石巻→鳴子温泉 (74日目) 日本一周ひとり旅↑ 新庄→酒田 (76日目)
「第75日」 19××年10月19日(木)快晴
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鳴子温泉→新庄
何時頃に起きれば良いのか、ちょっと迷った。
午前7時20分、起床。
布団のそば、
出発前の朝食はリュックに残っている持参のブドウパンと決め込んで、部屋の中、畳の上に胡坐を掻いて、一人閉じ込められたかのような気分で一枚目を
早々食べ始めていたら、ドアをノックする音、、、、何だろう?
「はい?」
ドアが言わば自動的に開き、朝食が持ち運ばれて来た。
今朝は朝食までも出される。昨晩の夕食だけではなかった。一泊二食。全然予想も期待もしていなかった。二度目の驚き。
もちろん、ブドウパンを食することは急遽中止だ。
半熟玉子
ほうれん草のおしたし
蒲鉾等々
朝食としても整った味のものはこれが初めてだった。大変美味しく頂いた。
部屋の中、相変わらず自分一人を相手に食事を取っていた。食べながら、ちょっと気になり始めた。これは多分相当の宿泊料金を請求されるのではなかろうか。少なく見積もっても2000円、安くとも1500円ぐらいだろうか。
食事が済み食器等を調理場へと自分で持ち運んで行く。
「御馳走様でした」
「はい、御粗末様」
奥さんや料理人さん達の返事であった。
部屋に戻り、着替えて、出発の準備。玄関で自転車に荷を取りつけ、終るのを見計らって、、、、奥さんが奥から現れ、おにぎりを持って来て下さった。こんなに親切にしてくれる。一介の旅の者に過ぎなかったのに心尽くし
て呉れる。
午前8時40分、奥さんや旅館の人達に見送られて出発。色々とどうもありがとうございました。
午前8時45分、つまり5分後には鳴子駅前に着く。これから新庄へと行く前の心の準備と身辺の整理を
もう一度本来の自分に戻ってする。
午前9時半、駅前を出発。出発するまで、背中に日が当って暖かい。心に余裕みたいなものを感じていた。
■さわやかな鳴子峡を歩く
午前9時45分、鳴子峡の入口に到着。鳴子峡を歩いてみよう。自転車を入口の売店の人に断って置かしてもらう。
身軽になった。半ズボン、半袖の服装で川沿いの作られた道に伝って歩いて行く。紅葉の盛りで、時折これが本当の鳴子峡かと思わせられるような風景にもぶつかる。
出口近くまで歩いて来たところ、上の方からの御婦人4人に橋の上で話し掛けられた。日焼けした肌がどこか普通の人ではないと分かったのだろう。
「何処から来たの?」
「一人で?」
「そう、どのくらいやっているの?」等々
色々と訊かれ、一つ一つ答える度に感心している。山形弁だ。時々、言っていることが分からなくなり、訊き返すと分かるように言ってくれる。訊き返されて気付く御婦人達、訊き返さなければ分からないぼく。帰りは御婦人達と一緒にぼくにとっては入り口まで戻
って行く。
途中では記念写真を撮ってあげたためだろうか、売店ごとにコンニャクの串刺し、庄内もち、ゆで卵、焼き鳥と御馳走になる。
鳴子峡の上空、青空が広がり、雲一つない、本当に良い天気だ。休日でもないのに、昼頃に近付くに従って、御婦人4人と同じように反対方向からは一列になって数珠繋ぎで人が次々と歩いて来る。
ぼくの足であの橋まで30分、というわけで御婦人達歩いて行こうということになったが、途中で「ああ、こわい、こわい」と連発する。何が恐いのかとちょっと意味が取れなかった
。後で教えてもらって納得。
さて、ここで突然、山形弁の一口講座。
「こわい」とは?
