■図書館で自分を取り戻す
一日は如何に過ごされるか。レストランでの食器、鍋洗い、そして町の図書館へと直行する。
図書館では自分の時間が持てる唯一の場所であるが故に、思いのままそこでは時間を過ごす。
雑誌を拾い読みしたり、書架から面白そうな本を引っ張り出して読み始めたり、そんな風にやっているうちに自分で決めた退館時刻は直ぐにやってきてしまう。
午後6時のことだ。
今もあと10分でその自主決定退館時刻になる。家へと向かって自転車のペダルを踏み始めるのもあと10何分かの後のことだ。
これから起こるであろう未来の行動の軌跡を先取りしている。不思議な感覚を覚える。
予め決められた時刻。強制されたものではないが、それに等しい。
家へと帰って行くことを出来るだけ先へと延ばしたいと思っている。
家路に付き、家へと向かっている自分、道路沿を自転車で走っている自分、そして家に着き、
中へと入って行った時、そこに見出される自分、異なった時点時点での、それら異なった場面における自分が予め決定されているかのようだ。
さて、家の中は今どんな風だろうか。想像してみる。老夫婦はヒロの帰宅を今か今かと首を長くして待っていることだろう。
多分、テレビはつけられている筈だ。
帰って来てもヒロは自分からは話そうとはしない。喋る気力を失ってしまっている。まるで家のドアの取っ手に手を掛けた途端、
その瞬間からヒロは自分の言葉を失ってしまうかの如くである。
勿論、一日の仕事に疲れ、喋るところではない場合もある。が、そうでない場合、話すだけの気力はあっても、
家の中の雰囲気が喋りたいと思うようにはなっていない。そう感じるのだ。何故だろうか。何処にそれが見出されるのか、
と問われても答えることは出来ない。ヒロは感じ取るのである。いや、感じ取られる。
話題はいつもと変わらず、、、、要するに、ヒロにとってはどうでもいいことを尋ねてくる。いい加減うんざりする。
「ああ、またか! もう、その話には飽きたよ。止めてくれ!」
――― 勿論、声を大にしては言わない。
言えない。言えば、言ってしまったら、相手の気分をひどく害するだけだ。口を閉ざしたままだ。
「ヒロは疲れているのです。一人にして置いて貰えないでしょうか」
――― 勿論、声
を大にして、そんなことも言わない。聞こえもしないだろうが、心の中でヒロは呼び掛けているだけである。
要するに、ご夫婦と一緒にいると心が何故か楽しまない。狭い家の中だ、
ヒロが何処にいようとも二人達の目がヒロを窺っている。
一日中、家の中か、その周辺で暮らしている。そこへ夕方、暗くなった頃、ヒロが帰って来る。
二人は待ってましたとばかりにヒロに話し掛けてくる。が、尋ねてくる内容は毎度、毎度、殆ど同じ。
「仕事はどうだった?」
「今日は雨だったね。寒くはなかったかい?」
ええい、そんなこと、オレの人生とどう関わり合いがあると言うのか!
その時ヒロは痛感する。
「ああ、一人切りになりたい」
ヒロの目の前からお二人を失礼にならないように向こうへと追い遣るのだ。
ヒロは本当に肉体的にも精神的にも疲れていたのかも知れない。
人生における新たな転換が必要とされていたのかもしれない。
今、午後6時20分。
ヒロはまだ図書館から出て行こうとはしない。今日は6時半まで粘ろう。予定を変更した。
初めは勝手が良くつかめていなかった。時間が経つうちに、段段と慣れて来る。少しづつだが、
余裕を感じるようにもなる。事情を知った余裕だ。ところが、慣れ過ぎる状態に入ってしまうと、
もう駄目である。全てにおいて新鮮さが失われて、緊張感も薄れ全ては関心の域から外されてしまうようだ。
それでは新たに何に関心が向けられるのか。まずは慣れ切ってしまった、その状態から抜け出ることである。
一方、脳裡の中、その片隅ではこの慣れた、慣れ過ぎてしまった状態にいなければならないと仕方なくも納得している。
変化は必要だ。確かに必要だ。が、この場合、つまりヒロは彼ら達と一緒にいなければならない立場に自分を追い込んでしまった。
というか、最初は軽い気持ちで、二、三日、滞在させて頂こうということでご好意を有り難く受けた。それがもっと長く居てもいいよ、
ということで、一週間、二週間と経ち、そうこうする無期限に滞在していても良いといったような雰囲気になってきた。
確かにヒロは急いで旅をする積りはなかったし、すべては経験だ、ということで行き当たりバッタリ的ではあったが、
滞在期間を知らぬ間に延ばしてきてしまった。
そこには安易さを選択したという認識がヒロの内にはある。そして、その安易さを選択してしまったが故に、
そこより導き出される結果に耐えてゆかなければならない、と。
中学生だろうか、高校生だろうか、前列の机に三、四人の女の子達が新聞のファイルを拾い読みしている。
学校の友達同士なのだろう。時々思い出したが如くお互いに情報交換をしている。
今はスウェーデン、秋なのだそうだ。早く雪が降ってしまえば良い、と考える。
そして早く来年、というよりも暖かくなって、再び旅に出られるような気候が戻ってくれば良い、と更に考えている。
前列の女の子達は何を新聞から書き抜いているのだろう?
とても短い夏だった。