■マヨネーズ付き食パン
午前7時半、起床。
直ぐに朝食に取り掛かる。柔らかいチューブに入った黄色いマヨネーズ―― バターの代わりだ。バターを塗るとき必要とするナイフ使用も省略できる――、そのマヨネーズを片手で搾り出しながら食パンというキャンバスに絵を描くかのように満遍なく塗りたくる。
一枚を食べ終えると直ぐにも二枚目のキャンバスにも塗りたくる。そして三枚、四枚目と同じものを同じ工程を繰り返しながら、パクついている。
しかし同じものを五枚も食べるとどうなるか。もういい、もういい、といい加減に食欲の方も当然ながら満たされてくるというか、胃の方からは拒絶反応を返してくる。
一味だけの味、確かに味はあるが味気な
くなってくる。そうと分かっていながらも、贅沢は出来ないということも分かっているから贅沢だと思われることは潔く端折ってしまう。実は込み入ったことが嫌いな面倒臭がり屋だから簡単に済ませてしまう。
食パンにマヨネーズを塗って食べる、―――― このアイディアが閃いた時、その簡便さ故に我ながら内心得意であった。が、何日も、何食も連続して同じメニューを繰り返しているともう結構、結構、
結構!うんざり。飽き飽きしてしまった。
そう感じていながらも今日もまた同じ朝食となってしまった。贅沢は出来ない。いや、そうではなく、単に面倒臭さを避けるということを無意識の内にも最優先している。もっと良いアイディアが
出てこないので伝統踏襲となっている。。人はパンのみに生きるに非ずとは言われても、パンなくしては生きては行けないことも確か。パンなくしては力が出ない、ご飯でも良いのだが。
今日は盛岡を発って、次ぎの土地へと行ってしまおう。食事をしながらも昨晩の変な経験が何処か頭の中にまだこびり付いているかのようで、そんな現場から早く逃れてしまって
必要ないことは早く忘れてしまおう。
公園を離れる時が来た。午前8時35分だった。ちょうど一段下の方の広場では運動会の準備が着々と進められていた。旅の途上での気分転換として地方の子供たちの出し物
でもの見物して行こうかとも思ったが、そうせずに次ぎの地へと先を急ぐことにした。
■国道4号線沿いを走る
国道4号線、そんなに急な所もなく、平坦な道を軽くペダルを踏みながら、ただ一直線道路を何処までも南下しつつ進んで行くという感じであった。
国道「4号線」、別名国道「死号線」と言われるように交通事故が多い道路である。交通事故だけは気を付けなければならない。
正午ちょうど、花巻(ハナマキ)に着いた。市街をぐるりと少々回って、30分後には再び元の国道へと出た。
午後3時20分、平泉(ヒライズミ)に着いた。国道沿い混雑していたのはここだけ。バスや乗用車、人、人と混雑がそこだけ突然沸き上がって来たみたいであった。何故にこんなに活気があるのか。もちろん、観光客お目当ての建物があるからであった。
さて、この辺には確か毛越寺(モウツウジ)YHがある筈だと探す。YHハンドブックを失くしてしまってからは、住所を確かめることも出来ず、人に訊きながら探していると、それは平泉駅近くにあって、国道をもっと先へと行かなければならないということがやっと分かった。
毛越寺への近道という標識があったので、そのジャリ道を躊躇なく通って行く。
■会員証なしの、YH宿泊
午後4時、YHに着く。
受付で訊く。
「YH会員証を紛失してしまったのですが、泊めさせて貰えますか?」
泊められるが、料金は準会員並みで、一泊二食で1000円とのこと。会員は700円。ぼくは今まで通りの会員ではないのか!?
会員証がなければ、いくら昨日紛失したからと言っても会員としては認められない、会員としては泊められない、との受付の応対。
ぼくは純然たる会員ではないのか? 心はどっぷりと会員であった。
暫し迷った。
ここまで来てしまって、出て行くのも何だし、屈辱だ、仕方ない、その準会員の料金で泊ることに渋々決めざるを得なかった。
しかし、何となく腑に落ちない。会員として当然泊れると思っていたのに、期待に反して駄目だというので、ちょっと自暴自棄的になってしまった。俺はお得意さんなんだからと言っても信じては呉れないだろう、、、、金輪際、YHなんぞにはもう泊らないぞ、これからは野宿一本で通して行こう!
夕食を終え部屋に戻ってからも同室の人とは実のある話し合いもせず、むっつり黙りこくったまま、自分だけの世界に沈潜していた。溜まった旅日記を書き続けていた。
■御老人、若い頃の決心を実行中
70歳を過ぎた御老人が同じ部屋に入って来た。関西からやって来られたという。気楽に話し掛けてくる。ぼくと同じように一人旅をやっていると仰る。年を取ってから旅をするため、若い時分に少しずつ貯金をしていた
、と。
若いころから抱いていた夢を今はこうして実行しているんですよ、と。ぼくは感心していた。年を取ったときには何をするか既に若いときに決めていたとは。その長期的な展望をずっと持ち続けながら、今こうして時が来たということで実行しているのだから。
翻って自分には長期的な展望があるのか、と聞かれれば「ない」としか答えようがない。明日は明日の風が吹く、将来どうなるのか分からない。ちょっと虚無的、そんな風に答えるしかない。ケセラセラとも言うらしい。明日はどこへ行くのかもまだ決めていない。行き当たりばったり。途中で本当にばったりとなったりしないようにと気をつけてはいるが。