陸前高田→石巻(73日目) 日本一周ひとり旅↑ 鳴子温泉→新庄(75日目)
「第74日」 19××年10月18日(水)快晴 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 石巻→鳴子温泉
「明朝、午前7時半には従業員が出勤してくるので、、、、」
遅くとも午前7時半前には起きていて下さいね、ということだ。昨晩、そう伝えられた。
朝、何時に起きなければならないかと分かっていると、寝ていても意識はそこに集中するらしい。今朝、午前7時15分、起床。
一夜をお世話になったボーリング場を出発する前、これから行く道路の状況を色々と教えて貰った。本日行く道路は舗装されていて別に問題はない。
■出発 午前8時13分、「石巻フジボウル」の支配人さんに見送られて出発した。
石巻から古川への道路、国道108号線は前回、今はサドルの後、荷台からこぼれ落ちそうになっている重いリュックサックを背負ってヒッチしながら通って行った道路であり、今回はこうして自転車で難なく通過して行く。
舗装された所を進んで行けば、何時かは古川に着くのだと思いながら走っていると、どうも変だ、方向を取り違えたらしく、知らぬ間に松島に向って走っていた。いい加減走ってから分かった。約30分掛けて、広渕まで逆戻り。合計一時間程度の道草だった。
■鳴子まで快適なサイクリング
腕時計を見ると、午前10時50分、鳴子まであと45km。バス停小屋で朝食と昼食を兼ねた食事、いつもの簡単な献立だ。食パンにマヨネーズを塗りたくる、ソーセージ一本、丸ごと、先端をちょびちょびと齧りながらエネルギー補給に時間を費やしている。
午前11時半、腹も満たされて再出発。
道路を走っていると清清しさを感じる。良い天気だ。快適なサイクリングが楽しめる。いや、楽しませてもらっている。天気が良いということは良いことだ。
午後1時40分、古川市内に着く。新しいパンツ一枚を買う。何ヶ月も洗っては履き続けていたので擦り切れてしまった。
鳴子まであと33km。
午後3時7分、鳴子駅前に着く。
東北地方最大の温泉郷の一つとのこと。道理でこの駅で乗り降りする人は多く、活気が漲っている。
さて、と? 新しい土地に到着するや否や、既に今晩の寝場所を考えている
ホテル、旅館に宿泊予約を入れるなどということは
最初から念頭にない。野宿出来そうな場所
、しかも風雨が防げるところを極力探すことにしている。ガイドブックを仔細に検討し、先ず神社、寺、公園など泊れそうな場所を調べる。
ここ鳴子温泉郷では低料金で入れる共同風呂「滝の湯」があるというのが分かった。先ずは温泉にゆっくりと入って旅の疲れを落とし、少し贅沢をした後、それからでも遅くはないだろう。宿探しは
後回し。神社にでも頼みに行ってみようか。
■共同湯板の間の隅っこの方で、、、、
午後4時からの一時間、共同湯に入った。ぼく一人のための、貸切り風呂のようでもあった。
一人ゆったりと王様気分で温泉に浸っていると、仙台からここ鳴子に出張で来たという男の人が入って来た。風呂の中では初対面の挨拶をした後、この人と色々と話す。
「今晩泊る所がないんですよねえ 、、、」と言及すると、
「ここに泊めさせて貰えば、、、」と提案してくれる。
それもそうだな、それは良いアイディアだ、ということで同意。「ここ」とはこの共同風呂の板の間、風呂場へと進んで行く前の着替えをする場所、入口を開けて直ぐの板の間のこと。 ぼくなりにそう理解した。仙台からの人はここの旅館に泊まることを意味したのであろう。
とにかく人がやって来て邪魔になるまで「ここ」で寝かせて貰おう。自分一人で決め込んでしまった。
午後6時10分、さっそく計画通りに板の間の片隅に寝袋を広げ、寝袋の中に潜り込んだ。
実はこの頃から共同湯を利用する人達が次ぎから次ぎと戸をガタンと開けてはピシャリと閉め、脱衣した後、風呂場の方へ進んで行く。夜が寄ってくる
、と同時に、入浴客達も寄ってくるそんな時間帯にがやって来るものだということが理解出来ていなかった。
お客の出入りが次第に激しくなってくる。
うるさい。うるさくて寝入ることに集中できない。安眠妨害の騒音の中、その場に横たわったまま
。どうしよう? ここを離れようか。決断がつかず、それでもいつしか寝入ってしまっているかもしれない、そんな自分になるのを辛抱強く待っていた。
■警察官のご登場
最初、夢現の中で誰かに呼び掛けられているかのように思えた。午後9時頃だったろうか、確かに誰かが呼び起こそうとしていた。
まさか自分のことではないだろうと思っていたのだが、どうも自分のことらしい。
寝袋から顔をひょいと出してよくよく見ると制服を着た警察官が二人、目の前にいわば仁王立ち! 何事が起こったのだろうか? どうしたのだろう?
