2ヶ月前、フィンランド国内、旅の真っ最中であった。フィンランドのほぼ真中を貫く国道をその日も歩き続けていた。
重いリュックサックを背負いながら。7月の中旬だった。ヒッチハイクをしていたのだが、歩き続けざるを得なかった。
一台も車は止まろうとはしなかった。車に乗ることを諦めて、こうなったら歩いて行くまでだ
と歩き続けていた。
一日20キロ余歩くとして、Ouluへ到着出来るのは何日目になるだろうか。そんなことを考えながら歩き続けていた。
フィンランドの田園風景が広がる。森の中を切り開いて作られたらしい国道、両側は背の高い樹木でぎっしりと埋まっている。
歩いているのはヒロ一人だけであった。時々車が通過して行く。対抗車線からも時々、車が走って来る。
ヒロは歩きつづけることに集中していた。周囲の景色を吟味しながら余裕のある所を内に秘めながら歩いて行くことはできなかった。
時々、目を上げて遠く目の届く限りを見遣る。これからも歩いて行かなければならない、白い国道がずっと、ずっと限りなく
果てしなく続いている。足元に目をやりながら、一歩一歩と前進していた。
後ろを振り返ってみた。既に踏破した道路がそこには横たわっている。明るい日射に照らし出されて、
森の中を貫いた道路の上から目に出来るものといったら、緑色と白色だけである。明るい日射しが一人きりの
この旅人を救っている。車が一台も止まらず、歩き続けなければならない。太陽からの暖かい陽に当たりながら気持ちは落ち着いていた。
夕方。同じ国道をまだ歩き続けていた。民家が国道から遥か離れたところに散見出来る。暗くなりつつあった。
今日もどこか国道沿い適当な所に寝場所を探さなければならない。国道沿いを歩きながらタイミング良く街に辿り着くことが出来ないからであった。
民家が見られるので心を落ち着かせる。が、ここからは遠くにあり過ぎる。だから国道沿いを良い寝場所がないものかと思いながら、
探しながら先へと進んで行くのであった。
納屋らしい小屋が見える。寝られるかも知れない。国道から逸れて、草がぼうぼうに生えている中、
その小屋を目指して歩いて行った。着いた。中を覗いた。駄目だ。湿った丸太が数本、床に置かれてある。
乾いた麦藁の山を期待してやって来たのだが、これでは寝れやしない。諦めた。元の国道まで戻って行った。
歩いていた。寝られそうな建物はないものかと思い続けながら、歩き続けていた。反対側の国道沿い、
先の方、女の子が二、三人、突っ立っているのが見える。何をしているのだろう?
これからもう直ぐ、彼女達の前を歩いて通過して行くであろう、そんな自分の姿が想像される。
半ズボン、そして重そうなリュックサックを背負ったまま段段と近付いて行く。ヒロはその時、どうするだろう?
彼女達の存在を無視してそのまま彼女達の視線を体に感じながら、彼女達の前を申し訳なさそうに通過し、
彼女達を後にするだろうか。でも、ヒロは話し掛けてみようとする衝動を内に感じる。が、それを自身に禁じようとしていた。
ヒロは今、彼女達とはちょうど反対側の国道地点を通過しようとしている。ヒロは少々、
女の子三人を前にして心の均衡と言う観点から敵わないと感じた。
「Hey, you! Where are you going? ねえ! あんた! 何処へ行くのよ?」
英語であった。そして無遠慮、そしてぶっきらぼうであった。流暢な英語がヒロの方へと投げ掛けられた。
ヒロに対して発せられた言葉に違いなかった。周囲を見回してもヒロと彼女達だけであった。
道路を挟んで話し掛けられたからには応えなければならない。しかし、話し合うには道路の幅だけの距離があって遠過ぎる。
ヒロは車の流れの切れ目を考慮しながら、国道を駆け足気味に横切った。背中のリュックサックが踊った。
彼女達の前にやってきたヒロ。さっそく、英語がヒロの口からも発せられる。
