寄せ掛け、ぼくが近づいて来るのを何の怖じける風もなく、いな寧ろ大胆に遠慮もなくぼくの方に目をじっと据えて、ぼくが やってきて話し掛けるのを今か今かと待ち構えているかのようだ。それともどうせ近づいてくるのだからと、ゆっくりと気長に待って見ようということなのか。 見透かすような視線。

近くに来て見ると彼女の長い髪も風のいたずらのなすがまま乱れ踊っている。乱れ髪。与謝野晶子。良く見ると体格も立派だ。外国の、ある女優のような彫の深い容姿。無言。彼女の方を見るともなしに眺めながら 、ぼくの方も無言で通り過ぎて行ったが、しばらくの間、ぼくの心の中に何か魅了されるものを彼女の立ち姿に感じ取った。後を振り返って、まだそこに 立ったままでいるか確かめて見ようかとも思ったが思い留まった。

日本映画、東北編の一シーンを撮っていたのではなかったのか。

今、撮影カメラが回っている。ぼくは映画の中の主人公になったような気分を味わっていた。

男はその女に近づき、話し掛けた。

 「元気だったか?」

 「随分と遅かったわね」

「ああ」

「たくさん稼いでこれたの?」

「まあな」

 「お前の方は?」

 「毎日、お客さん相手では疲れるわ」

 「今晩は久しぶりにおれが相手だ」

近くにある温泉旅館に雇われの身の女、仕事の合間、息抜きに外の空気に当たろうと海岸沿い出て来ていた。その男とは定着を嫌い、日本全国、転々としながら自分の性に合った土地を探し求めて生きている。今日久しぶりに元の場所に戻って来た。 


■水族館まで歩いて来てしまった

午前9時40分、水族館に着く。

海岸のそばにあり、風による波飛沫が駐車場全体を濡らしてしまいそうな勢いだ。観光バスが何台も発着し、観光客はそのまま水族館へ 。サメの口の中へと飲み込まれて行く。こんなにも風の強い中 、そんなことをも物ともせずカメラのシャッターを切る人が何人かいた。

午前11時になったら出発すると自分で決めていたので、ちょうどその時刻に坂道を一人で登って行く。

とにかくこの辺を、この時期に、歩いて行きましょう、というそんな悠長な人など誰一人としていない。だから、いつものように若者はただ一人で 歩む。若者は一人で出発するし、若者は一人で歩きつづける。君の行く道は遠く、当て所ない。君は一人である場所に着く。 そばに誰かが一緒にいるわけではない。そんな時、君は何とも言い表しがたい気分になっている。これを孤独感というのか? 君は耐えている。自然と自分とを無意識にも比較している。 大いなる自然の前に、小なる自分の存在を知らず知らずと感じている。でも、それが何故か堪らなく良いのだ。


■経験を言語化するとは?

自分の体験等を何時かは言語して置きたいと思っている。全部が全部出来るかどうかは分からないが、この世に生きていた証としても残しておきたい。

言語化し難いこと、出来そうもないと思われること、それらを何とか言語化することで、その人の言語化能力の有無や稚拙さが窺が われるということ、当然だろう。言葉を使用して究極的には芸術作品を創造する人に課せられているであろう当然の勤め(努め?)であろう。

勿論、言葉が作者の思い通りに働かないということもあろうし、言語で以ってしては表現出来ないこともこの世には存在するのかもしれない。

我々(とは誰のことだろう?)にとって大切な点はそういう欠点または欠陥とでも言うべき事実を認識しながらも、それでも表現しなければならないという一種の義務を負わされている存在者として自己を規定しなければならない―ー― と、なんだか突然、分かったような分からないような、変な論理、ちょっと脇道に逸れはぐらかされる様な哲学的な一考察になってしまった。
 

■如何に歩いたか、それをどう言語化する?

歩いた。

歩き続けた。

良く歩いた。

   歩いた、と書く、単純に。  

ぼくは歩いたのだ。うーん、これはちょっと気負い過ぎだ。だから何なのかだ。 歩いたんだ。歩き捲くった。
 

どのように歩き、また歩きながらどんなことを考え、そして歩いている時の周囲の状況はどのように刻々と変わっていったのか、書こうと思えばいくらでも書けるかのようだ。 書こうと思えば無際限にあると言っていいだろう。でもそんなことはしていられない。日が暮れてしまう。 歩くことは時に喜び、時に悲しみ、 時に苦しみ、時に嫌み、時に決意であった。

一旦言語化されたものを読み再度経験されたかのようになったものと原体験とは決して同じものとはならないだろう。疑似体験に過ぎな い。現地にもう一度舞い戻って同じ行程を歩んでいるわけでもなし、ビデオカメラを回している訳でもなし、それで良しとしよう。

でも、原体験に出来るだけ迫るように言語化しようとする、記述しようとする、そこをどのように微に入り細を穿つが如くに捉えようとするか。時間がない、力量がない、まあ、そういうこと となるのか。

それでもこの作者が自分で確保している少ない語彙に肉迫し、言葉との言わば血みどろな格闘(ちょっと大袈裟、衒っている、空々しい )が展開されなければならない。まあ、建前はそういうことだと自分に言い聞かせながら書いているとしても、現実は如何なものか。言葉を弄んでいる。いや弄ばれているのか。