はい、「疲れた」を意味するのだそうです。
本当に怖い時は何というのだろうか。次回の(いつ?)講
午前11時半、再び入口に戻る。御婦人達は待たせてあった車で次ぎは何処へと行ったのか、分からない。
ぼくとしては新庄に向けてただ走って行くだけだ。
■ 快適なサイクリング
国道47号線、車も余り通らない所、サイクリングを楽しみながら走って行く。
長い長い下り坂が続く。ペダルを踏む必要もなく、周囲の景色を見ながら、風を切って下って行く。景色に見とれて知らぬ間に道路の真中辺を我が物顔で走っていたものだから、時々後方からの車の警笛で左端に追い返される。
午後2時42分、国道13号線に入る。新庄まであと9q。
午後3時25分、新庄駅に着く。さて、今晩、泊るのに適当な場所は何処にあるだろうか。駅前の大看板には市内案内図の絵が描かれている。 つらつらと眺めている。
「
最上公園」に先ずは行って見よう。そしてもし公園が駄目なら、「円満寺」というお寺に行って見よう。断られるかも知らないが、断られても元々、一応頼みに行って見よう。そう決
めて駅前を発ったのが約1時間後であった。
■今晩の宿はお寺
最上公園までは駅から5分も掛からなかった。公園内、隈なく見回したが、適当な所は見当たらず、神社があったが、気が進まず、公園を諦めてお寺に行くことにした。
暗かった為でもあるが、どうも道を見失ったらしい。橋の上で女の人に円満寺の場所を尋ねた。
「泊る所がなくなってしまったので、お寺へ行って泊めさせて貰おうかと思って、、、、、」
「泊めさせてくれますよ」と女の人。
「その言葉を信じて、それじゃ行ってみます」
午後5時半、もう既に暗い。円満寺に着く。玄関に入る。
奥から立ち上がって来た女の人に話し掛ける。
「今晩泊めさせて頂きたいのですが、、、、、」
恐る恐る頼む。
「ええ、いいと思います。大丈夫だと思いますが、まあ、中に入って下さい」
本当だ。泊めさせてくれるようだ。
ぼくが来る前には御客さん、新任の警察官だそうで、この地に赴任して来られたのでご挨拶にやって来ていたとのこと。
次のお客さん、つまりぼくがやって来たということで、タイミング良く辞去するための理由が見つかったらし
い、新任の警察官は直ぐに帰ってしまい、同じ席、今まで警察官が腰を降ろしていた座布団の上に今度はぼくが腰を降ろし、ここの奥さんと話し始める。
「何処から?」
「そう、家の甥も上智大出身ですよ。経済と新聞ですが、、、」
●日本人は生来、放浪の癖があるのではないだろうか。西行然り、芭蕉然りである。
●仏教の教えは、旅を団体でしていても旅人一人一人に側で一緒になっ て、観音様なら観音様が自分と行動を共に取る。キリスト教のように、言
わば上の方からその人を見守っているのとは違って、その本人の脇に居
て、その人を導くのである。旅人本人とても仏様が自分の脇に居って、自分をお導きになっているという気持ちで旅を続けているのである。
●住職は埼玉県出身。こちらへ来て10何年と経つが、この地の人
たちの
一人一人と相対すれば人は良い、親切なんだが、団体である目的を遂行しようとなると、自己の方で計算が働く。従って何処までの親切な行為として相対されているのか、という点について考えてみなければならない。
住職は選挙で次点で落選した。付近の人たちが漏らした言葉は、金をばら撒けば当然当選したということだそうで、住職としてはそうまでして当選はしたくない、と。
●この地方の冬の食べ物、漬物は美味い。それに納豆汁。納豆をとことんまですり潰し、季節の野菜等、ナズナ、ゼンマイ、サトイモなどなど、いわばそれらの雑煮に中に納豆のすり潰しを入れて、それを温かくして食べる。
この納豆汁を夕食では二杯御馳走になった。美味い。
そういうことで夕食はお嬢さんの給仕で、住職と一緒に頂く。住職は夕食後、直ぐに出掛けてしまった。
残された我々三人、奥さん、お嬢さん、それに勿論ぼく、三人でテレビを見ながら、奥さんは食欲旺盛な人らしく納豆汁を二杯、三杯と食べながらよく話す。思い出しては話し、また思い出しては話すといった感じ。テレビの「細腕繁盛記」や「二人の世界」を見ながら、それに纏わる話しに尽きない。
番組が終った頃、 ご住職が帰って来られる。「11PM」を横目で見ながら、疲れたことだろうということで寝る準備を始める。
風呂に入った。
出て来ると部屋には布団が敷かれてあった。すぐ床に入る。
午前零時5分、就寝。
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