「今晩、寝るのに良い場所はないものかと探しているんだ。あそこ、そして、そこにと、
納屋みたいな小屋があるでしょう。寝られるものなら寝ようと思っているんだけど、所有者の許可なしには、
多分、寝ることは出来ないでしょう?」
「そこは彼女の家のものよ」
ヒロに英語で最初話し掛けてきた女の子は、そばに立っているもう一人の仲間の方を顔で示した。
ヒロはすかさず言葉を継いだ。
「勿論、許可を求めなければならない。でも、あそこ、あそこにあるようなものは、
許可を求めようとしても、所有主は何処にいるか分からないでしょう?」
ヒロはこうして話しながらも、目の前に立っている彼女の様子を観察していた。
ヒロは話題を転じた。
「あんたは、この辺、近くに住んでるの?」
「スウェーデンに住んでいるんだけど、休暇でお友達の家に来ているわけ。ストックホルムから数十キロ離れた、何とかという町に住んでいるの」
町の名前はヒロには覚えられなかった。何とか、という町であった。彼女は少々太り気味に見えた。
ヒロと背丈は変わらない。黒い流れるようなパンタロン,黒い背広のような上着、ブラウスは真っ赤。首からは長い鎖を胸の前に下げていた。
両腕には銀色の腕輪が二本づつ。そしてイヤリングも銀色の輪が一つずつ耳たぶに下がっていた。念入りな化粧がその顔に施されているのが分かる。
ショルダーバッグを右肩に下げている。
スウェーデン娘であった。初めて、この目で見る、実物のスウェーデン娘であった。
スウェーデンの女性達は綺麗だと聞かされて来た。確かに、その通りだ。そう思えた。
小太りの彼女はヒロの目には良く映った。もっと長く話していたいと思った。
仲間の一人が、その間、車をヒッチしようと通過する車にサインを送っている。
「何処へ行くの、訊いても構わないならば」とヒロ。
「ダンスに行くのよ」とそのスウェーデン娘は応えた。
彼女は仲間の二人にヒッチの役目を任せ、自分一人はただ道路端に突っ立っているといった風であった。
「こんな場所でヒッチを試みても、車はとまらないんじゃない?」
「スウェーデンでは立っているだけでも車が止まるのよ」
彼女は自分の容姿に相当自信を持っているようだ。ヒロは女の子達に自分の経験を踏まえながらヒッチの方法を教えようとしていたのだが、 彼女達はヒロの言った事柄が理解できたのかどうなのか、
見知らぬ外国人からの忠告なんて何のその、相変わらずその場でヒッチを続けようとする。
「また、どこかで会えることを期待して、、、、じゃ、さようなら」
ヒロは彼女達と別れて、寝場所探しに歩き出した。暫くして後ろを振り返って見ると、
彼女達はまだヒッチをその場で試みているのであった。
ヒロは歩きながら、彼女、スウェーデン娘と交わした会話を思い出し、吟味していた。十キロほど離れた町まで、 車をヒッチして何をするのかと言えば、ダンスに行くのだ―― ヒロの心に中には何か新しいものが生じてきた。
ヒロは歩く旅人。彼女達もヒッチを試みている。が、彼女達の目的はダンス、踊りである。一方、ヒロの目的は? ダンスという言葉は、彼女達と別れた後でも、その日の、国道での出来事、出会いを想起する時、きっと思い浮かんでくるのであった。
■スウェーデンの厨房でさて、ヒロは再び、ダンスという言葉に遭遇した。今回は彼女達だけのものであったダンスが、
もしかしたらヒロのものにもなるかも知れない。道路上で彼女と交わした短い会話。
「ダンスに行くのよ」
彼女、スウェーデン娘の答え、ダンス。
ダンスか。そう聞かされた当時、このヒッチハイクの旅を続けるヒロには全然縁のない事柄だと思われた。
ダンス。それが、今回、実は縁のある事柄であったのかもしれない。
ヒロは今晩、アンネリー達と一緒にダンスに行くだろうか? 行きたいのか。ちゃんと踊れもしないくせに、
冷や汗だけでなく恥も掻きに行くのか。
この「ダンスの話
」つづき