 

 

■歩け、歩け

さて、本日は「男鹿半島一周徒歩の旅」の名にふさわしく、結局、例の小屋から男鹿駅まで、本当の意味で(と言ってもいいだろう)歩いた。

そう、歩いた。


天候が気懸りであった。灰色の雲が広がり、行く手方面は雨が既に降っているのでないかと思わせる。水族館を去り、有料道路料徴収所を百メートル程 先へと通り過ぎた頃にポツリポツリ、ほらほらっ、降って来た、降って来た。案の定である。

雨宿りのために元の小屋に戻ろうか、と一瞬迷ったが、断固突き進んで行く。


これからは本降りになる勢いが始まるであろうという直前に道路脇、道路工事用の、無人飯場に雨宿りと相成った。入場となった途端にトタン屋根に は激烈に降り落ちてくる。グッドタイミングだ。幾らでも降ってくれや。昨日みたいなズブ濡れだけは願い下げだ。

しかし昨日よりも一時間も早く入室してしまった。まだ午前中だ。今日もまたこれから終日、昨日の前例に倣うかのように、この空間で自分一人を相手に過ごさなければならないのだろうか 。そんな思いに囚われそうになる。気も重くなるというものだ。

そこにはうまい具合にソファが備えてあった。遠慮もせずに腰掛け、待たせて貰うことにした。今日はもっと先へと行く。とにもかくにも雨の降るのを音楽として聞き入っていた。

一時間経った。晴れてきた。外に目をやると青空が広がっている。良かった、良かった。

 

 

■思い掛けない昼食

午前11時30分、さあ、出発だ。元気に歩いて行こう!

30分後、ドライブインの前に来る。その外にあるベンチに腰を下ろさせて貰った。しばらくそのまま休憩を取る積りでいると、ぼくのそんな姿を見た店の人が出て来て奨めてくれる。  「中へ入って休みなさい」

お茶を出してくれる。ナシ一個を4等分したものを出してくれる。まるでぼくがここにやってくるのを待ち構えていたかのようだ。

 「お昼まだでしょう?」

ライス一皿に沢庵二切れ、なめこ、豆腐の入った味噌汁も出してくれる。まるでぼくの腹の中を見透かしていたかのようだ。徒歩の旅の途中での思いがけない親切! 美味い。

午後零時50分、お礼を言って辞去した。心も新たに歩いて行こう、更に歩いて行くぞ、という気持ちにもエンジンが掛かり、上機嫌で出発。
 

舗装道路。右側は海を見ながら、左側は山であったり谷であったり、杉の木の見事な眺め、上ったり下ったり、空模様を気にしながらも、たった今飲んできた水、お茶、味噌汁の液体が全部汗となってダラダラと顔から滴り落ちる。汗を掻きながら、とにかくどんどんと 快調に歩き進んで行った。

午後2時15分、門前の町に着く。時間的にはまだ早かったので、そのまま先へと行くことにした。が、この頃から肩の荷が重く感じられ、足の歩み具合も遅くなりがち、忘れていた足の甲の痛みも 急に思い出したかのように戻って来た。ここ両日、両足は酷使されっ放しなのだ。

痛みに堪えながら、それでも男鹿駅には午後5時45分、暗くなって着いた。駅の待合室は夜中の12時には閉まるという。午後7時頃まで長椅子に 横たわっていたが、そのままここに居ても仕方ない、どうせここを寝場所とすることはできないのだからと自分を納得させ、外へと身柄を移す。どこかその辺に格好の寝場所を探そう。



■自転車旅行者二人に出会う

隣のバス待合所、ベンチが置いてある所へと場所を移動。既に二人の旅行者がおり、夕食の準備中であった。

自転車で日本一周をやっているのだそうだ。一人は栃木、もう一人は岡山から来たそうな。泊る所々で自炊をしながら旅を続けている。 ちょうど夕食時にかち合ったので、二人が食べている間、こちらは何故か仲間外れにされたかのような気持ちであったが、「コーヒーを飲みませんか?」と話し掛けられ、本当に飲まして貰えるとなった時は救われた。遅れ馳せながらも我らは旅の仲間同士なのだと感じ入った。

コーヒー用のお湯が沸くのをまだかまだかと、寝袋の中、顔だけは出して待っていた。本当のこと言うと、いや書くと、歩き疲れているから、もう これで就寝としようと自分ではしたかったが、久し振りにコーヒーが飲めるというので、なつかしいコーヒー味を満喫した後からでも遅くはないだろうと自分に妥協し、眠いのも我慢して待っていた。

砂糖を必要以上に入れてくれて相当甘くしたものだったが、疲れた時にはこの位の甘さも良いだろう。コーヒーを飲み慣れているぼくにとっては尤も懐かしの 本物のコーヒーだったと言える代物ではなかった。

眠ろうとして寝袋の中に包まり用意万端ではあった。久しぶりにコーヒーなるものを飲んでしまった。体内の血液はコーヒーに興奮しているのであった。長い間、頭が冴え渡ってしまって容易には、いや全然寝付かれなかった。                      

 

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