「第34日」 19xx年9月8日(金)曇り曇
旭川駅→ 然別湖畔
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■駅待合室、静かな朝 午前6時、目覚めた。前回泊った時と同様、ベンチの上、変則的に水平になって一夜を明かしたので、と言うのも終始、寝袋を通してだが、肩、尻などにベンチの鋭角的出っ張りを鈍くも実感しながら睡眠を試みたので寝心地はとても悪かった。床に寝転んだ方が得策だったかもしれない。頭が何となく重い。 上半身を起こし待合室の中を見回す。少ない。ぼくのような旅人がここを仮の宿として選択した人数は前回と比べると数えるほど。 それに前回は、あのアナウンスもあった。 「寝ている人は早く起きて下さい!掃除をしますから」 今回は静まり返っている。結局アナウンスはなかった。駅という駅では色々な所で泊まったが、ここ待合室の中、朝は静寂そのもの、針が落ちてもその音が聞こえて来るかのようだ。この旭川駅では列車の発着もなく、久しぶりに静かな朝を迎えた。 北海道の夏も慌(あわただ)しく終わってしまったと言うことなのか、季節の移り変わり、時の経過を待合室内の静けさに感じる。 ■バレーボール決勝戦 時間が経つに従って、ここにやって来る乗客の数が増えてきた。次第に騒がしく、そして喧しくなった。さっきまでの静寂がまるで嘘のようだ。 未だベンチに寝ている人がいたが、そんな喧騒も何のその、午前8時頃まで水平状態を保っていた。テレビからの音声も何のその、喧騒の中にあっても微動だにせず眠っていられる人が羨ましい。 待合室の天井近く隅にはテレビが左右2台据えてあったが、それぞれのテレビ画面に注目する人達も次第に増えて来た。待合室に来た人たちは例外なく画面に釘付けにされてしまっていたと言っても過言ではない。 実は、午前7時半からは(旧)ソ連対日本の、女子バレーボール決勝戦の模様が既に中継されていた。汗に手を握る、いや、手に汗を握る試合展開は画面に見入る人をして興奮させる。勿論、日本チームが勝つことを皆願っている。 待合室の中は列車で通学する若い学生達で更に一杯に膨れ上がった。日本が得点する度に特に女子学生達が金切り声を上げたり、喜びの拍手を送ったり、テレビの画面に釣られて見入っている ぼくも攻防戦に目が離せなくなってしまった。旅の途中でのスペシャルイベント。 日本チームが得点しながらじわじわとソ連チームを追い上げ、あと一点差と迫った。日本頑張れ! 日本頑張れ! 待合室では緊張と興奮が渦巻く。あと一点! あと一点! 日本頑張れ! と、突然コマーシャルの宣伝が画面に入った。緊張もここ一番と極まった時、試合の画面は一方的に消えてしまった 意識の流れは一気に中断、一方的に今までの興奮画面が途絶え、別の関係ないコマーシャル画面に切れ替わってしまった。観客達の落胆振り。押し黙った不満、諦め。テレビの画面に釘付けになって見入っていた人達は皆、それぞれ自分がしなければならないことに意識を転換させる。 「日本の負け!」 待合室の一隅から一人の声が飛んだ。 試合中継の続きをラジオで聞いていた人がいたのだろう。そうか、負けてしまったか。落胆の待合室。それでも日本は良くやった、頑張ったよ。興奮冷め遣らぬ待合室も次第に普段の待合室へと戻っていった。 ■外国樹種見本林に寄る 気分を入れ替えて、今日も旅の出発。午前8時10分、我が同類の2人組みの、その一人に別れを告げ、旭川「ステーションホテル」を後にする。国道237号線に向かって歩き出す。 歩いて行く途上にちょうどあるというので、外国樹種見本林にまで足を伸ばすことにした。 約一時間歩いて、見本林入り口に辿り着いた。ここは小説家・三浦綾子の小説「氷点」の舞台となった所なのだそうだ。 ぼくはその小説を読んでいなかったし、何が題材となって書かれているのか、この見本林を手掛かりにただ想像するだけであった。小説の中での、この見本林では何が起こっていたのか、知らない。 文学に大きな関心があったわけでもなく、それでも巷では結構話題のベストセラーになったという噂だけは自分の耳に達していたし、ただそんな中途半端な知識の断片だけがあって、今ちょうど話題の場所に来ている。ここへ来れば何か手がかりでも掴めるのかもと期待した。機会があったら実際にその本を手に取って読んで見よう。 林の中、まだ誰もいない。朝、たった一人で立っていると北海道の静けさがじんじんとこの身に迫ってくる。美瑛川(ビエイガワ)の岸に立って反対の岸の側に目を遣ると曇っていてぼやっとしている。白く霞んでいる。霧が掛かっている。 足許に目を転じる。道の両脇、草に朝露が降りたままで、草の中を踏んでやって来ていた自分の靴も露でびっしょり濡れてしまっていた。 ■寡黙のトラック運転手さん 一時間後、再び元の国道に出てきて、ヒッチハイクの開始。いつもの如く、とでも言えようか、5、6回手を上げても止まらなかったが、30分程経ってからトラックが止まった。 珍しいと言うのか、ちょっと変わっているとでも言えようか、だからぼくにとってはちょっと拍子抜け。車に乗せてもらった運転手さんとは殆ど例外なく言葉を交わすのが常であったが、この運転手さんの場合、何と言うのか、何も言わないと言うのか、余り話したがらない。無口の運転手さん。 ぼくに向かって二つの質問をしただけであった。 運転手さんからの、第一問。 「何処から来たの?」 運転手さんの質問は、「今日は何処から出発してきたのか?」とも聞こえるし、または「あんたのお里は何処?」と多分ぼくの出身地を聞いていたのかも知れない。それとも顔は日本人のようだし、日本語も喋るようだが、よくよく見れば容貌、雰囲気が外国人のようでもあるし、東南アジア系か、国籍でも聞きたかったのだろうか。とにかく「神奈川」と答えた。 運転手さんからの、第二問。 「何処へ行くの?」 ぼくは何処へ行くのだろう? 今日はどこまでか。実はケセラセラ。行き当たりばったり。一応、その日の目的地を決めてはいるが、その通りに行くとはかぎらない。なぜならば、車に乗れないときもあったりした場合、自分の足を使って歩いて行くしかない、決めた目的地に到着出来ないこともある。 今日は何処へ行こう? 明日は何処へ行こう? 毎日、毎日が意志決定、決断の連続だ。時に戸惑い、悩み、躊躇逡巡し、それでも運を天に任せるかのように自分を信頼して、前進して行く。今日はどこまで行けるだろうか。とにかく質問に対しては「帯広」と答えた。 「何処から来たの?」 そして 「何処へ行くの?」 運転手さんがぼくに聞いてきた、この二つの質問に対して、それぞれ何らかの回答が得られたので、運転手さん、後は安心して運転していられるという風であった。 ぼくの方から意識して質問しなければ運転手さんも別に答える労を取らない。取り立てて話したいという訳でもないらしい。 それよりもラジオのボリュームが大きい。ニュースやらニュース解説、人生相談、音楽などが流れて来るまま、片っ端からラジオ放送を聞き流している。いつもの運転風景なのだろう。 ぼく一人が助手席に今は腰掛けているとしても、いつもの運転には変わりなく、ラジオからの音声を耳にしながら運転している方が実は気が楽なのだろう。 そういうことで目的地の幾寅(イクトラ)まで殆ど喋らず、ぼくは専ら車窓の景色の流れを瞑想的に眺め続けていた。何処から来たのか? 何処へ行くのか? 今、我々のトラックは十勝平野の只中を走行している。沿道はどちら側も畑。黄色く色付いて、それが周囲の緑、前方の山の緑などと、所々に見られる家などが配置され、それらがうまく調和を保ちながら、北海道の自然の風景が展開する。 生憎(あいにく)の曇り空、途中、二度三度と雨に会う。尤も雨が降って来ても、幸運にも車の中にいたから何ら濡れる心配もなかった。
その交差点まで歩いて来る。いわば条件反射的に閃き、ちょうどそこにあったお店の中にそのまま入って行き、餡パンと菓子を買う。 店の前で突っ立ったまま、さっそくパンをぱくつき頬張っていると、目が丸くなってしまった。喉が詰まったわけではない。 目の前を、あれは確か、ヒッチのサインを送ったが意識的に無視してそのままぼくの目の前をゆうゆうと通過して行ってしまった、見覚えのある車だ。その同じ車がまた目の前に現れた。まるで ぼくの動向を監視していたかのようだとつい思ってしまったが、ちょうど信号待ちをしている。車だけでなく運転席の人の横顔、確か何処かで見た覚えのある顔だなあ、と記憶を辿っていたら、先程通過して行った車の運転手さんではないか! 相手も ぼくがじっと食い入るように見つめているのに殺気でも感じたのか、はたっとこちら側に気が付いたらしく、ぼくに向かってばつ悪そうに「何処へ行くのだ?」と訊いてきた。 今度こそは便乗させて貰い、然別湖のYH の前まで乗せてきて貰った。午後3時10分の到着。 歩きながら次第に見えて来た湖は向う岸がちょうど白い霧で立ち込めていて、薄気味悪い。そんな第一印象を受けた。水面を見ると、同様に、神秘的な、という形容詞が普通使われるのであろうが、それは当たっていないみたい。水面の反映を目に受けながら、なぜか気持ち悪くなり、頭が痛くなってくる。頭痛的な然別湖であった。どうしてこんな気分になったのだろう。今日はちょっと頭を使いすぎたのか。 |
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