何か事件でも起こったのか。
どうもこのぼくが起き上がるのを待っているようだ。何かひどい事でもしでかしてしまったのだろうか?
警察官は起き上がるのを辛抱強くそして強制的に待っているようだったので、渋々ながらも起き上がるしかなかった。
「こちらに来なさい、君!」
「何か身分証明書みたいなもの持っているかね?」
住民票の写しを見せた。話しを聞いてみると、地元の警察の方に先ほど電話が入り、共同湯の所に誰か変な人が寝ている、という通報があったのだそうだ。誰か変な人とは誰かと言えばぼくのことだろう。他には見当たらない。
ぼくは観念した。もうどうにでもなれ、と内心、成り行きに任せる積りであった。自分の置かれている立場を包み隠すこともなく素直に、事実をありのまま述べた。自転車で日本一周のひとり旅をしていること、今晩の寝場所を一時的
に板の間にしたこと、人様(入浴客)の迷惑にならないようにと隅っこの方に場所を選んだこと、自分は怪しい者ではありません、と。
「隣の旅館『ゆさや』が一応、この共同湯の管理者になっているから、断ってから寝なさい」
「あっ、そうですか。分かりました」
確かに断っていなかった。それが拙かったと反省させられた。遅ればせながらも、そうしよう、とぼくは旅館の正面玄関入り口の方へと自転車を引っ張って行った。
旅館の玄関前に来て見ると、警察官の方で先に行って事情を説明したらしく、ぼくは別に話す必要もなかった。ただ旅館側の返事を待つだけであった。
「あそこで寝られたら、同じ電話をする者がまた出て来るだろうしねえ、、」
「今から野宿しろと言っても寒いだろうし、、、、、、」
結局、御主人のきっぱりとした決断で、この旅館『ゆさや』に一泊させて貰うことと相成った。仙台から出張でやって来た人が「ここ」で寝かしてもらったら、と提案してくれていたが、「ここ」とはやっぱりこの旅館のことだったらしい。
紆余曲折があったが、本当にそうなってしまった。
■斯くして旅館『ゆさや』に一泊
旅館の部屋は全部満員であるということで、玄関を入って直ぐ右側、下駄置場に通じる番頭さん専用の部屋にぼくは通された。
「御風呂が沸いているから、、、」と奥さん。
つまり女将(おかみ)さんから手拭を持たされる。
風呂から上がって来ると、部屋の中、夕食が持ち込まれていた。ぼくは本当にここ、旅館の中に居座っている。
ひとり旅しながら食事を何度と取っていたが、この旅館での御馳走は一番豪勢なものであった。そもそも旅館に一人で泊まるなどということなどは考えたこともなかった。
−マグロの刺身 −鶏肉 −はんぺん蒲鉾の煮たもの −おひたし −羊羹一切れ −長い生姜 −ミニトーキビ
−その他名前を知らないもの
御飯は一人分としても、おかずは二人分あるのではないかとぼくの眼には映るほどに豪勢であった。それほど貧しく食事をしていた自分だった。
「これ全部、食べても良いのですか?」
思わず、こんな素っ頓狂な質問をしてしまった。この旅人の、日頃の貧弱な食生活事情をいみじくも暴露してしまった。
午前9時半から30分間の食事。夕食は美味かった。
夕食が済めば後は寝るだけなのだが、床も入浴前にちゃんと敷かれていた。柔らかい寝具。至れり尽くせりだ。別に何かをするということもなく直ぐに寝床に入ったが、 入浴後の血液循環が全身に渡って活発になっていることを感じながら横たわっていた。音楽でも聞きながら寝入れるかもしれないと携帯トランジスターラジオのスイッチ を久し振りにつけてみた。
旅館の屋根の下、部屋の中、布団の中、この柔らかく温かく包み囲まれ守られた世界、こうして仰向けに横たわっていられる特権に感謝せざるを得なかった。天井が見える。
いつもなら旅の空の下、今晩はこうしたことが自分に起こるとは全く予想していなかった。事の成り行き、この展開に我ながら驚いた。これは本当にこの自分に対して起こっているの
だろうか。
外の道を下駄で歩いて通る軽い音だ、人声に混じって聞えてくる。遠い昔、高校生の時だった、一度だけ京都、奈良へと修学旅行に行った、そして宿に泊った。
これは正に温泉郷の雰囲気だ。その時の状況とそっくりだ。今でも若いが、もっと若い時の記憶が蘇ってきた。懐かしい。何十年ぶりになるのだろうか、このゆったりとした温泉気分
、何度浸っても良い。
午後10時40分、一旦布団から這い出て、立ち上がり、部屋の電灯を消した。
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